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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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中谷巌
今日の毎日新聞経済面に「市場主義万能は誤り」として、元一橋大学教授で小渕政権の経済戦略会議議長代理を務めた中谷巌のインタビューが載っていた。
中谷は最近『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)を著して、かつて自分が旗振り役となって新自由主義を日本に導入したことを誤りだったと認めて話題になっている。

いまさら中谷の懺悔に金を出してやる気になどなれないが、今日の毎日と、日経ビジネスオンラインのインタビュー「なぜ私は変節したか?」を読んで、やはり腹が立ってきた。

要するに中谷は偉そうな顔をしてカイカクの必要性を説いていたが、元を正せばアメリカ留学中に眼にした、アメリカ社会の豊かさと新自由主義が説くシンプルな金儲け理論に目がくらんだだけのことだったということだ。

中谷は
「小渕内閣の「経済戦略会議」が終わってからは、一切、政治には関与しなかったんです。自分もちょっと考えるところがあって、もう一度、勉強しなければならないと考えていました。ですから、小泉政権やそれ以降の政権でも、世間的にはあまり意見を申し上げないことにしていました。

 その間、もういろいろな分野の専門家の方々にお会いしたり、本を読んだり、それに没頭してきました。その後、7~8年たって、グローバル資本主義や日本のあり方などの姿がおぼろげに見えてきたので、半年前から書き始めたんですよ。そうしたら、リーマン・ブラザーズの問題が起きて…。 」

こんな言葉で反省の弁を述べているわけだが、この間、毎年3万人以上の自殺者を出し、社会格差がどんどん開き、なおかつ固定化されていく過程を誰よりもよく分かりながら沈黙を守ってきた罪は大きいと思う。
中谷は、自分が社会を煽った結果、日本がこれほど荒廃し、社会が崩壊に瀕している事実を本当に反省していると言えるのか。
たかだか本を1冊上梓して、自分が間違っていたと述べるだけで罪が晴れるとでも思っているのだろうか。

日経のインタビューでは竹中平蔵のことにも触れているが、決して中谷は竹中を非難したりはしないのだ。

「例えば、竹中平蔵さんはどんな問題にもきちっと答えられるでしょう。経済学の知識が体系立てて頭に入っている人は、どんな問題でも必ず答えられる。

経済学の世界では、ロジックを組み立てて、サイエンティフィックな意味で絶対に穴が出ないような完璧な論旨の論文が書けるかどうかが重要になる。これを積み重ねていくと、いい大学からオファーが来て、出世できる。でも、そのモデルは人間社会の2割か3割しか説明できていない。残りの7割、8割はもっと不可分な、ドロドロの世界でしょう。」

要するに、竹中は経済学のエキスパートとして当然のことをしているのであり、その限界は認めつつも学者として間違っているわけではないといっているようなものだ。
そして中谷自身、カイカクそのものは日本にとって必要なものだったと言っている。

これのどこが反省なのだ?

もし中谷が本当に心から反省しているのなら、竹中と刺し違えるくらいの覚悟を見せてもらいたいものだと、私は思うのだがいかがなものか。

以上の点で、毎日のインタビューも日経のインタビューも、まったく中途半端なものであり、私は不満だ。
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関連タグ : 中谷巌, 新自由主義,

フリーランスの仕事を選び、ずっとライターとして仕事をしてきた私が、今の社会に漂う生き難さを嘆き、憤りを感じたとしても、現実のところ、あまり説得力を持たない。
それは、カイシャという組織に縛られることを嫌い、人生とは自分で道を切り開いていくべきもの、そして人間にはその可能性があるはずと信じてこの道を選んだからである。
だから、今さら生活が苦しくなったとか、仕事が少なくなった、本が売れなくて収入が減ったと愚痴を垂れても、仕方がないのだ。

それは分かっている。

けれども、私のような選択をした者が感じる今の生き難さが、結局のところ「自己責任なのだから」という一言で片付けられてしまうのには抵抗がある。
自己責任論は、とくに新自由主義的な考えを持つ経営者などが持ち出したがる理屈だが、いわゆる「勝ち組・負け組」という狭い枠組みだけで人の生きる道を捉え、たまたま成功したから、上手く人生を歩むことができずにいる人間を見下して「それは努力が足りないからだ」「選択の仕方がまずかったからだ」と本人に責任があるとする。

しかし生きるということは、誰だって知っているように生やさしいことではないのだ。一日の生活を凌ぎ、一週間生き抜き、一ヵ月をなんとか持ちこたえ、半年生きながらえて、どうにか一年やり繰りして暮れと正月を過ごすことが出来そうだというときにようやくホッとする。しかし、それが過ぎれば、また同じことの繰り返しを延々と続けていかなければならない。生きるということに一息つくというのは、なかなか許されることではない。
それでも、結果として上手くいかないことが多いのだ。
生きて行くのがしんどくなって、もう死んでしまおうかと考えるときがしばしばやってくるのだ。
楽をして、安穏に暮らせればいいなとは思っていても、現実にはそんなことが許されるはずがない。
みなそう言う状況のなかで、なんとか生き続けている。

私が何を言いたいのかというと、人は一生懸命に、必死に生きて毎日を送り続けているという点において、誰もが努力をしているということだ。それに対して「自己責任論」を持ち出し、自分が選んだ道なのだから、上手くいかないといって嘆くのは甘えだとか、努力が足りないからだというのは間違っているということだ。

責任論で人を評価しようとする限り、上手くいかなかった人間は考えが甘い、努力が足りない、勝手に楽な生き方を選んだのが悪いということになる。
しかし、それでは人間には自分の人生に対して夢を持つことも希望を持って生きることも許されないことになる。

私がなぜフリーランスという道を選んだか。それは家庭環境がいわゆるサラリーマン的な生き方を認めないという特殊な事情があったのも関係するが、学生時代になって就職という段になると、周囲の学生たちはとにかく大きな企業、安定した収入が得られる仕事に就くことを第一に考え、誰かが有名企業に内定するとみんなして羨むという雰囲気に猛烈な反感を持ったからである。皆それぞれに小説を書いたり、脚本を書いたり、演劇をしたり、映画を作ったりしていた。それはあくまでも気楽な学生時代の遊びと割り切り、就職となればそんな趣味とは無縁の大企業に入ることがいちばん価値のあることだという常識に嫌悪感を持ったからである。

私は企業という組織に入ることを拒んだ。
結果として、生活は不安定になり、正直なところ、カイシャに就職するのが生き方としては正解だったのかと思ったこともある。
私は自分で自分の生き方を「自己責任論」で批判したのである。

おそらく今、非正規雇用で仕事を失い、明日をも知れぬ生活に大きな不安を抱えている人たちは、皆多かれ少なかれ、一度は自分のことを責めたのではないかと思う。
世間から「自己責任論」でしたり顔して責められる前に、自分自身がいちばん分かっていて自分を責めたのではないか。

しかしだからといって、人間が自分で選んだ道が間違っていた、努力が足りないから上手くいかないのだと切り捨てるのは、世間の方が傲慢だ。
人には等しく権利がある。いちばんの基本となるのは人間らしく生きる権利。そして人間らしく生きるためには、だれもが希望を持ち、自分の可能性にかける自由を持つ権利がなければならない。

自己責任論」はそれらの権利を否定している。
上手く生きられないのは自分のせいだとする考え方は、言ってみれば株屋の常識に過ぎないのではないか。値が上がると思って買った株が値下がりをして損をした。それは自己責任だ。なぜもっと株式を勉強して、相場というものを正確に読む努力をしなかったのか。損をしたのは自分が悪い。そういう理屈だ。
だが、株屋の理屈を人間の生き方に勝手にあてはめ、「お前が悪い」と責める権利など、誰にあるというのだろう。

今の日本社会を襲っている不況の嵐は、政治と経営者たちが誤った考えを持ったために起きている。そのあおりを受けて、多くの人たちが職を失い、単なるモノのように切り捨てられて路頭に迷おうとしている。
ネットの中にはこうした人々を指して「自己責任論」を振りかざし、派遣などという気楽な仕事を選んだ自分が悪いのだから、路頭に迷うのも仕方がないのだと偉そうに書いている輩がいる。
私はそういう奴らの横面を思い切りひっぱたいてやりたい。

今、困っている人々のなかに怠惰だったり、ずるいことをして金を得ようとした者はほとんどないはずだ。皆それぞれに一生懸命仕事をしてきたのに、突然、会社側の理由によって首を切られてしまったのだ。こうした人々に、どうして自己責任論を押しつけることができるだろうか。
よしんば、派遣労働者になった理由が、正社員になるよりも気楽だからとか、自分には他にやりたいものがあるからとりあえず、だったとしても、彼らが路頭に迷おうとしているのを責めるのは人間として許されるものではない。

自己責任論者、すなわち新自由主義者は言う。
「努力した人が正当に報われるのが正しい社会だ」と。
しかし、それをいうならば、
「たとえ努力をして上手くいかないことがあっても、見捨てられることがないのが正しい社会だ」
という条件をつけ加えなければ完全ではない。
新自由主義者たちは、自分さえ豊かになれば他の人間はどうなろうと構わないと考えている。
だから許し難いのだ。そして、その許し難い考え方を持った人間が、政治家にも実業家にも、悪いことにこれから社会に出ようとしている若者の中にもいるというのが現状だ。

私は、私たちは、こうした非人間的な考えを持つ人々を許してはならないと思う。年間に3万人以上の自殺者が出ていても平気でいられるような人間を批判しないでいることは大きな誤りだと思う。
人間の生きる権利を無視して会社の利益と株主への配当を優先する経営者を断固として糾弾していくべきだと思う。

私は自民党にはもはや政党としての役割を果たす力はないと思っている。だからといって民主党に政権が移れば、それだけで世の中が暮らしやすくなるというほど楽観もしていない。
だが、とにかく今の自公政権によってもたらされた最悪な社会状況を変えなければならないことだけは確かだ。日本社会が今よりも暮らしやすくなり、人々が自分の人生に希望と誇りを持って生きていけるような社会になるには、新自由主義をまず駆逐し、新しい社会制度による政治を打ち立てなければならない。
その社会制度とは何なのか。

とにもかくにも今はまず、人の生き方を否定し人間を踏みにじる「自己責任論」を排することから始めていきたい。

関連タグ : 新自由主義, 自己責任論,

日米欧に中国、ブラジルなどの新興国を加えた主要20カ国・地域(
G20)による金融サミットが日本時間の16日朝閉幕した。
首脳宣言では、金融危機に歯止めをかけるため金融監督に関する国際的な連携を強化するするとともに、内需刺激のため財政出動で各国が協調する方針を明記。金融政策もふくめた政策総動員体制で危機克服に臨む姿勢を協調した。――毎日新聞より。

これに対して投資家やエコノミストの間では、各国の協調体制が示されたと一定の評価をしながらも、首脳宣言には具体性を欠き、実体経済にすぐ効果をあげるのは難しいという冷ややかな反応が見られた。
たしかに、金融サミットが終わっても株価が大幅に上がることはなかった。その意味ではこれまで行われてきたサミットと同じく、実効性に乏しい会合だったのかもしれない。

しかし、私は経済問題に明るいわけではないが、この首脳会議には麻生太郎やサルコジが胸を張って答えたような「歴史的意味」があったと思う。
それは先進国と新興国の首脳が一堂に会した席で、今回の世界的な金融危機をもたらす原因ともなったアメリカの市場原理主義、すなわち新自由主義が明確に否定されたからだ。
今回の会議は、米国発の金融危機にどう対処するかが最大のテーマだったが、論議を主導したのはアメリカではなくヨーロッパと新興国で、サミット開始前からヘッジファンドや格付け会社への監視・規制強化拡大をアメリカに対して要求した。
これに対してブッシュは、サミット直前まで「自由な市場は経済繁栄のエンジンだ」と抵抗していたが、アメリカに対する批判の前に妥協せざるを得なかった。

その結果として、首脳宣言には広範な規制強化が盛り込まれ、かくしてアメリカ流の新自由主義は修正せざるを得ない形になった。つまり、経済を市場の自由に任せていたのではブレーキが利かなくなって世界経済が立ちゆかなくなることが共通認識として確認されたのだ。
麻生太郎やサルコジの肩を持つ気は毛頭ないが、2008年11月16日は歴史に残る日になったのではないかと、私は思っている。

もっとも、新自由主義が否定されたからといって、ここまで危機に瀕した経済が立ち直る方法が見つかったわけではない。その点を専門家たちは冷ややかな言葉で表現しているわけだが、真価が問われるのはこれからであることは言うまでもない。
ことに日本の場合は、これまでアメリカに追従する形で経済政策をとってきたおかげで金融・財政政策はガタガタになっているといってもいいのではないか。これをどうやって立て直すのか。関門は非常に高く、麻生太郎では歯が立たないことは明白だ。そしてもちろん、利権談合集団と化している自民党にも解決能力はないだろう。

わが国の経済を立て直すには、まず税制を見直して社会保障を再構築し、貧困・格差の問題をなくすことから取り組まなければならない。これらの問題を抱えている限り、どんなに政府が財政出動しようとも、内需拡大を叫ぼうとも、効果を上げることは難しい。
政府は法人税を下げて消費税を上げるべきだとほざいている財界の亡者どもを一喝し、まずは雇用拡大、適正な賃金、労働者を守る保障制度を立て直していくことが急務だ。

そのためにも政権交代が一日も早く行われることが必要なのだが、麻生太郎はいまだに煮え切らない態度を取っている。
それに対する民主党も、昨日は突如党首会談を申し込んでみたりしたが、わずか30分ほどの話し合いで何の結論が得られたというのか。「100年に1度の危機が降りかかろうとしている」という認識を持つのであれば、民主党もテロ特措法案などを政争の具に使わずに、国会で自民党の経済政策ではこの危機を乗り切ることは不可能であることを具体的に示して麻生太郎を追い詰めてやるべきだ。

世界は新自由主義を否定したというのに、この国ではいまだにそれを理解せず、改革という名の社会の破壊が行われている。
日本でも市場原理主義は通用しないのだということを共通認識とし、なんとしても今行われている愚行に歯止めをかける必要がある。

日本にも政権のチェンジを。
新自由主義をはっきりと否定し、社会民主主義の世の中が一刻も早く訪れることを祈りたい。

関連タグ : G20, 首脳宣言, 新自由主義,

中山成彬
2004年年の第2次小泉改造内閣で文部科学大臣として初入閣し、様々な教育改革を提案した中山成彬としては、国交相などというポストはどーでもよかったのだろう。
それよりも、かつて慰安婦問題で調査を行い、南京大虐殺は存在しないというレポートを出した「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長として、今の教育のあり方に一言言いたかったのだろう、善意に解釈してやれば。

それにしても中山の言い分は支離滅裂とも言っていいほどひどいもので、日教組と学力調査の結果との因果関係はなにも見られなかったというのに、「日教組の強いところは学力が低い」などと言っていた。「大分県の学力は低い」という文言は、差別発言とも解釈できる内容だ。
さらに「日教組は教育のガン」「日教組をぶっ壊すために私が頭になる」という発言になると、これは単に教育のあり方について考えを述べているのではなく、中山は日教組に対して私怨を持っているとしか思えない。
卒業式で君が代を歌うのを拒否したり、日の丸掲揚に反対したりする日教組職員が、右翼としての心情を刺激し、憎くて仕方ないというところだろうか。
たとえそうだとしても公の席でのこうした発言は、己の頭の悪さを露骨に示すばかりの効果しかなかったと言うべきだろう。

右翼って、こういうバカしかいないのかね。

従軍慰安婦問題については、軍による強制はなかったと主張し、南京大虐殺についてもその事実はなかったといい続ける「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、中山が会長を務め、事務局長が安倍晋三、会員には中川昭一や山本一太、自殺した松岡利勝らが名前を連ねている。要するに自民の極右政治家がたむろする集団で、中山はそのボスというわけだ。

中山はさらに文科相時代は新自由主義的教育改革の導入を主張したことでも知られる。文科相就任当時の時事通信は次のように伝えている。

中山成彬文部科学相は4日、大臣就任のあいさつのため訪れた地元の宮崎県庁で記者会見し「学校の中では競争してはいけないと言われ、(社会に)出ると競争、競争では、ギャップについて行けない」と語り、教育現場への競争原理導入が必要だと強調した。具体的には「学力テストの結果を公表するようにして、各校で競い合う」などの方策が考えられるとしている。また、「先生にも自分の資質や技術を問い直し、緊張感を持ってもらうのはいいことだ」として、教員免許の更新制度導入を「前向きに考えて行きたい」と述べた。(2004年10月4日)<

子ども同士がライバルで、しのぎを削って行ってこそ国力がつくという考え方は、つまるところ新自由主義社会で勝ち組になる人間を作ることが目標だ。教育を多様化し、差別選別教育をすすめ、激しい競争に耐えられるようにしてエリートに対する憧れをもつようにすべきという教育理念をもつ中山にとって、なるほど日教組は許し難い仇のようなものだったかもしれない。
なにしろ日教組は「ゆとり教育」を推し進め、学校では「競争をタブー」とした教育方針をとってきた団体なのだから。

私は日教組的な「ゆとり教育」や過度に競争を廃した学校運営(運動会でもみんな同着にするとか)には賛成しかねるが、だからといって学校が新自由主義者養成所のようになるのはもっと嫌だ。
中山のようなねじ曲がった右翼に大切な子どもの教育を任せた時期があると思うと今さらながらにぞっとする。そして中山に文科相を任命したのがコイズミだったことを思い出すと、あらためてコイズミという男は日本を根底からひっくりかえそうとしていたのだと痛感する。

同じ極右政治家として、麻生太郎はごく自然に中山成彬をチョイスしたのだろうが、今回の中山の暴走に対して少なくとも麻生は罷免するなり更迭するなりのリーダーシップを見せることができなかった。麻生内閣にとっては中山の辞任そのものよりも、麻生がまったく決然たる態度を見せられなかったことの方がダメージが大きかったのではないだろうか。

関連タグ : 中山成彬, 右翼, 日教組, 新自由主義, ゆとり教育,

それにしても何とかならないものだろうか。
22日の総裁選まで、あと一週間もの間、われわれはNHKなどをマスコミジャックした自民党につきあわされて指をくわえているしかないのだろうか。

こうしている間にも、国内では事故米というより毒入り米事件がどこまで広がっていくのか不透明な状態にあり、これは三笠フーズをはじめとする悪徳業者と農水省とが結託して起こした悪事だというのに、マスコミは利益追求に走った業者による不正という単純な構図でしか伝えようとしていない。
ことは官民癒着の上に起きた事件で、国民全体の食の安全を脅かしているというのに、だ。

さらに北朝鮮では金正日が倒れ、どの程度まで回復するか見込みがつかめない状態が続いている。場合によってはこれまでの対北朝鮮関係が大きく変更を迫られる恐れもある。拉致問題をふくめ、北の脅威の問題がどのように進んでいくのか、日本にとっては重要な外交問題であるはずなのだが、リーダー不在の政府はなんら積極的な動きを見せていない。

そして昨日は米大手投資銀行のリーマン・ブラザーズが経営破綻した。これによって米国経済が大きな打撃を被ることは当然のことながら、それが世界経済に与える影響が懸念されている。ことに外貨をドル建てで保有している日本はいかほどの経済的ダメージを受けることになるのか。
ことによれば世界規模の経済恐慌が起きる可能性があるという一大事が起きているというのに、政府・日銀の反応は固有資本に厚みがあることから楽観的で、今後も成り行きを注視していくという消極的な反応しか見せていない。

大丈夫なのか? これで。
自民党が総裁選などという御祭騒ぎに明け暮れているから、危機感が欠如しているのではないか。

もし、5人の候補者の中にほんとうに日本の将来を心配するものがいるのならば空虚な祭りなど即刻中止して総裁(もう麻生で決まってるんだろが)を決めてしまい、諸問題に対する緊急対策を打ち出していかなければならないはずだ。
しかし彼ら5人の中にはもちろん将来の日本のビジョンを明確に持っている者などいるはずもなく、したがっていたずらに時を費やして政治的空白を続けるばかりだ。

リーマン・ブラザーズが破綻し、米国経済が行き詰まるということは、これまで彼らが推し進めてきた実体経済によらず株式や金融で金を動かすことで利ざやを稼ぐというやり方、つまり新自由主義的手法が行き詰まりを見せたということに他ならない。今までのやり方は失敗であり、市場原理を重視する新自由主義は間違っていたのだ。だとすれば、これまでアメリカに追従して経済政策を取ってきた日本も修正しなければならないはずなのに、外貨処理一つをとっても日本が何をしたいのかははっきりせず、まるで立ち往生しているかのように見える。新自由主義は駆逐すべきものと思っている私は万歳を叫びたいところだが、事態はそれどころではなさそうだ。

ドルの価値が限りなく下がり、景気が後退するのは目に見えているのだから、このままでは世界的なスタグフレーションが進む可能性が強い。そうなればいちばん最初に打撃を被るのは経済弱者である庶民ということになる。今でさえ十分すぎるほど生活は厳しいというのに、今後さらに景気が悪くなり金の価値が下がるとなれば、国民生活はいったいどうなるのか。
この9月末から10月にかけて、われわれの行く手には悪魔が大きな口を開けて待ち構えているのかもしれない。その先にあるのは何かなど、私には恐ろしくて考えたくもない。

世界的に見て新自由主義が誤りだったのがはっきりした以上、これまでさんざん新自由主義的改革を推し進めてきた自民党政治もまた間違っていたことになる。世界経済とともに日本経済も危機を迎えようとしている時に、自民党総裁選に立っている者たちが訴えている政策では乗り切れるはずがない。
今いちばん求められるのは野党が結束して経済対策を打ち出し、国民が受けようとしている打撃を少しでも和らげる政策をとることである。
そのためにも茶番の総裁選はすぐにも止めて自民党は内閣を解散し、総選挙を一刻も早く実施しなければならない。そして今度こそ、野党が政権を取って社会民主主義的な政府を作る。
今の日本には、あと一週間も遊んでいる余裕はない。

焦りにも似た、切実な願いを持っているのは決して私一人ではないはずだ。

関連タグ : 事故米, 北朝鮮, リーマン・ブラザーズ, 新自由主義,

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