上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
さて、気を取り直して、今日も床屋政談をはじめましょうかね(苦笑)。

8日、秋葉原で起こった無差別殺人事件は、その後の報道でさまざまな事実が明らかになってきている。
秋葉原現場#1

しかし、この事件が起きたとき、私がいちばん最初に思ったのは、あの西鉄バスジャック事件の犯人世代が、また帰ってきたのではないかということだった。

西鉄バスジャック事件は、2000年5月3日、九州自動車道太宰府インターチェンジ付近で、西鉄天神バスセンター行きの高速バス「わかくす号」が、刃渡り約40センチの牛刀を持った17歳の少年によって乗っ取られた事件である。
この事件では、犯行を起こした少年が「ネオむぎ茶」というハンドルネームを使い、2ちゃんねる上に犯行予告の書き込みをしていたことなどが大きな話題となった。
少年は、家庭内暴力で家族を悩ませ、精神病院に入院していたが、ここで愛知県で少年が老夫婦を殺傷する事件があったことを知り、自分も犯人の少年のようになりたいと思い、苛められた思い出がある中学校で無差別殺人を行うことを決意した。そして外泊許可が出たときに犯行を実行しようとしたが、ゴールデンウィークで学校が休みだったため、バスジャックを決行したのだった。

2000年にはこの事件の他にも、8月14日に15歳の少年による「大分一家6人殺傷事件」が起きている。
これは隣家の風呂場を覗き見たと叱られた少年が逆恨みをし、風呂場から侵入してサバイバルナイフを使って隣家の家族6人を襲ったというもの。

前後するが、同年7月29日には山口県で16歳の少年が50歳の母親を金属バットで殴り殺す事件が発生している。この少年は中等少年院送致となったが、出所後の2005年11月17日には大阪で姉妹殺害事件を起こしている。逮捕されたとき、元少年は「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」と供述している。

バスジャック事件が起きた後、世間ではこの世代があの酒鬼薔薇事件を起こした少年と同じ年齢であることから、しばらく17歳の凶行が話題になり、この世代に何か異変が起きているのではないかという論議がなされたのを覚えている。
その記憶が、今回の秋葉原での事件で甦ったのだ。
2000年当時17歳だった少年は、今年25歳になる。
そして、秋葉原で17人を殺傷した加藤智大容疑者もまた25歳なのだ。
彼だけではない。
3月に土浦で起きた無差別殺傷事件の犯人もまた、同世代の若者だった。

17歳の犯罪が話題になったとき、その論議がどのような結着をしたのかは覚えていない。
けれども、この世代には漠然とした社会に対する怒りと、不安を抱え込んでいる傾向があるといったようなことが語られていたように思う。

そこでもう一つ思い出すのは、先日テレビ東京で放送された経済スペシャル「新ニッポン人現る!」だ。
ここでいう「新ニッポン人」とは、団塊ジュニア(30~40代)、新人類世代ジュニア(10代)の間に位置する20代の若者たちのことだ。
彼らの特徴は、とにかく消費しないこと。旅行にもクルマにも興味がなく、休日は自宅で過ごす、仲間と飲みに行っても酒を飲まない。それで何をやっているかというと、手取り20万に満たない収入でも毎月堅実に貯金をしているのだ。
なぜ金を貯めるのかと問われると、彼らは一様に答える。

「それは、将来が不安だから」

番組にはデイトレーダーをやって100億以上の資産を持っている20代の若者も紹介されていたが、その生活の地味なことは一種驚異的ですらあった。
食事は1日2回で、昼はカップラーメン、夜は近くの立ち食いそばで天ぷらうどん。
超高級マンションに暮らしながら、クルマは持たず移動は自転車で行う。
海外旅行には興味がなく、そもそも旅行をしたこともない。
彼にとっては消費することが少しも楽しくないのだという。
では、どうしてそんなに金を貯め込むことに必死なのか。
やはり彼は答える。
「日本の将来に危機感をもっているから」
彼は、日本の食料自給率の低さに強い関心を持っており、将来は農業の立て直しに役立ちたいという希望を持っている。

日本の農業立て直しに役立ちたいという希望には心救われる気がするが、今の20代が一様に抱えているのは社会に対する不安であることは明らかだ。

その不安とは、格差社会や雇用の不安定がもたらす不安であり、年金問題をはじめとする社会保障制度への不信ということもできるだろう。
つまり、2000年当時10代半ばだった彼らは、社会に対する不安を擦り込まれながら成長し、実際に成人して社会に出てみると、今度は現実の社会がもたらす理不尽な雇用形態や賃金格差に直面し、派遣労働者間の希薄な人間関係に孤立して、自分の中に怒りを蓄積するしかなくなっているのではないだろうか。

「誰でもいいから殺してやる」

怒りから生まれる暗い想念は、この社会を構成するすべてに対して向けられているのだろう。
秋葉原で人をはね、刺し殺した犯人は、自分ではどうすることもできない袋小路のような人生にはまりこみ、悲鳴を上げることもできずに凶行に走ったのではないか。

そう思うと、彼が行った犯行は残忍で許されるべきものではないけれども、私の中では同じ残忍で憎むべき犯行だった「池田小児童殺傷事件」の犯人に対するものとは少し違った思いが生じている。
秋葉原現場#2
中産階級が崩壊して社会は勝ち組と負け組の二層分化してしまった現在の日本。いちど負け組になってしまうと、勝ち組に這い上がることは難しい。一言でいえば、「夢も希望もない社会」が、今の日本なのだ。そんな社会で青少年時代を送らなければならなかった彼ら20代の犯行を見ると、これは固有の性質が原因となって起きたものではなく、社会環境が引き起こした犯罪であるように思えてならないのだ。

20代ではないけれども、私だって今の社会はクソのようなものだと思っているし、言いようのない怒りを感じている。
もし、この怒りが蓄積していき、ある日爆発したならば、私も銀座あたりに乗り込んで、高級ブランドを買い漁っているセレブな連中を皆殺しにしてやろうと思うかもしれない。
あるいは、強力な爆弾を体に巻きつけて、どこぞの企業に入り込み、政界やマスコミを偉そうな顔して牛耳っている年寄りもろとも自爆してやるかもしれない。

秋葉原の事件以降、マスコミは3面記事のような情報を送り出すことに必死だが、悲惨で無残な現象だけをいくら追ったところで事件の本質に迫ることはできないだろう。

社会が市場原理で動き、格差が固定されている限り、似たような事件はこれからも起きる。
社会が不安に満ち、国民の生活が困難になっても、日本ではデモひとつ起きないが、実は静かに見えないところで着実に戦争が起きているのだ。日本では自爆テロこそ起きないが、銃乱射も起きないが、刃物を振りかざし、満ち足りた顔をしている歩行者たちをめった刺しにする日本式のテロが起きているのだ。

今回の事件は、そういう視点から見なければ、本質を明らかにすることはできないのではないか。
私は、そう感じている。

■追記
このエントリを読み返してみると、結論がなんだか誰かの記事に似てる。
なんかヤだけど、仕方ない。
べつに私は真似っこしたわけじゃないからね。


ブログランキングに参加しています。
↓よろしければクリックしてください↓
人気ブログランキング


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
スポンサーサイト

関連タグ : 秋葉原, 無差別殺人, 新ニッポン人, 20代, 不安, 格差, 中産階級の崩壊,

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。