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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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動物を飼っていると、いろいろなことを教えられる。

私の場合、いちばん長く飼っているのはワンコなので、犬から教えられることが多かった。
無償の愛情、人を信頼すること、思いやり。彼らは、その生と死を通してそれらのことを私に教えてくれたと思う。

それに比べると、小鳥というのは私にとって長らく気心の知れない動物だった。
わが家には今年で飼い始めて5年になるセキセイインコがいるのだが、毎日エサを与え、水を換え、ケージの掃除をしていても、ワンコのようにダイレクトな反応を示してはくれない。
表情や仕草からその気持ちを推し量ることもできなかった。

高価なペレットという、ワンコで言えばプレミアム・ドッグフードのようなエサを与えても、大半をケージにまき散らしてしまうし、電話で話をしている最中に、突然ギャーギャー騒ぎ出す。

なんとかしてくれよ。
やっぱり犬を飼うようにはいかないな。
あいつとは気持ちが通じない。

もとはといえば娘のためにヒナを買ってやったのだが、お約束通り、娘は小鳥の世話などすぐにしなくなり、私が世話をすることになって5年が過ぎたのである。
そして、その5年の大半を、世話しながらも上記のように、なんだか面白くない思いで見ていたのである。

けれども、カミサンはそんなセキセイでも可愛いと思ったらしく、またセキセイは言葉を覚えると聞いていることから、毎日、朝晩に名前を呼んだり言葉を教えようとしたり、歌を歌って聞かせていた。
それでも、娘が「やまち」と名付けたそのセキセイは、名前を言うわけでもなく、もちろん歌を歌うこともなく、一向に懐いた様子を見せることもなかった。

「よせよ。無駄だよ、そんな鳥に教えようとしたって」

毎日ひとりで小鳥相手に話しているカミサンに向かって、私は呆れて言ったものである。

ところが、1年ほど前だから、「やまち」を飼い始めて4年目くらいたってからのことになる。
毎晩、寝る前に「おやすみ、やまち」と声を掛けるカミサンに、カバーを掛けたケージの中からセキセイが「チュッ」と返事をするようになったという。
「ホントかよ。偶然鳴いたんだろ」
そう言って聞き流そうとする私に、カミサンはそんなことはないと言い張った。
「絶対、やまちは私の言葉を聞いてるんだよ。だって、電気を消して、それまで静かだったのに『じゃあお休みね、やまち』って言うと必ず『チュッ』っていうんだから」

わかった、わかった。そうでしょうね。
私はそれでも信じなかった。
なぜなら、毎朝世話をする私には、やまちは挨拶することもなかったし、ケージの中に手を差し入れると慌てて逃げていくばかりだったから。

そんな状況が1年ほども続いて、カミサンは相変わらず言葉や歌を教えようとしていたが、やまちは一向にしゃべりも歌いもしなかった。
ところが、朝の世話をする私に対するやまちの態度が、変わってきていることに、今度は私が気がついた。
私も一応、無駄とは思いながら朝いちばんにケージのカバーを外すときには「おはよう、やまち」と声を掛けるのだが、返事こそしないものの、エサを替えようとして手を差し入れると、やまちは以前のように怯えた様子で逃げ回るのでなく、私の指に対して突いたり、軽く囓るようになったのである。
それは威嚇ではなく、明らかに私の指と遊んでいるという感じだった。

もしや、と思って私は手の平に少しだけエサを乗せ、ケージに入れてみると、やまちはしばらくエサを見ながらケージの中を動き回っていたが、そのうち、覚悟を決めたかのように手の平に近づいてきたのだ。
そして、はじめはおそるおそる少し離れたところから体を乗り出すようにしてエサを取り、食べていたのが、そのうち手の平にちょこんと飛び乗ってエサを食べるようになった。

気心が知れないと思っていたセキセイのやまちと、5年をかけて気持ちが通じたと思った。
毎日、世話をする私を、やまちはやまちなりに見ていたのだ。
そして、つきあいはじめて5年になろうというときに、ようやく、こいつは安全なやつだと認めてくれたのだ。

「やまち、やまち。おいで」

それからは私も声をかけるようになった。声をかけたところで、やまちはなかなか言う通りにはしてくれないのだが、エサを持って入れる手にはすぐに乗ってくれるようになった。

「このままいけば、手乗りになってくれるかもしれないな」

私はカミサンに言った。

その後、私たちは前にも書いたように、ペットショップで売れ残っていたコザクラインコのサクラを買った。もう大人になってしまい、人には懐かないだろうと言われたサクラが、なぜか愛おしくなってしまい、思わず買ってしまった。
案の定、サクラはいまだに手を怖がり、少しも懐くそぶりを見せないが、カミサンは諦めずに声をかけ続けている。

私はといえば、ペットショップで見かけたオカメインコの愛らしさにいかれてしまい、これも手乗りではなく成鳥になってしまったパールを譲り受け、パールの相棒にと、今度はピーチと名付けたオカメのヒナをブリーダーから買い求めた。

ヒナから育てたピーチは、今ではべたべたに甘えてくる手乗りに成長したが、パールはまだまだ私を恐れている。それでもエサを持ってケージに手を入れると、恐る恐るだが食べてくれるようにはなってきた。先日はケージから飛び出してしまい、家の中を飛び回ったが、私が追いかけるのを止めると、ピーチと一緒にいつの間にか私の肩に乗っていた。
私はうれしくなってしまった。

人は何かを伝えようとするとき、言葉をつくしてなんとかそれを正確に伝えようとする。
そして気持ちを込めて話せば、それはかならず伝わるものだと思い込んでいる。

けれども、いくら言葉をつくしたつもりになっても、その気持ちがすぐに相手に伝わるとは限らない。
セキセイインコのやまちは、5年間、私を見続けてきて、ようやく手の平に乗ってやろうと思ってくれた。私は彼女(やまちは、メスである)に気持ちを伝えるのに、5年を要したのだ。
セキセイインコは小さな鳥だが、10年以上も生きる長生きの動物だ。コザクラインコも、オカメインコも、かなり長生きをする。長生きをする分、彼らはじっくり時間をかけてものを考えるのだろうか。サクラもパールもまだまだ慣れてくれないが、私もカミサンも今は楽天的に考えている。
気持ちというものは、必ずしもすぐに伝わるものではない。
けれども、こちらが諦めず、相手を裏切らずに居続けることができるなら、かならずそれは伝わっていくものだ。

私は、小鳥からも大切なことを教わったと思っている。
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関連タグ : セキセイインコ, コザクラインコ, オカメインコ, 気持ち,

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