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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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最近、思わず笑ってしまったテレビでの会話。

「吉永小百合って、いつまでたってもきれいだよな」
「あれ、CGだろ」

たしかに吉永小百合という人はいつまでも変わらない。本物はどうなのか知らないが、テレビで見る限りではシワらしいシワも見あたらない。年を取れば誰しも皮フがたるみ、重力に負けてあちこちが垂れ下がってくるものだが、テレビで見る限り、吉永小百合の肌はいつもピカピカのツルツルだ。

実はCM業界では知られていることだが、吉永小百合はとっくに引退しており、今画面に映っているのは過去の映像を元に作られたCGなのだ。
誰かがそう言ったなら、100人中30~40人は信じてしまうのではなかろうか。
それほどに、吉永小百合は今も若い。
ハルク

まことにコンピュータ技術の進歩には目を見張るものがある。
映像に携わる人間にとっては、まさに魔法の杖のようなものだろう。
この世にないものをあるかに見せて人を疑わせない技術は、北京オリンピックの開会式にも利用され、巨人の足跡を描いた花火が実は実写ではなかったことがニュースになったのは昨日のことである。中国政府はCGを使うことで自らの威信を守って見せた。世界中の人々は、そのCGによって見事にペテンにかけられ、さる有名なブロガーなども感動のエントリを上げてしまったほどである。

しかし、ミーハーながら長年映画を見続けてきた私にとっては、今やCGは親の仇のようなものと言っていい。
CGによって見事な映像が作られ、あり得ないような画面が繰り広げられるほど、私の興はどんどん冷めていく。

どうせCGだろ。

よくできたコンピュータと、よくできたコンピュータ・ソフトが気の遠くなるような計算をして作り上げたとしても、それは巨大な演算結果が目の前で踊っているに過ぎない。数値で作られた画像からは手作りの工作に見られるような、ぎこちないけれどため息が出るほど「よくできている」質感もなければ、工夫に工夫を凝らし苦労に苦労を重ねて作ったであろう作り手の情熱も伝わってこない。
CGが作る画面にそれらが欠けているというのではない。それらはたしかにあるのだろうが、かつて私が映画を見て感じたときめきをもたらしたものとは明らかに質が違うものなのだ。

昔はよかったな。
ハリーハウゼン

それはVFXが登場する前の特撮映画であり、SFXと呼ばれる手法が使われていた時代までのことである。
レイ・ハリーハウゼンのストップモーション・アニメは、精巧に作られた人形を少しずつ動かして撮影しているのだと分かっていても、私は画面に引きつけられたし、東宝の怪獣映画が子ども心にもミニチュアと着ぐるみで作られていると分かっても、私は手に汗握り夢中で映画を繰り返し見た。
近くでいえば「スターウォーズ」の模型の精巧さに唸ったし、「ウルフェン」や「ハウリング」で見た変身のリアルさに「すげぇ!」と声を上げて友だちと語り合わずにいられない興奮を覚えた。クローネンバーグの「ヴィデオドローム」や「スキャナーズ」のおぞましい場面には声を失い、どうやって撮影したのだろうと好奇心をかき立てられた。
こうした映画は映画史の中では必ずしも名作といわれるものではないものがふくまれているけれども、製作者の熱意と工夫はダイレクトに伝わってきたし、映画の登場人物たちの気持ち――恐怖や痛みまで――を感じ取ることができた。

しかし映画にVFXが使われるようになると、画面の作りは精巧になったが、特殊効果は誰が携わっても同じようにしか見えないし、なまじ本物らしく見えるがゆえにかえって嘘くさく感じられるようになった。そこでは登場人物たちがいかに苦闘しようとも、見ている私には痛みも恐怖も伝わってこない。

どうせCGだろ。

吉永小百合がいくら若く見えて容色に衰えが見えなくても、CG処理してるのだと思えば不思議でも何でもなくなるように、CGを使っている映画からは驚きや好奇心といったものが薄れていく。どんなに精巧でリアルに見えても、一度ばれてしまった嘘でメッキが剥げてしまうように、CGを使っているというだけで興が冷めていく。

やっぱり映画は昔の方がよかったな。

あらゆるジャンルの映画にCGが使われるようになり、アニメーションもCGが当たり前になってしまった今、私はそう思わずにいられない。
映画は科学と技術の進歩とともに発展してきたが、コンピュータが使われるようになってから、どうも道の選択を誤ってしまったような気がしてならない。
このままではどんどん映画がつまらなくなる。
リアルを追求するがためにかえってリアルから遠のこうとしている。
映画はこれでいいのか。

一映画ファンとして大きな危機感を抱きつつ、私は映画館に足を運び続けている。

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関連タグ : CG, VFX, 特撮映画,

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