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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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思考停止理性の放棄
陰謀論疑似科学
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッ、パニパニパニック。

どんな事件も陰謀論をちょちょいと振りかけ味つけすれば、
あーら不思議、9.11はユダヤの陰謀、痴漢は国家の陰謀、地震サイクロンとうぜん国家の陰謀でございとなりまする。

和歌山カレー事件から10年目になる今年、どこかで誰かが言っていた。

「あれはただの集団食中毒事件だった」

ありゃりゃん、こりゃりゃん、摩訶不思議。

そのうちきっと誰かが言い出すだろか。

「麻原彰晃は国にはめられた」
「地下鉄サリンは集団ヒステリーだった」

うそぉー、信じられなーい。
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッパニパニパニック。
げに恐ろしきは思考停止理性の放棄
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッパニパニパニック。

右翼も左翼も関係ないさ。
思考停止に理性放棄でみんな仲良し共同戦線。
右の右は左、友だちの友だちはアルカイダ。
あー、それでも目標同じなら、みんなでお手々つないで頑張りましょう。
小さな違いにゃ目をつぶり、自民倒せば右も左も大喜び
あーめでたいな、さて目出度いか?

国家の陰謀、疑似科学。そんな武器持って自民倒しても
次に来るのは陰謀論とくいの仲間割れ。
あいつが言ってることは陰謀だ、こいつは俺をはめようとしている。
それでも自民さえ倒れてくれりゃ、あーめでたいな、さて目出度いか?

思考停止に理性放棄でみんな仲良し共同戦線。
あー楽しいな、楽しいな。
この楽しさが分からないなんて、
「あなたも陰謀にはめられてるからよ!」
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッパニパニパニック。

今年も暑いよ、熱波が襲う。
かったるいから思考停止に理性も放棄。
そうすりゃ暑さの元が見えてくる。
二酸化炭素で地球温暖化は国家的詐欺だぜ。
地球が熱くなりゃ儲ける奴が出てくる。熱くなればなるほど金になる。
温暖化はそいつらの陰謀だ。
陰謀だ、陰謀だ、陰謀だったら陰謀だ。
こうして騒げば仲間が増える。
あ~陰謀だったら陰謀だ。
思考停止理性の放棄で生まれるものは、幼稚で殺伐とした陰謀の世界だけ。

いいじゃん、それでも楽しいんだから。
楽しくなければ○○じゃないって、それはテレビ局の陰謀だ。
あ~世の中右も左も陰謀だ。
陰謀さえありゃ問題解決、分かりやすいったらありゃしない。
思考停止も理性の放棄もなんぼのもんじゃい、陰謀だったら陰謀だ。

かくして21世紀の日本社会は自公政府を倒して明るい社会が生まれるどころか、ヨーロッパ中世も真っ青の暗黒の社会へと突入していくのでありました。

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関連タグ : 思考停止, 理性の放棄, 陰謀論, 疑似科学,

ブログを書くようになって、そろそろ7ヵ月になろうとしているが、実のところ自分が書くものを公にすることの難しさを感じることが多くなり、それがこのところ、私を悩ませている。

文章を書くのを商売にしていながら何を今さらと思われるかもしれないが、仕事で書く原稿はあらかじめテーマが決まっており、構成と結論をある程度準備してから書く。いわば目的地が決まっている旅行をしているようなもので、多少の回り道をすることはあっても、最終的に間違いなく目指した地点にたどり着けばそれで完了する。

それに比べてブログは、その性格にもよるだろうが、まったく自分が思ったことや信じていることをそのまま現していく作業になる。その結果、書き手の性格や信条が日々のエントリにダイレクトに反映されていくことになるのだが、これを旅に例えるならば目的地を定めない流浪の旅のようなものということができるのではなかろうか。

何を言いたいかといえば、つまるところ私は学者でも研究者でもなく、専門分野を持つ評論家でさえなく、したがって私が書くことは私自身が手探りをしながら考え、書いているものにすぎないということだ。
それでも、日々の暮らしの中で感じること、興味を引かれたことを思うがままに書いていければ、それは私にとってひとつの認知療法になるのではないかと思っている。
ただし、そう思っているだけでは駄目なのだということに、最近思い至った。

たとえ私のような弱小ブログでも、自分の思いを公にする以上は、私自身の立ち位置をはっきりさせておかなければならない。
つまり、私は専門家でも何でもないが、今の日本社会に生きる一人の大人として間違ったことは考えたくないし発表したくないと思っている。正しいこととは、あえて言わない。私は自分自身を偏頗な男だと思っているし、家族からもしばしば私の言うことは極端だと非難されることがあるからだ。
それでも自分なりに間違ってはいないことを信じて発言し、文章にしていかなければ、私のブログが存在する意味はなくなってしまう。

では、私は何を間違ったこととそうではないものと判断し、自分の考えに受け入れていけばいいのか。

これが非常に難しい。

私はできる限り物事を科学的に見ていこうと思っている。科学的に見るということは客観的に観察・吟味するということで、これの対角線上に位置するのが、いわゆる陰謀論疑似科学の類に属する言説である。
この世の中には常人には考えつかないような悪だくみをしている人間が確かにいるだろうし、今の科学では解明できない事象があることは認める。
けれども、それらが実は世の中を動かし地球のすべてのシステムを左右していると考えるのには躊躇いと疑いを持つ。そうした言説を信じることに対して赤信号を掲げたいと思っている。

他のブログを読んでいて楽しいと感じるのは、今まで知らなかった知識や考え方に触れることができるところにあり、自分には思いもつかなかった視点に気がつくことができたときには年甲斐もなくドキドキするようなこともある。
しかし、それも気をつけておかないと知らぬ間に陰謀論疑似科学の類の泥沼に片足を突っ込むことになる。

私がブログでリンクを張るときに基準にするのは、バイクや落語のように私の趣味と合致したブログ、ネット上で知り合った方もふくめて大人のつき合いができる人が運営するブログ、そして私にとって知的好奇心を与え、私に新しい価値観を提示してくれる貴重なブログの3種に分けられるかと思う。

一方、リンクを張らせていただいたものの、時間が経つにつれて、実はそのブログ主がどうやら陰謀論疑似科学の信奉者ではなかったかと気がつくこともある。なかには陰謀論疑似科学を論じて私など反駁する余地もないほど論理的に語っていることもあるので、暗愚な私はしばらくたってからようやくそのことに気がつく始末だ。
こういうブログにリンクを残しておくのも反面教師として役に立つのかもしれないが、私にとってそれらはいつ足を踏み外すかもしれない危ない橋だ。

私のような者が、いつまでブログを続けられるのかは分からない。できるだけ長く続けたいとは思うが、限りある時間のなかで自分を表現していくのであれば、私なりに間違った方向に進まないよう気をつけなければならない。ブログを書くための羅針盤があればいいとは思うが、結局のところ、自分を導くには判断力と知力を蓄えていく他ないのだ。その二つにおいて、いかにも私は心許ないと言うしかないが、自分が目指す方向を誤り、しかもその修正ができなくなったときには、潔くブログの更新を断念することにしようと思う次第である。

関連タグ : ブログ, 疑似科学, 陰謀論, 科学的, 客観的,

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