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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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サマータイムの導入が検討されたのは小泉内閣当時のことだったかと思う。
春から夏にかけて、日照時間が長くなるのを利用し、時計を1時間早く戻す。その方が一日を有効に利用できるという考えが基本だった。
しかし、大方の国民から見れば時計の針を1時間戻し、今までより早起きするようにしたところで寝不足になるばかりだろうという冷めた見方が大勢を占めていたように思う。
早起きして早くから仕事を始め、終業時間も早くする。
しかし、実際にはずる賢い経営者が多いこの世の中だ、始業時間だけ早めて就業時間は変えない企業が続出したのではないだろうか。サマータイム手当などとわずかばかりの額を給料に上乗せするだけで、実質的には強制的に長時間労働を課すのに役立てられるばかりだったのではないだろうか。

以上は私のつまらない妄想だが、実際、時計の針を戻したところで人間の体は容易に時計通りに生活のリズムを順応させることはできないものである。
それはもう、すでに私が実証済みだから間違いない。

それというのも、わが家には4匹のがいて、このたちが夜明けが日毎に早まるこの時期になると有無を言わさずサマータイムを導入してくれるからだ。

幸か不幸か私はたちに好かれており、家族の中でも序列はいちばん高いところに置いてもらっているらしい。
そのため、家の中であればどこであろうとたちは私のそばから離れようとしない。
ソファに座ってテレビを見ていれば足下に4匹が私を取り囲むようにして寝そべり、そのうちあわよくば私に抱かれようと隙をうかがっている。私が油断しようものならひょいと飛び乗って私の腿をベッドにゆっくりと眠りに入る。なるべくそんなことはしたくはないのだが、難儀なことに私はちょくちょくに対して隙を見せてしまうので、私はソファに座るときはかなりの確率でを抱くことになる。

風呂に入れば脱衣場に入ってきて、私の脱いだ服を敷いて横たわる。犬が入ってこないようにドアを固く閉めて風呂に入ると、犬は風呂場のドアの前で私が出るのを待っている。

そして夜ともなれば、犬たちは当然のように私のそばに寝たがるのだが、さすがに寝室にまで犬4匹を入れる気にはなれないので、わが家では寝室のドアの前に犬用の寝床を広げ、そこで眠らせるようにしている。なに、寝床と言っても古くなった夏掛けなどを折りたたんで敷いてやるだけだ。夏になって暑くなれば、布団に変えてアルミの板などを置いてやる。犬たちはそれぞれに気に入った場所で一晩を過ごしている。

さて、それで困っているのはこの3月から4月にかけて夜明けが早まってくるにつれ、犬たちが目覚める時間も早くなってくるらしく、目が覚めると私にも起きろと鼻を鳴らしたり寝室のドアをカリカリひっかいたりするのである。
冬の間は、犬たちも平気で7時近くまで熟睡していたものが、最近では犬の立てる音に目を覚まして時計を見ると5時半だったりする。
犬たちにしてみれば明るくなったのだから散歩に出かけ、早いところエサにありつきたいということなのだろう。

しかし、犬に誘われるまま5時半に起き出していてはこちらの身が持たないし、第一それでは飼い主としての示しがつかない。
そこで私は犬が鼻を鳴らしても素知らぬふりでもう一度眠りに入る。
だが、犬も容易に諦めるものではなく、何とかして私に起きてもらいたいと騒ぎ続ける。
そして私もついには根負けして、体調が良ければ6時頃に起き出して散歩に出ることにする。
体調が悪く、起きるのが辛いときでも6時半頃には起きている。

つまり、この季節になると私は犬によって強制的にサマータイムを導入せざるを得ない状況になるのである。

これで小泉純一郎が狙ったように、私の一日が効率よく時間を使うことができれば文句を言う必要はない。
しかし実際には、無理矢理起こされると睡眠を邪魔された不快感が残り、寝不足のボーッとした状態が続く。
犬を散歩させ、望み通りにエサを与え、ついでに鳥のケージを掃除したりエサやりをしていると、いつの間にか1時間半から2時間近くが過ぎている。
それから朝食をとるのだが、その頃になると私は大概気分が悪いというか、とにかく調子が悪くなってきて起きていられなくなる。我慢できなくはないが、我慢をするとその不調を一日引きずることになる。だから、私は気分が悪くなってくると家族に告げてもう一度寝床に入ることにしている。そうして1時間から2時間眠るのだ。

ほんとうはこんなことはしたくない。
せっかく起きたのにもう一度床に入るのは、自分としては許し難い行為で、時間を無駄にしているとしか思えない。
けれども起きていれば気分が悪いためにもっと時間を無駄にすることになる。
私は頭を掻きむしり、チクショー何でこうなるんだと呻きながら、2度目の睡眠に入る。

もし犬たちが騒がず、わが家のサマータイムが導入されていなければ、私は邪魔されることなく睡眠を続け、適当な時間に気持ちいい目覚めを得ることができるのだろうか。
それは何とも言えない。
犬を飼いはじめてもう何年にもなるが、そしてここ数年の間、私は毎日簡単な日記をつけているのだが、この時期の日記を読み返すとこの時期はずっと犬に起こされて気分が悪い、調子が悪いと行った記述ばかりが続いているのだ。

ことほどさようにサマータイムなど導入したって人間の体はそう単純についていけるものではないのだ。
一日を有効に活用するだって?
冗談じゃない。
それより安心して眠れる生活の方がずっと大切だよ。
そう思いつつ、私は今日も犬たちを恨めしい目で見つめるのである。

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関連タグ : サマータイム, , 睡眠,

小泉毅
なんとも悩ましい結末を迎えたものである。
いや、これがほんとうの結末なのか、ほんとうのところはまだ断定できないのだが。
元厚生事務次官宅連続襲撃事件で逮捕された小泉毅については、背後関係など今後も捜査されていくだろう。私は当初、コイズミは政府官僚組織に圧力をかける意図を持った右翼団体が使った鉄砲玉なのではないかと思っていた。
ところが、今のところではあるが、明らかになったのはコイズミが34年前に飼っていたの「チロ」が保健所に渡され、殺処分されてしまったことに対する恨みが動機だったという脱力ものの結末である。

それにしても34年間もを殺された恨みを忘れず、大学まで行きながら「政治家が悪いと思っていたら、大学に行ってから高級官僚が悪だと分かった」と言うコイズミは、はたして大学で何を学んでいたのだろう。
たしかに殺処分されてしまったは可哀相だが、その仇討ちの相手が政治家ではなく官僚だと方向転換させてしまった教育とはいったいどんなものだったのだろう。もしコイズミが大学に行かなければ、彼は政治家が悪いと思い続け、チロの死から34年たった今年、晴れてどこぞの政治家を血祭りに上げたのだろうか。
現実になかったことを想像しても意味はないのだが、それでも想像をたくましくすれば、厚生官僚を襲ったコイズミのことだから、厚労省の政治家、舛添要一あたりが狙われたのだろうかと思ってしまう。考えようによっては舛添をはじめとする自民党の政治家たちは毎年2200億もの社会保障費を削り、後期高齢者医療制度などの悪政を行って日本の老人たちを、それこそ保健所に入れられた不要なのように扱っているのだから、コイズミの狙いは正しかったと言われたかもしれない。

しかし現実には、の殺処分には何の関係もない人々が被害に遭ったわけで、コイズミの頭のネジはどこかで締め間違えてしまったとしか思えない。

現実に目を戻してコイズミが取った行動を見てみるならば、彼はのチロの仇を討つのなら、元厚生次官を襲ったことが間違いだっただけでなく、保健所に恨みを持ったこと自体誤りだったことを思い知るべきである。
なぜなら、保健所は意味もなく犬を捕らえて殺しているわけではなく、むしろ無責任な飼い主が飼育を放棄してしまった犬を一時的に預かり、引き取り手が現れるのを待ち、それでも引き取られない場合にやむを得ず哀れな犬たちをガス室に送るのである。この一連の流れで誰を責めるべきかと言えば、一番手は何と言っても無責任な飼い主だろう。

私はコイズミの家庭がどんなもので、その父親がどんな人格だったかを知るものではないが、もし34年前にコイズミの父親が犬を保健所に“棄てる”のを思いとどまり、なんとか飼い続ける努力をしていたならば、今回の事件は起きなかったのかもしれない。
そう思うと非常に残念である。

同時に、あらためて思うのは、犬猫を合わせて年間50万匹もの数が、大半は人間の自分勝手な理由のために命を失っている現実があるということだ。
先日も東京・八王子で十数頭のチワワが棄てられているのが発見、保護された事件があった。ひところ流行ったチワワ・ブームに乗って繁殖させた無責任なブリーダーが、ブームが去ったか犬たちの繁殖能力が落ちたか、いずれにしても身勝手な理由で飼育を放棄し、犬を置き去りにしたのである。
チワワだけではない、漫画がもとでハスキー犬が流行ればハスキー犬が大量に取引され、ゴールデンリトリーバーがいいとなるとどこのペットショップにもゴールデンの子犬たちが店頭に並ぶ。そうして人間の手で無理矢理繁殖させられた子犬が金で取引され、行き着いた家庭で可愛がられて一生を送れるならばまだ文句はない。
しかし現実には、散歩するのが面倒だから、無駄吠えが多い、子供に噛みついた、年を取って面倒が見られないといった理由で簡単に犬を棄てる人間が後を絶たない。要らなくなった犬は、子犬ならば段ボール箱にでも入れて空き地にでも放置するが、大きくなった犬は家に帰ってこられないように動物管理事務所などの施設に棄てに行く。
現在は管理事務所も簡単には連れ込まれる動物を受け入れないようにしているのだが、それでも現実には数多くの犬や猫たちが犠牲になっていく。

コイズミは、ほんとうに愛犬の仇を討ちたいと思ったならば、まずは愛犬を保健所に渡した無慈悲な父親と、それから無責任な飼い主を片っ端から捜し出し、それらを血祭りに上げるべきだった。こんなことを書くのは人道に反することだが、コイズミはすでに人の道を外れたことをしてしまったのだ。どうせ外すならば、正しく道を外すべきだったのではないか。

罪もない人を殺したり傷つけたりすることは悪いことである。
それと同様に、動物を虐待したり棄てたりすることも悪いことである。

今度の事件が政治的背景とは無縁なものであるのならば、それで事件は一件落着とするべきではない。
次は日本の動物愛護の在り方が問われるべきだろう。

コイズミの犯した犯罪は政治テロではなく、原因がチロであったとしても、問題の深さには変わりがないのである。

関連タグ : テロ, , 仇討ち, 動物愛護,

「でも、犬を飼っていると癒されますよね」

私がはじめてその精神科を訪ねたとき、診療に先立ってソーシャルワーカーが身辺のことなどを細かく質問してきた。
そのなかで、私は以前通院していたメンタルクリニックで処方された薬のために躁状態になり、家族の反対も顧みずに犬を買ってしまったことを話していた。

「ええ。たしかに犬はかわいいと思います。でも、その犬を買う前に、ウチには3匹も犬がいたんですよ」

私の前に座っている男は、なるほどとうなずいて一生懸命にメモを取っていた。
彼はどう思っているのだろう。やはり異常だと感じただろうか。
私にしてみれば、犬を3匹飼うのも4匹飼うのも、それほど違いはないと思っていた。

ただしそれは大きな間違いで、犬というやつは平等に愛してやらなければ焼き餅を焼く。
一匹を撫でてやると、他の3匹が寄ってきて自分も撫でろと体を押しつけてくる。
頭数が一匹ふえると、それだけ愛情の量も増やさなければならないし、その配分にも気を遣わなければならなくなる。これでなかなか、神経がくたびれるものなのだ。

もちろん、かわいいやつだ。みんな可愛いさ。
しかしな。

我が家にいる犬たちは、小型犬といわれる部類に入る。それでも一匹10キロ程度の体重がある。
子犬の頃から抱いて育て、病気が心配なときには枕元において寝た私は、犬にとってはボスであると同時に母親のようなものでもあるのだろう。
4匹とも成犬になった今も、ことあるごとに私に抱かれようとする。
1匹を抱き上げると、もう1匹も抱けとやってくる。さらにもう1匹が、自分はどうなるのだと、私を見上げる。

私は鬱のせいなのか、もともと不足している能力が老化してきたからなのか、この頃はアタマの体力が弱くなってきた。ひとつのことを根詰めて長時間考えていられなくなってしまった。考えなければいけないときには、しだいに頭が重くなり、自分でもオーバーヒートしそうだと感じる。そうなると思考は機能しなくなり、私は呆然とディスプレイの前に佇むか、意を決して布団に潜り込むしかなくなる。

そうやって多少はリカバーしたとしても、なかなか脳は考えようという意志を持とうとしてくれない。
まったく困った体質だと思う。
そんな無様な自分にうんざりしながらも、やはりどうにもならなくて、私はリビングにあるソファにしばらく身を沈めようとする。そうしてじっと目を閉じる。

すると、ものの数分としないうちに、ドシンと鈍い衝撃がはしる。私は小さくうめく。
犬が私の体に飛び乗ったのだ。飛び乗った犬は満足したように私の体の上に横たわり、眠り始める。
しばらくすると、もう一匹、こんどは今年9歳になる老犬が、自分では飛び乗ることができないから抱き上げてくれと哀しそうな声を出して訴えてくる。
私は無視しようとする。
犬はあきらめない。

私は、結局負けてしまう。

犬をよっこらしょと抱き上げて、すでに横たわっている犬の隣に寝かせてやる。
犬は満足げな様子だ。
そりゃそうだろうさ。
私だってゆっくり柔らかなクッションの上で気持ちよく体を伸ばして寛ぎたい。
そうこうしていると、のこりの2匹が足下に来て私を見上げる。

「もう満員だよ」

私は諦めるようにいう。
犬も、私の体の上の状態を見て仕方ないと思うのか、脚の間に寄りかかって体をまるめる。
ときには諦めずに2匹の犬の間に飛び乗ってきて、私の胸板に尻を乗せることもある。

ソファで頭が回復するのを待ち、緊張を解きほぐそうと腰を下ろした私は、20キロ以上ときには30キロもの重しを抱えて結局少しも寛ぐことができず、しばらくするとその重みに耐えかねて立ち上がる。

犬を飼ってると、癒されるだろうって?

そりゃ癒されるとも。

でも、犬たちだって人間から癒されているのだ。
彼らはなにかしらエネルギーを与えてくれているかもしれないが、容赦なく、こちらからもエネルギーを奪っていく。
いいさ。お互い様だもの。

しかしなあ。
俺だって、のんびりとリビングで体を伸ばし、誰にも邪魔されずにひっくり返っていてみたいよ。

犬のように、何も考えず。



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実をいうと、私はジプシーである。

ドッグフード・ジプシーという名のジプシーである。

前にも書いたことがあるが、わが家にやってきた4匹目のワンコ(フレンチブルドッグ)は、アレルギー体質をもっている。
そうとは知らずに買ってしまったのだから仕方がないが、なんとも厄介なワンコを迎え入れてしまったものだと思う。
アレルギーとわからないうちは、他の3匹は何でもないのになぜ彼(すでに去勢しているのだが、いちおう名誉のため彼と呼んでおく)だけが、いつ見ても目にはどでかい目ヤニがたまっているし、耳の中が臭いのだろうと思っていた。垂れ耳のパグは比較的外耳炎になりやすく、わが家のパグたちも1、2度薬を処方してもらったことがあるけれど、彼の耳は臭すぎた。

病院に連れて行くと、医者は言った。
「ああ、ひでえ外耳炎だ。だけど、何でこんなに風通しがいい耳なのに外耳炎になるかなあ」
ブルース
ご存じの方が多いだろうが、フレンチブルドッグの耳はピンと立っているのが特徴で、見た目はこれ以上ないほど風通しがよさそうな形をしている。
とりあえず、そのときは抗生剤と耳の洗浄液をもらってきて、一週間か十日ほど薬の服用と一日2回の耳クチュクチュを続けた。おかげで何とか症状は治まってきた。

ところが、しばらくするとまた耳が臭いだし、今度は体中を掻きはじめた。掻きすぎて、お腹が禿げてきてしまった。で、また病院。
「ああ、これはアレルギーだね」
はあ、やっぱりそうか。
「完全に治すには、アレルギーの原因物質を調べなくちゃならないけど、その検査はけっこう面倒なうえに高くつくんですよ」

思い返せば、これが私のジプシー生活が始まったときだった。
アレルギーを治すには、アレルギー反応を起こす物質を体に入れないようにするのがいちばんだ。このとき、病院ではステロイド剤も処方されたが、あまりこの薬には頼りたくない。
とすれば、大事になってくるのは食べ物。エサである。
ところが、病院が勧めてくれたフードは、私にとっては目の玉が飛び出るほど高いものだった。それまでパグたちと一緒に食べさせていたフードの、優に7倍くらいするものだった。
パグたちにだって悪いものを食べさせていたわけではない。サイエンスヒルズとかアイムスのラム・アンド・ライスを与えていた。これらのフードだって、いちおうアレルギーが出にくいとされている素材を使っているはずなのだ。
でも、フレンチの彼にはそんなものではなく、タンパク質を厳密に調整したフードが必要で、それがやたらめったらに高価ときているのだ。

それでも、しばらくの間は医者が取り寄せてくれる処方食を買って食べさせていた。だがこれから先もずっと、このバカ高いフードにしなければならないというのは正直なところ、大きな負担だった。数ヶ月続けたところで、ひとまず様子を見ることにしますと獣医に言った。
そして、私は他にもっといい方法はないかと調べ始めた。つまり、もっと安くてアレルギーを起こさずにすむフードはないかと探すことにしたのだ。
調べた限りでは、手作り食にするのがいちばん安全らしいことがわかった。
手作り食にするなら他のワンコたちも同じものにしてやらなければ承知しないだろう。パグは食い意地が張った犬なのだ。フレンチも負けてはいないが。
けれども、厳密に栄養素をそろえて食事を作る手間、そして作った食事を保存する手間を考えると、怠惰な私には「ちょっと無理だな」と思わざるを得なかった。無理なことは続けられないに決まってる。

それではベストではなくともベターな方法を執ろうと考え、いろいろなドッグフードを調べてみた。
ドッグフードと一口に言っても、ピンからキリまで、ほんとにたくさんの種類の商品が出回っていることには驚かされる。
そのなかから「手頃で、しかも体によく、アレルギー物質をふくまないもの」を探し出すのは至難の業だ。ネットを見ていくと、可愛いワンコたちのために何を食べさせたらいいのか悩んでいる飼い主たちがけっこう多いらしく、2ちゃんねるでもドッグフードのスレが何本も立っていた。最適のフードを求めて思い悩む飼い主を揶揄してドッグフード・ジプシーと呼んでいたが、私もまさしくその一人なのだった。
これはと思ったフードのメーカーのHPを調べ、ワンコたちに必要な栄養素をふくみながらアレルギー物質がないものかどうかを調べる。でも、絶対にいいものかどうかは食べさせてみなければわからない。とりあえず、これはどうかと思ったものを通販で手に入れた。

食付きはすこぶるいい。便の状態も良好だ。これならいけるかもしれないと思った。しかし2月たち3月たっても、彼の状態は変わらなかった。耳の状態はずっとよくなったが、相変わらず目ヤニは出るし、体中掻きむしっている。そのうち、掻きすぎて自慢の耳がハゲちょろになってしまった。
私が試していたのはアメリカで作られている、一応プレミアムフードと呼ばれているものだったのだが、値段ばかりがプレミアムで、彼に合ったフードはみつからない。その後もいくつかの銘柄を試してみた。

そうこうしているうちにアメリカで大問題が起きた。
中国産の原料を使用したフードを食べた犬や猫たちが死亡する事件が相次いだのだ。
今思えば、毒入りギョーザパニックは、このときに予見できたものなのかもしれない。ニュースにもなったこの事件は、私をふくむ愛犬家たちを大いに心配させた。すぐれたフードとして輸入されていたフードは多くがアメリカやカナダから輸入された製品だったからだ。

中国の業者が製造していたフードにはプラスチックの原料として使われる「メラミン」という化学物質が混入されていた。この物質が入っていると、タンパク質含有量を高く見せかけることができるのだという。摘発された製品には、「最低含有率75%」と表示されていたという。毒入りフードを販売していたメーカーにはけっこう有名なところもあり、私も一時その商品を使っていたことがある。
あわててメーカーのHPを見たが、そこには日本に入ってくる商品には危険物質はふくまれていないという報告があった。

しかし、ドッグフードに対する不安は高まるばかりだった。加工されて粒状になったフードを見て、どれがいいものなのか判断することは不可能だ。とすれば消費者はパッケージにある表示に頼るしかない。それが今、信じられなくなってきているのだ。
幸い、日本では中毒死する犬や猫の報告はないようだが、アメリカでは今月6日、ミズーリ州の連邦大陪審が原料を製造した江蘇省のメーカーなど中国企業2社とネバタ州の輸入業者を起訴した。
産経ニュースでは次のように伝えている。
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 食品医薬品局(FDA)が同日発表したもので、3社の経営者らも同時に起訴された。3社は共謀して、米国で使用が禁止されている化学物質メラミンを混入した原料を「小麦グルテン」と称して800トン(85万ドル=約9000万円相当)を米国に輸入した疑い。中国当局の検査を逃れるため偽の申告もしていた。

 メラミンを混ぜると原料のタンパク質含有量を高く見せることができ、製品には「最低含有率75%」と偽表示されていた。この原料を使いカナダのメーカーが製造したペットフードで昨年3月以降、イヌやネコが大量に中毒死していたことが発覚した。

 中国政府はこれら中国企業2社を営業停止処分にするとともに責任者を逮捕。このペットフード禍は中国製品への消費者不信が広がる契機となり、その後も、有毒練り歯磨き粉のほか、抗菌剤が検出された魚介類の輸入禁止、さらには鉛が混入した玩具の大量回収と波及していった。

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まったく、とんでもないことをやってくれるよ、中国は。ほんとに彼らは金のためなら何でもやるようでコワイ。
幸い、この数ヶ月使っているフードは彼にとってよかったようで、この頃はほとんど目ヤニがつかなくなったし、体臭もきつくなくなってきた。ハゲちょろはまだ治らないが、真っ赤になっていたアゴの下もきれいになってきている。
わが家では、去年からメスのパグが膀胱炎を起こしやすくなり、今はそれこそ病院の処方食に頼っている。これも高いが仕方がない。
しばらくはこの処方食と、フレンチ君に相性がよさそうなフードの2本立てでいくことになりそうだ。

そして最後におまけ。
20日の朝日新聞朝刊にこんな記事が出ていた。
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ペットフードの安全性を確保するため、政府が今国会に提出する予定の新法案の内容が19日、明らかになった。国がペットフードの製造方法・表示の基準や成分の規格を設定し、合わない場合には製造などを禁止、有害物質が含まれれば廃棄や回収を命令できるようにする。違反すると、個人には1年以下の懲役か100万円以下の罰金を、法人には1億円以下の罰金を科す。
 法案は「愛がん動物用飼料の安全性の確保に関する法律」。対象動物は政令で定める。当面、ペットフード流通量が多い犬と猫を想定している。

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動物を飼う側からすれば、遅すぎる政府の対応だと思うが、まずは明るいニュース。
これでドッグフード・ジプシーも少しは減るのだろうか。

関連タグ : 中国製, ペットフード, , アレルギー, 中毒,

ウチには4匹の犬がいる。
2匹は今年9歳になるパグのオスとメスで、夫婦犬。7年前に5匹の子犬を生んで私が取り上げ、そのうちの一匹を家に残している。
もう1匹は5年前、私がパキシルという薬を処方されたときに躁状態になり、家族の言うことも聞かずに劣悪な環境にあったペットショップから買い取ったフレンチブルドッグのオスである。
家に来てすぐ、寄生虫のために死にかけたり、ひどいアレルギー体質で病院の世話になったりと、育てるためには金も手間も相当かかった。家人には今でもときどき「なんでこの犬を飼おうと思ったの?」と問われるが、そのときは犬を見て、飼うことしか考えられなかったのだから仕方がない。
もちろん、今ではかわいい家族の一員としての座を獲得している。

人が見れば愛犬家と思うことだろう。しかし、犬4匹を飼うというのはもちろん楽しいけれども大変なことも多いものだ。だから私は、うかつに他人に犬を飼うことを勧めようとは思わない。前にも書いたが、動物を飼うにはそれなりの覚悟が必要だからだ。癒しを求めるだけでは決して動物は飼えないし、飼ってはいけないと思っている。このことについては、また改めて書くつもりだ。

梅太とこもも

今回書こうと思うのは、年老いてきた2匹の犬たちのことだ。
犬も7歳を超えると老犬の部類に入れられる。
それに合わせたかのように、メス犬が膀胱を悪くした。メス犬には多いらしいが、石ができやすくなったり細菌に感染しやすくなって、そのたびに病院から抗生物質をもらわなければならなくなった。石の方は、尿がアルカリ性になるとできやすいらしく、酸性に保つための処方食を食べ続けなければいけないことになった。
この処方食が結構高い。そして、膀胱が細菌感染すると膀胱炎を起こして頻尿になるので、オムツもしなければならない。
精神的にも経済的にも結構な負担である。

つれあいのオスは、子犬の頃からしつけのしやすい犬で、ほとんど粗相をしたことがなかった。わが家ではいちばんの優等生である。
ところが、この犬が最近どうも呆けてきた。一日中ストーブの前で寝ているが、急に起き出すと誰もいない方を見て吠え始める。散歩をしていても突然吠えだして驚かされる。周囲には何もないのに。
そして、このごろ、頻繁に糞を粗相するようになった。我慢がきかなくなったようで、朝起きると散歩に出掛ける前に家の中でしてしまう。
「お前も呆けてきてしまったのか?」
私は犬を抱き、頭をなでながら聞いてみる。犬は黙って目を閉じている。

家の中で飼育されるようになり、栄養状態も良くなったおかげで、犬の寿命も最近は伸びていると聞く。パグの場合は平均12歳と本に書いてあったが、知り合いの家では15歳まで生きたパグがいた。もう両目が見えなくなっていたが、最後までカクシャクとしており、眠るように息を引き取ったという。

さて、ここで私も考えなければいけないのは、犬たちの老後のことだ。
わが家の犬たちも最後まで元気に過ごし、苦しみもなく眠るように逝ってくれれば、淋しいけれど飼い主としての責任は果たしたと思えるだろう。
しかし、慢性的な病気を抱えたり、あるいは本格的な痴呆がはじまってしまったら、どうしたらいいのだろう。犬たちの面倒を見るのはもっぱら私の役目だから、何とかしなければならない。
しかし、介護は大変な問題だ。

家には90に近い老人がいる。カミサンの母親なのだが、昨年の半ば頃から急に呆けてきた。
まず排泄がうまくできなくなり、トイレや家の中を汚すようになった。オムツを使うようになったが、しばしば洋服を汚したり布団に漏らす。一時は家中にその臭いが広がり、義母がそばを通ると思わず顔をしかめずにいられなかった。汚れたものがあっても自分では始末をしないので、悪臭に耐えられず、私は悲鳴を上げた。カミサンはパートに出ており、十分な世話ができずに困っていた。
悪臭と痴呆が始まった老人の存在は、正直なところ、私にとって大きなストレスだ。

その後、義母は介護認定で要支援2となり、施設のデイサービスを受けるようになった。
秋にはカミサンもパートを辞めて、母親の介護に専念できるようになった。
義母は、一度、肺炎で入院し、さらに痴呆が進んだ。同じ部屋にいる老婆たちを見回して、「あれはみんなお父さんが囲っている女だ」と娘に話したという。昼夜の別がわからなくなり、テレビは好きだがスイッチの入れ方がわからなくなった。
退院後の介護認定で、今度は要介護3になった。デイサービスは変わらず受けているが、要介護になった分支出が増えた。年金で賄っているが、オムツ代などを差し引くと後にはほとんど残らないとカミさんは言っている。ポータブルトイレを購入し、部屋で用を足すようになったが、その始末はカミサンがする。文句を言わずにやっているが、その負担はかなり重い。そして相変わらず、家の中には老人の糞尿の臭いがかすかに漂っている。

犬の介護とヒトの介護。
それが自分の愛犬であり、自分の親であれば、その面倒を見るのは当たり前であり、人間の美徳とされるのかもしれない。
けれども、介護の問題はどこまでも重くのしかかる。
この先、私はこれまで愛してきた犬たちの最期を看取ってやれるのか不安だ。
衰えていく一方の母親を、カミサンはどこまで看てやれるのか、また看てやらねばならないのか、それもまた不安の種だ。
ことに人間の場合、今の制度では個人に対する負担が大きすぎる。親の世話をするのは当たり前だという建前だけでは持ちこたえられるものではない。経済的に、精神的に、介護問題は家族を縛り、追い詰めていく。
全国で、介護の果ての親殺しや心中が後を絶たない。しかし世間を騒がす悲惨な事件は、決して他人事ではない。介護とは、それ自体、すでに悲惨なのだ。

人間ならば、殺せば事件になり罪を負うことになる。
しかし犬の場合、「処分」されてしまう数はどのくらいになるのだろう。それを想像すると、ぞっとする。自分がその手の解決にはしらずにいられるかを思うと不安になる。
「お前のことが、大好きだよ」
そう思っていられるうちに、安らかに逝ってもらいたいと、わが年老いた犬の顔を見て思うことが、このごろ多くなった。

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