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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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1月17日は阪神淡路大震災が起きた日だった。
あれから、もう13年になる。
あの日、東京にいて犬と一緒に朝の散歩をしていた私は、通りすがりの主婦たちが「関西の方で大きな地震があったらしい」と話しているのを耳にした。
それが私にとっての第一報だった。

しばらくしてテレビをつけた私の目に飛び込んできたのは、さながら怪獣が荒らし回った後のような光景だった。ビルは倒れ、高速道路が崩れ落ち、そして多くの家々が無惨なまでに押し潰されていた。やがて、倒壊した家々の中から火の手が上がり、炎が壊れた街を舐め尽くしていった。

ニュースもワイドショーも、毎日地震の現場から、悲惨な状況を伝えていた。
悲嘆に暮れる人、泣きくずれる人、呆然とする人、家族の名を呼び続ける人。
それはまるで内戦があった街のようだった。悲しみと、やり場のない憤りに満ちた光景だった。

あれから13年がたつ。
思えば、阪神淡路大震災以後も、日本は大きな災害に見舞われてきた。新潟を襲った二度の地震。洪水、土砂災害、台風。そのたびに人々は痛手を負い、それでもなんとか立ち直ろうと努めてきた。
1月17日は、そうした辛い体験、辛い日々を日本全国が新たに思い出し、祈りを捧げる日だ。
阪神淡路大震災
私は幸いなことに、これまでのところ、こうした大災害には遭わずに済んできた。
しかし、この日が近づくと、私は重い気分に浸される。震災で亡くなった人々のこと、破壊された町や村のことを思い出すのが辛くなる。気分が沈む。
1月17日は、私にとって、とてもヘヴィーな日なのである。だから私は、あまり震災特集のような番組は見ないようにしている。痛手を受けた人々に対して、軽々に哀悼の言葉を口にすることが出来ない。口にすれば、涙があふれそうになる。そして私は、素直に涙を流すことを潔しとしない人間なのだ。人前で泣くことなど、可能な限り避けたいと思ってしまう人間なのだ。泣きたいときに泣ければいいとは思うのだけれど。

昨日の晩、NHKがプレミアム10「震災13年・勇気をくれた心の歌」という番組をやっていた。
阪神淡路大震災、新潟県中越地震と中越沖地震、そしてスマトラ沖大地震による津波の被災者たちをとりあげ、それぞれの思いと自分たちを支えてきた歌について語った。
そのなかで印象に残ったのは、阪神淡路大震災に遭った女性が「あのときのことは、これ以上言えない。泣いてしまうから」と笑顔を浮かべながら話す場面だった。
そして紹介されたのはソウル・フラワー・ユニオンというグループが歌う「満月の夕(ゆうべ)」という曲だった。

「風が吹く港の方から/焼け跡を包むようにおどす風/悲しくてすべてを笑う/乾く冬の夕」

神社で行われたミニコンサートには、あの女性も席に並び、じっと耳を傾けていた。そしてあふれ出す涙をしきりにぬぐっていた。

「ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る/ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る/解き放て 命で笑え 満月の夕

悲しくてすべてを笑う、解き放て命で笑え。
「笑う」という言葉と件の女性の表情が重なった。
この歌詞にある「笑う」は、「泣く」と置き換えられる。しかしこの「笑う」は、深い悲しみに身を震わせた後、涙の替わりに訪れる笑いなのだ。
人は、ほんとうに悲しいときには、かえって笑ってしまうのかもしれない。
鼻の奥がジーンとしてくる。涙があふれそうだ。こういうときは、素直に涙を流した方が楽になれるのだが。

地震があった朝、2階に上がった直後に家が揺れ、1階が押し潰されたという音楽の教師が紹介されていた。「自分はなぜ生きているのだろう。生きていていいのだろうか」。自分を責めた。
その思いは、生き残った被災者に共通のものだろう。子どもを失った母親。弟を亡くした姉。孫を失った祖母。みな深い悲しみを背負って生きている人々だ。
生き残った人々が神戸の街に灯るルミナリオンを訪れる。無数の電球の輝きは、亡くなった人々の命の灯であり、生き残った人々にとっては希望の光と映る。

神戸ルミナリオン
「自分はなぜ生きているのだろう」
その問いは、被災した人だけが持つわけではない。生きている人間の多くが、自分に向かって問いかける問いでもある。そしてその答えは容易に見つからない。
番組では、音楽教師が作詞・作曲した歌が紹介され、「亡くなった方々のぶんも大切に」生きて行かねばならないと訴える。
それはたしかにそうだ。
しかし、亡くなった人々の分を請け負って生き続けるには、この世はあまりに辛い。

この13年は天災に遭わなかった人々にとっても、大きく社会が変わり、多くの人の生活が奪われていった13年間でもあるのだ。そのなかで「自分はなぜ生きているのだろう」という問いかけに、明快に答えることは難しい。

せめて――。
あと何年か、何十年かした後に、「生きていてよかった」と思えるようになるために生きたい。
そう考えると、まだまだ安易に涙など流してはいられない。しかし、涙を裏返して、この世の中を笑って生きていきたいと思う。
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昨夜たまたま見たNHKの「クローズアップ現代」が、なかなかよかった。
太平洋戦争開戦のきっかけとなった、真珠湾攻撃に参加した特攻隊員をふくむ元日本軍兵士と、真珠湾で攻撃された側のアメリカ軍兵士たちとが終戦後63年を経て再会、真珠湾に近い球場で野球をするというものだった。
敵味方に分かれて闘った日本人とアメリカ人。今では平均年齢80歳となっている。
それでも、戦争が終わった今ならお互いに顔を合わせ、たとえ話し合うことは出来なくても、野球をすることなら出来るのじゃないかとアメリカ側からの呼びかけがあって実現したという。

ともに戦争が始まる前は野球を愛する少年たちだった。
それが戦争が始まったために、見ず知らずの相手と殺し合わなければならなくなった。
特攻隊として仲間を何人も失った日本人。レイテ島の激戦で、アメリカ軍の攻撃にさらされながら、目の前で仲間が餓死していくのを見てきた老人。
彼らのなかには、敗戦以来、アメリカで作られたものは口に出来ないと、かたくなにアメリカ産の食材を拒んできた人もいた。戦後63年と言ってしまえば簡単だが、戦争を経験した人にとっては忘れようにも忘れられない重荷を背負った63年だったのだ。

事情はアメリカ人たちも同じで、日本軍の攻撃で負傷した人、ゼロ戦の攻撃を受けて乗り組んでいた艦船が撃沈され、一度に数百人の仲間を失った人もいた。
彼らの一人は言う。
「誰も人を殺したいと思っている人間はいない。けれども、戦争とは国と国とが戦い、殺し合わなければならない状況を生み出すのだ」

試合前日、彼らははじめて顔を合わせ、一緒に食事をするのだが、なかには打ち解けることが出来ず、黙々と食べるだけで時間を過ごした人もいた。人生の終盤にさしかかった彼らは、はたして自分が体験した悲惨な戦争体験を乗り越えて、かつての「敵」と語り合うことは出来るのか。

翌日、ユニフォームを着て試合が始まると、しだいに互いの気持ちが近づき始める。
戦争には負けたが、この試合では絶対に勝つと臨んだピッチャーのお爺さんは、ホームランをふくめヒットを何本も打たれてしまう。
結局、試合は14対2でアメリカ側の圧勝に終わる。
けれども、試合後の選手たちの顔は和やかだった。
アメリカ産の食べ物は口にしなかったという人も、自分たちを攻撃していた側のアメリカ人と握手して、「お互いに大変だった」と話し合う。
ライフルをバットに持ち替えてゲームをした彼らは、ここで心を通い合わすことが出来たようだった。
そして、彼らは一様に、アメリカ側の人々と会えてよかった、63年間のわだかまりに決着がつけられたと喜ぶのだ。
「できれば、20~30年早く会いたかった」
「でも、生きていて良かった!」と、たがいに固い握手をして語る。

見ていて目頭が熱くなった。
死んでしまっては、こうしてかつての敵と味方が手を握り合い、打ち解けるチャンスもないのだ。

生きていてよかった。

そう思えることの大切さが、しみじみと伝わってきた。
戦争体験はないけれど、自分だって80歳ちかくまで生きることが出来たなら、そのときには
「生きていてよかった」
と思えるようになりたい。

日本は今、戦争でもないのに毎年自殺者を3万人以上も出し、餓死者も100人ちかく出している。けっして生きやすい世の中ではない。
そのなかで、どうやっていけば、最期に「生きていてよかった」という言葉が出てくるのだろう。

このところ、原稿を書く仕事がたまっているのだが、どうにも手をつけることが出来ずにいる。
仕事をしようとしても気持ちが向き合わない。そのうち動悸が激しくなってきて、机の前にいるのが辛くなる。
また始まった。
自分の怠け病なのか、それとも「うつ」の症状が出てきてしまったのか。
こうして思いつくままに文字を連ねることならばできるのだけど、仕事として原稿を書く作業は、同じ文章を書くとは言ってもまったく違った作業といえる。
だからできない、というのも自分に対するエクスキューズのような気がする。
いったい、どうしたらいいのだろう。

この分では、とうてい、「生きててよかった」などと言うことはできそうもないのだ。

関連タグ : クローズアップ現代, 生きる, テレビ,

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