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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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いえ、仕事が忙しいとか鬱がひどくなったからというのでなく。
まあ鬱の方はずっと変わらず「よくはない」ですが。

タイトルの通り、しばらくこのブログをお休みさせていただくことにした。

というのも、なんだかこの頃、つまらなくなってしまったのだ。
ニュースを見ても「これについて書いておこう」という気持ちがわいてこなくなってしまった。自分のための防備録として書いておこうという気にもならなくなってしまったのだ。

ひとつは、今の政治の愚劣さにある。
麻生太郎や自民党の批判をいくらしても馬鹿馬鹿しくなるばかりで、書く気が起きない。
民主党がなんとなく右傾化しようとしているなんていうことも、とりあえずは政権交代してから吟味すればいいかという気分になってしまった。
私としては民主党ばかりに関心が向くのでなく、社民党や日本新党との連立を念頭に置いた上での議論がもっと盛り上がってくれることを願っているんだけどね。そのなかには共産党の存在も、もちろんある。

けれども、そういうことをちょっとは真面目に考えようとしても、周りを見回してみると政治ブログと呼ばれるものの多くが植草一秀に毒されていたり、陰謀論で(なかにはアクセス数が減ったのはなんらかの操作があったと思われるなんて植草教祖みずからトンデモな発言をしたものもあったりね)思考停止に陥っているものが多くて、コンナヤツラと一緒にいるのはまっぴらだと思ってしまうのだ。

何度も書くけど、植草という男は自分を挙げた検察や、自分をネタにかき立てた「マスゴミ」が憎くてたまらない、ただそれだけでブログを書いてるいかさま野郎だ。奴がほんとうに国民の幸福だとか、自民党にボロボロにされてしまった国民生活を回復させるとか、真面目に考えているとはとうてい思えない。
奴は国民がどんな生活をしてどんな苦しみを味わっているかを知らないし、知ろうともしていない。だから「悪徳ペンタゴン」などというくだらない造語を作って悦に入っているんだよ。
だけど、そんなものをありがたがっているブロガーが、まったく嫌になるほどいて、そいつらがまた徒党を組んで我こそは正義みたいなことを臆面もなく垂れ流している。

私は嫌いなんだよ。徒党を組むということが。

数を頼みにして、自分とは相容れない者を全否定してしまうような連中には反吐が出るんだよ。

というわけで、すっかりブログがつまらなくなってしまったので、休むことにします。

とは言っても、1ヶ月後の選挙が近づいてきたらまた血が騒ぎ出すかもしれない。
そうしたら、また何か書いてみようかと思う。
それまではしばらくさようなら。

最後に、くたばれ植草一味。
失せろ「自End」村。

これが私の「最後っ屁」だ。
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関連タグ : 植草一秀, 自End,

私はとっくに関係を絶ってしまったが、自公政権を否定し、政権交代を目指すブログが集まったトラックバックピープルに「自End」というグループがある。

発足したのは2007年9月で、ちょうと安倍晋三が政権を放り出し、福田内閣ができる前のことだった。それまで、グループのメンバーたちは極右思想を掲げ日本をどんどん「醜い国」にしつつあった安倍晋三の存在に危機感を抱き、政権打倒を目指した「AbEnd」というリンクリストを作り、反安倍政権に関するエントリを毎日のように上げては互いに刺激し合っていた。
そして2007年7月の参院選挙で自民党が大敗し、それから1ヶ月後に安倍晋三が健康上の理由で政権を投げ出した瞬間、「AbEnd」は目標を達成。参加したブロガーたちは快哉の声を上げたのである。

そして次なる目標は、自公政権を倒すこと、つまり政権交代であるとしてメンバーは「自End」を立ち上げ、「自民党に関する話題について書いたときにTBしてください」と宣言したのである。管理人は「カナダde日本語」の美爾依さんである。

爾来およそ2年。
自End」グループのめざましい活動が功を奏したか、今や自民党はグダグダの骨抜き状態となり、政権党としての体をなしていない状態まで落ちた。そして、ついに衆議院は解散され、8月30日には総選挙の投開票が行われることが決まり、自民党が政権の座を明け渡すのは時間の問題と誰もが見るようになった。

バンザイ、「自End」。
やったね、これまで地道に自民党を批判してきた努力がもうすぐ形になって現れるね。

よかった、よかった。

しかし、そう思っているのは当の「自End」村の村民だけだろう。

なぜなら、「自End」村は、自民党が瓦解していくのを眺めながら、なぜかそれより一足先に自家中毒を起こし、存在の意味を失ってしまったからだ。

今や「自End」村は植草一秀という陰謀論者を教祖と仰ぎ、これを批判する者に対しては徹底的な排他主義をとる仲良しグループに堕してしまった。
彼等をつなぎ止めているのは植草一秀と民主党崇拝による政権交代のみ。これさえ守っていれば、たとえ教祖の植草が言論に対するパージを声高に叫ぼうと批判する声は上がらず、ファナティックな信者の一人があからさまな人種差別的なエントリを上げても黙認し、お題目のように植草が痴漢の罪で刑務所に収監されるのを心配する。

さらには植草が刑務所内で謀殺されるのではないかと思い込み、満月と新月の日には教祖の無事を祈るエントリをメンバー各自がアップしようと言い出すまでになってしまった。

これのどこが「自End」なのだ?

もはや政権交代後に行われる政策について語られるのでもなく、政権交代が現実に近づくにつれ、これまでの公約を変えようとしている民主党に対する批判をするでもない。

単なる植草一秀崇拝の悪魔的な組織になってしまった。

自らに都合の悪いことを言うブログはパージし、仲間内の暴言はスルーし、内向きに小さく小さく固まってしまった。
自浄能力をも失ってしまった彼等、「自End」は、自民党が崩壊するのを待たずに自らが自滅してしまったと言っていい。

今も「自End」の管理人をつとめる美爾依さんのブログは惨憺たる内容で、かつてアルファブロガーに輝いたときの面影はない。
美爾依さんと仲良いとされる「きっこの日記」も近頃は露骨なまでに民主党の肩を持つエントリをしばしばアップするようになって著しく質を低下させてしまった。

開かれた体質と健全な批判精神がなければ、そもそもブログ同士の連携などなりたたないというのに、「自End」村の村民たちは植草一秀を精神的支柱にしはじめてから初期の精神を忘れ、自分に都合のいいものは受け入れるが、そうでないものは排除するという体質に変わってしまった。今では植草流の陰謀論とメディア批判が彼等にとっての定番メニューだ。

さらば「自End」。
短い命だった。
あなた方はまだ気がついていないのだろうが、もはや存在意義はないのだよ。
「自End」という看板があまり汚れないうちに掛け替えた方がいいと思うよ。

新しい村名は「植草党」とでもしてはどうだろうね?

関連タグ : 自End, 植草一秀,

創価学会の信者に対して、お前が信じているのはカルトだとか邪教だとか、心に思った通りのことを言って辞めさせようとしても、信者というものは辞めるものではない。
むしろ反対に、そんなことを言うお前こそ、地獄に堕ちて真っ黒になるまで焼かれてしまうぞと脅されるのが落ちだ。

同じように、私は今の植草一秀氏のブログ「知られざる真実」を熱心に読み、その言説を貴重な警世句として信じている人々に対して、もはや「あなたがたが信じているのはインチキブログだ」などと言うつもりはない。
人は、信じたものがそのすべてになってしまうからだ。

だから、今回はほとんど徒労と知りつつも、あえてもう一度「植草」を取り上げる。
それというのも、前回、私がアップしたエントリに対して、「植草氏は正しい、ブログ主は間違っている」という長々しいコメントをもらったからだ。
私はかならずしも論争が好きではないが、日頃忌々しいと思っている植草などが正しいと、恥ずかしげもなく書いてくるような者に対しては一言言ってやりたくなる。

まず、ここで頭の悪い信者のためにもう一度繰り返しておくが、私は軽々にマスコミを「マスゴミ」と呼ぶことに反感を持っている。
マスゴミなどは2ちゃんねるレベルの連中が好んで使う、汚れた言葉だと思ってる。
コメント主は「マスゴミ」の出典は『マスコミはなぜ『マスゴミ』と呼ばれるのか』という本であると教えてくれている。
まったくありがたいことだが、この本は元産経新聞の記者だった日隅一雄という人物が著したもので、その内容こそは植草氏が日頃ブログで展開している権力による陰謀とマスコミ操作を非難しているものに他ならない。
私はこんな本、クズだと思ってますけどね。

私は、今あるマスコミが健全で完全なものだとは決して思っているわけではない。
たしかに明らかに偏向報道と思われるものがあるのは事実だし、記者クラブの存在によってどこも同じ内容の報道をしている弊害を持っているとも思う。さらに、民放に関して言えばスポンサーのいいなりになっている部分が多いだろうし、NHKにいたっては政治家の圧力を受けて番組内容を変更したことさえあるようだ。
マスコミ関係者はみな高給取りで、庶民の本当の苦しさを理解しておらず、したがって庶民の目線から番組を作ることが少ないのも事実かも知れない。
あるいは、マスコミ同士がなれあって、互いに批判し合うようなことが少ないということもあるかもしれない。

だからといって、それではマスコミ全体がもうどうしようもなく信じられないほど腐りきっているかと言えば、私はそうは思わない。
むしろ植草氏のブログのように日本は陰謀に満ちあふれ、マスコミはその走狗として利用されているという言説の方が疑わしいと思う。
第一、われわれの多くはあらゆる事象に対して一次情報を得る立場にない。たとえば小沢一郎が辞任したときだって、当事者から話を聞ける者がどれだけいるか。
植草氏だって民主党内部に入り込んで情報を得てきたわけではあるまい。
結局のところ、われわれが情報を得るときには多かれ少なかれ、今あるマスコミに頼らざるを得ないのだ。
それが間違っている、明らかに疑わしいと言う場合には、われわれには異議申立てをする権利があるし、マスコミ側にはそれを受け入れる義務がある。
それが民主主義というものであって、テレビ・新聞が流す情報はすべて操られていると決めつけ、十把一絡げに「マスゴミ」と呼び捨てるのはいかがなものか。

私は、メディア批判をするのは大いに結構なことだと思う。
しかしそのやり方は「マスゴミ」呼ばわりして、頭から信じようとしない姿勢とは相容れない。
植草氏は、メディア批判をするときには、まず言葉を選ぶことからはじめるべきで、その際に「マスゴミ」などと使い古された汚い言葉を使うべきではないと思う。
この時点で、まず私は植草氏を信じるに足りないものと思ってしまう。

私が植草氏の「悪徳ペンタゴン」陰謀説を非難したことに対しても、コメント主は文句をつけてきているが、私に文句を付けるくらいならば、自分が走り回って一次情報を獲得し、「悪徳ペンタゴン」なるものの陰謀を晴らしてみてはどうか。コメント主は、結局のところ、二次情報を自分流に解釈している植草氏の言説をさらに自分で受け売りしておいて真実を握ったかのような錯覚を覚えているらしい。
これって、滑稽なことだと思うのだが、どうだろう。

さらに、私は植草氏の本心は日本の政治を改めることにあるのではなく、実は自分を逮捕した検察権力やそれを題材に大騒ぎしたマスコミに対する意趣晴らしにあるのではないかと推察した点について、コメント主は「まったくそれで構わない」と言い切っている。
ならば、あなたがたが日頃言っている政権交代とか日本をよくするとかいう旗印はイカサマだったわけ?
これまた笑止な話である。

私は陰謀論というものが嫌いであることは、このブログでも何回も繰り返してきた。
今回は仕方がないのでもう一度、繰り返すことにする。
陰謀論を用いれば、この世の中は何でもありになってしまうのだ。それは便利で面白いものかもしれないが、真実を知るには何の役にも立たないし、それどころか誤った考え方を広げやすい点で非常に害のあるものだと信じている。
植草氏のブログが害悪であるとしたのは、まさにこの点だ。

植草氏は陰謀に満ちたこの社会の闇を暴くことに懸命なのかもしれないが、私は違う。

私は極端に言ってしまえば、植草氏のいう「悪のペンタゴン」など放っておいてもいいと思っている。
それよりも重要なのは、今の社会が抱えている貧困や格差の問題をなくすことであり、国民が希望を持って生きていけるような社会を実現することである。
もちろん、そのためには社会の悪と戦う必要も出てくるだろう。
でも、戦うときは戦えばいいのであって、戦いそのものが目的ではないと信じる。

さらにいえば、たとえ自民党を倒して民主党が政権を取ったとしても、社会悪は残っていくと思う。これは民主党だけにいえることではなく、どんな政権がどんな政治を行ったとしても、社会というものはどこかに闇の部分とか腐った部分をはらまずにいられないものだと考えるからだ。
格差をどんなになくしていったとしても、大金持ちとそうでない人は依然として残るだろうし、会社の金で美味しい思いをできる人間がいる一方では日夜あくせく働き続けなければならない人もなくならないだろう。
しかしわれわれが目指すのは、できるだけそうした格差を縮めようとすることであり、たとえあくせく働かずにいられなくても、せめて希望を失わずに生活を送れる社会を実現させることが第一と考えている。

そのためには植草氏のように重箱の隅をつついてメディア批判をしたところで、ほとんど何の力にもならないだろう。その考え方が少しも建設的ではないからだ。

コメント主は、私が鳩山由紀夫が言う「友愛社会の建設」が抽象的で意味が分からないというのを嗤って、「友愛」とは「自立と共生」を同時にもたらすメカニズムの意であり、それは民主主義の基本理念である「自由と平等」の現実的な表れであるという説明を聞いているはず、と書いている。
ならば問おう。
その理念を具体的な政策にするとしたらどんなものになるのか。
それを教えてほしい。
私はそれが分からないと言っているのであり、ここで抽象的な文言の解釈をしているのではないと言うことがわからないのだろうか。

「植草氏は正しい」と信じているといっても、この程度のものか。
私にはまったく理解できないね。

こんなことを書いたら、植草信者のコメント主は「地獄に堕ちろ」と思うかもしれない。
だったらあんたも間違いなく、カルトの信者と思った方がいいよ。

関連タグ : 植草一秀, 信者,

あれあれ、きっこ女史はオムライス党(社民党)からいつの間にか民主党の熱烈な支持者に変わってしまったらしい。
まあ、私は「きっこの日記」の熱心な読者ではないから、この変質がいつ始まったのかは知らないのだが。
それでも、小沢一郎が代表を辞任した5月11日のエントリ「飛車格落ちの民主党」を読んだときには驚いた。

だって、小沢一郎は囲碁の名人で戦略の達人だなんて書いてるんだもの。沈没寸前の自民党に対して、民主党は何十手先までも展開を読み切る頭脳派集団で、飛車格落ちでも民主党は楽勝だなどと持ち上げてるんだもの。
ちなみに囲碁の名人が将棋をやって飛車格落ちで勝てるかどうか、なんて突っ込みは誰か入れたのだろうか。

ここまで民主党を大絶賛してもいいのだろうか。
民主党を自民党の対抗軸として考えることには異論はないが、民主党をそれほど信用していない私などにはきっこ女史の言い分は奇異に映るばかりである。

きっこ女史はその後も、小沢一郎が西松建設の献金疑惑について何ら説明せずに辞めてしまったことについても非常に攻撃的な口調で小沢を擁護している。
客観的に見れば、自分の秘書が逮捕され、違法な献金があったことは事実なのだから、代表を辞めるに当たってはこれに対する説明をするのは当然だと思うのだが、どうだろう。だって「違法なことは一切ない」と言いながら「このままでは選挙戦を戦えない」ところまで追い詰められていたのは小沢一郎だろう。
だったらご本人に説明を求めるのは当たり前じゃないか。すくなくともいきなり「偉そうに説明責任を果たしてないなんてのたまってるクルクルパー」などと呼ばれるいわれはないはずだ。国民には事実を知る権利があるし、報道にはそれを知らせる義務があると考えるのがあたりまえだろう。

おまけに民主党の代表選が行われた15日には、自らのブログでアンケートを行い、きっこ女史はここで勝手に立候補(苦笑)。めでたく鳩山由紀夫に次いで2位の票を獲得し、自ら副代表に決まったと悪ふざけをしている。調子に乗ったのか、副代表に「就任した」きっこ女史は、前原誠司と小宮山洋子をお得意のバカ呼ばわりして首を宣告。レンホーとかの腰掛け議員どもはいつでも派遣切りにできるとエスカレートしている。これ、派遣の人たちに失礼じゃね? 限りなく。

きっこ女史はさらに代表選に敗れた岡田克也をフランケンとこき下ろし、今回の代表選は「反自民の鳩山と親自民の岡田の対決」と解説し、岡田克也に投票するのは自民党支持者だと決めつけている。
大丈夫かい、きっこさん。あなたはまだ熱狂的な社民党支持者だとは最後に書いているけれど、それならばなおさらのこと、本気で支持しているわけでもない党のことをこんなふうに書いてしまっていいのだろうか。

おまけに民主党が挙党態勢を整えるために行ったのがこの代表選なのに、あなたのように反自民と親自民に党内を色分けしてしまったのでは何もならないじゃん。矛盾してるよ。

そして、なによりもよくないと思うのは、マスコミを腐りきった自民党の手先のように言い切っていることだ。
べつにマスコミを貶すべきじゃないというつもりはない。
けれども、新聞その他の報道をひとからげにしてインチキ呼ばわりするのは、どう控えめに見ても言い過ぎだ。きっこ女史はおそらく自民党や財界のいいなりになって偏向報道するマスコミなどよりも、自分の主張、ブログの存在の方が正しいと言いたいのかもしれないが、残念ながら今のブログというかネット界を見回すと、これほどバイアスがかかった主張が無責任に横行している世界もないといえる状況ではないか。

マスコミのことを「マスゴミ」呼ばわりするのはネット右翼の常套だが、ここでもうひとつ思い出してしまうのがテカガミ先生こと植草一秀の「知られざる真実」というブログだ。
このブログについても私は熱心な読者などではないが、1日のアクセスが3万にも達するというから、今や影響力もバカにならないといえるだろう。
しかし、「知られざる真実」を読んでいるといつも思うのは、植草という人は、政治や政局を語るように見せかけていながら、もっとも力を入れ、執着していると言ってもいいほど繰り返しているのはマスコミ不信であり、検察をはじめとする権力に対する憎悪である。
彼は理知的に語っているように見せながら、例の「マスゴミ」という表現を何のためらいもなく使っている。
かつては自分もマスコミに出て飯を食っていただろうに、今さらゴミ呼ばわりするというのはどうだろう。私には信じられない神経だ。

植草氏は政官業が癒着した「悪徳ペンタゴン」が日本社会を牛耳っており、それを糺すべく立ち上がろうとしているのが小沢一郎をはじめとする民主党だという筋書きで毎回話を進めている。
けれども仮面ライダー対地獄の軍団じゃあるまいし、この社会の病巣をそんなに簡単なくくりで語っていいものか。
毎日のようにエントリをアップし、熱っぽく語るこのブログが数万の読者を獲得し、それなりの同意というか支持を得ているというネット界の状況が、私にはとても危なっかしいものに見えて仕方がない。

今では「きっこの日記」をはじめとする有名ブログが植草氏の影響下にあるようで、ここ数日の記述を見ても言わんとしていることがよく似ている。なかには植草氏の主張をそのままコピペしたような内容のエントリをあげているブログまであって、おかしいというか可哀相というか、複雑な気持ちになってしまう。

しかし「きっこの日記」が民主党は挙党一致して自民党を倒すべきと言いながら、岡田支持者は自民党に近いと言ってせっかくの主張を台無しにしているように、植草氏もまた「悪徳ペンタゴン」を倒すためには民主党に勝ってもらうしかないと言いながら、実は民主党などこれっぽっちも支持していないネット右翼たちとも仲がいいという矛盾をはらんでいる。マスコミの世話になっていたのにコロリと寝返ってマスゴミと言い放ち、テレビ・新聞の報道は偏見に満ちている、悪徳ペンタゴンに操作されていると言ってしまう植草氏というのは、私にはとても信じることができない人物なのだ。
植草氏の本質は政権交代による社民主義的社会の実現にあるのではなく、単に自分を陥れた(と自ら信じている)権力や、それをネタに騒ぎまくったマスコミへの恨みを晴らすことだとしたら、今、彼を信じ、声をからすようにして応援しているブロガーたちは好い面の皮だろう。

私は民主党など支持していないけれども、自民党を倒すには民主党が中心になって野党共闘していくしかないと思っているからとりあえず民主党を応援している。
この程度なのだから、代表が小沢一郎から鳩山由紀夫に替わったとしても大した期待はしていないし、世襲の鳩山が代表になるよりは岡田克也が選ばれた方がよかったと思っている。
そして、せっかく代表選をやるのだったら、わずか2日間でひっそり決めてしまうのでなく、全党員に投票権を持たせて大々的に代表選をやった方がよかったと思っている。そうすれば鳩山由紀夫が言った意味不明の「友愛社会建設」だとか「愛ある政治」の内容も国民みんなに分かるように説明できたと思う。
テリー伊藤じゃなくたって分からないだろう、普通さ、「友愛社会」なんて言われたって。分からないものを分からないと言うのがなんで民主党攻撃になるのか。
私にはそっちの方がよほど分からない。

まあ植草氏がこのブログを読むこともないだろうから、今さら説明してくれることを期待してはいない。

でもさ、植草さんよ。
そんなにブログで世の中陰謀だらけだと煽って、この後どうするつもりなのよ。

できればそれだけは聞かせてもらいたいものだ。

関連タグ : きっこ, 植草一秀, 民主党,

今や一部左派ブロガーの間でカリスマのごとく持ち上げられ、「偽装CHANGE」だとかいう陰謀論をでっち上げている元大学教授で痴漢容疑を受けた人物。
植草、あんたのことだよ。

この男が、実は新自由主義者だったことが、図らずも自らのブログで明らかになった。

なんでも彼によれば、「小さな政府」には「良い小さな政府」と「悪い小さな政府」があるのだそうだ。
かいつまんで言えば、「良い小さな政府」とは天下り利権など政官の癒着がない、無駄を取り除いた「小さな政府」で、「悪い小さな政府」とは政官の癒着を温存し、国民生活を守るべきセーフティネットを破壊する「小さな政府」なのだそうだ。

小泉純一郎以降の自民党政権が推し進めてきたのは「悪い小さな政府」で、天下り利権が温存される一方で社会的弱者に対しては冷酷無比に保障を切り捨ててきたとする。
そしてさらに元大学教授がいうには、

今、自民党内で派をなしている「上げ潮派」が提唱しているのは、小泉いらいの自民党清和会政権が主張してきた「悪い小さな政府」で、この一派が提唱する金融緩和政策こそ売国政策で、要するに日本に大損をさせ、外資に大儲けさせる陰謀だったということらしい。
何でも元大学教授によれば、日本はドルを買い進めてきたために今では外貨準備高は1兆ドルを超えているが、ドルでなくユーロを買っておけば、ドルが弱くなった今、実に73兆円もの違いができていた。つまり、日本はドル買いをしていたために大損をこいたが、それは自民党上げ潮派による陰謀的な売国政策の結果だったというわけだ。

たしかに、一面的にはそう見えるところはある。
けれども、日本とアメリカのパワーバランスで考えれば、日本がドルを捨ててユーロに切り替えるなどということがそう簡単にできたはずはないわけで、日本がアメリカを買い支えている現在の状況は、日銀と財務省の暗愚と日米のしがらみが重なってできたものだと見るのが妥当なのではないか。
竹中平蔵はともかく、清和会にそこまで陰謀を巡らす知恵はないと私は思うがね。

さて、元大学教授は上げ潮派に続いて増税派も官僚利権を温存したままの増税を計画しており、国民生活を守るべきセーフティーネットを破壊するものだと切り捨てる。

さらに麻生太郎が唱える「積極財政」も、セーフティーネットを再構築するために実施されるのでなく、結局は旧来の利益誘導のための財政支出が満載になるだろうという。つまり国民生活を救うのではなく利権まみれのバラマキになるというわけだ。

はい、お説ごもっとも。
それでは先生、いちばん国民にとっていい政策とは、どんなものになるのです?

ところが先生はこれをはっきり書いてないのだ。
書いてないからにはこちらで推測するしかない。
つまり、元大学教授が言いたいのは、官僚利権などを廃した無駄のない「良い小さな政府」を実現すべきだというのだろう。そして、その「良い小さな政府」とは無駄がない上に国民生活を守るセーフティーネットも備えているものであるべきだ。

しかし、だ。
これって矛盾してないか?
国民生活を守るセーフティーネットとは、つまり社会保障のことであり、これは官が責任を持って施策していくべきものである。
そして社会保障を充実させた社会民主主義にもとづく政府とは、「小さな政府」でなく「大きな政府」でなければならないはずだ。
元大学教授が唱える「良い小さな政府」とは政官の癒着やバラマキがない清廉な行政府なのかもしれない。
しかし、結局のところ、小さな政府を実現させるのは新自由主義でしかない。先生の言う「良い小さな政府」とは、小泉・竹中以降の政府が推し進めてきた中から悪そうな部分だけを都合よく取り除いたイメージでしかなく、しかもセーフティーネットまで備えるという矛盾をはらんでいる。まさかいちばん大切なセーフティーネットは民間業者に委託すればいいというのではあるまいね、先生?
反自民の旗手と目されている先生が、実は新自由主義者だったとは笑止きわまる。

だいたい、経済の専門家だったと思うのだが、これでは子どもに聞かせる夢物語のようなものだ。
こんな珍説で人を惑わせるな、と言っておきたい。

■追記
共同通信によると9月8日、週刊誌「サンデー毎日」に「セクハラ癖は業界で有名」などと書かれ、名誉を傷付けられたとして、植草一秀元大学教授(47)が発行元の毎日新聞社に1100万円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は8日、33万円の支払いを命じた。大段亨裁判長は「セクハラ癖があるというのは真実」と認定したが、「業界で有名という部分は立証されていない」と指摘した。

重要なのは裁判に勝ったということではなく、この男にはセクハラ癖があるということを国が認定したことだ。
それでも植草を担ぐブロガーは、性癖と言動は別と理解を示すだろう。
しかし、こんなセクハラ野郎の説く陰謀論など、三文の値打ちもないと言っておきたい。

関連タグ : 植草一秀, 新自由主義者, 小さな政府, セーフティーネット, 社会民主主義,

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