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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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昨日投開票が行われた東京都議選では、民主党が54議席と大躍進し、対照的に自民党は議席を20も減らす38議席という惨敗を喫して終わった。
いや、もうひとつある。
公明党が22議席から23議席へと議席を伸ばして手堅く「勝った」こと。
そして共産党が民主党に票を食われる形で惨敗したことだ。

地方選挙が全国から注目され、投票率も最終的には54%に達するなど、今回の都議選は一種の興奮状態の中で行われたといっていいだろう。
もちろん、全国の注目を集めたのも投票率が高くなったのも、来るべき解散総選挙で政権交代がなるかどうかを占う意味があったからに他ならない。

政権交代という点で見れば、これは明らかに民主党が大勝利で政権を獲得する確率が高くなったといえるだろう。
しかし、現政権を握っている自民党と公明党に対する評価がどうだったかといえば、公明党は議席を減らすどころか一つ増やしたのであり、自公政権が完全に否定されたとは言い難い。
東京都民ではないが、私にはこの点がどうにも歯がゆい。

さらに東京都議会でいえば民主党は野党と言うよりも、どちらかというと与党側に立って行動してきた政党で、選挙運動のときこそ築地市場の移転問題や新銀行東京問題に対して批判をしていたが、そもそもこれらの議案を通すときには民主党は賛成に回った与党だったことを忘れてはならない。

その意味で、「純然たる野党」の共産党が議席を大幅に落とし、社民党も議席を回復できなかったことは残念でならない。
都議会が今後、健全に運営されていくためには民主対自民・公明だけの対立軸だけでは不十分であり、十分な野党の声が必要だと思う。
しかも公明は政権党であり続けたい政党だから、簡単に自民との連携は解消し、今度は民主党と手を組むことも考えられる。
民主党には公明党と親和的な議員もいるので、彼らが手を組めば、都議会はまたしてもオール与党になってしまう。

そんなこんなを考えていると、たしかに自民党が大敗を喫したのは喜ばしいと思うのだが、民主党だけが大勝したという点については、どうしても消極的にならざるを得ないのである。

この都議選の結果を受けて、権力の座に執着していた麻生太郎も、いよいよ仕方なく解散総選挙を決めたようだ。

解散は7月21日で投票が8月30日。
麻生としてはぎりぎりまで解散時期を引き延ばし、都議選で受けた傷を少しでも癒し、あわよくば鳩山由紀夫の献金問題をつついて失地回復を狙ってのことだろう。
民主党としては、ここで余計でつまらない献金問題などを長引かせたりせず、鳩山由紀夫に徹底的に説明させ、必要ならば国会で釈明させるくらいの覚悟を持ってもらいたい。
そして、政権交代をしたあかつきには国民生活をいかにして回復させるかというマニフェストを一刻も早く提示してもらいたいものである。

さらに注文を付けるとすれば、調子に乗って単独与党などという欲をかかず、国民新党や社民党との連携をしっかりと持ってもらいたい。
民主党だけでは信用に値しないことは、これまで何度も書いてきた通りである。
そして、民主党に驕った気分にさせないためにも、主権者であるわれわれ国民は民主党だけに投票するのでなく、国民新党、社民党、あるいは共産党にも票を入れるようにしたいものである。
具体的には、私ならば小選挙区では民主党か共産党に入れ、比例区では社民党に入れる。
もちろん、誰がどの党に投票しようと自由だが、民主党に独り勝ちさせずに政権交代を成功させるというのが、私の考える理想である。

いずれにしても解散総選挙が決まった以上、確実に政治を変えるチャンスがわれわれの手に戻ってきたのだ。
この大事な権利を無駄にすることのないように、各人には考えてもらいたいと思う。
これからの1ヶ月半、私も微力ながら健全なる政権交代と、国民生活の回復に向けて考えて行きたいと思う。

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関連タグ : 自民党, 民主党, 政権交代,

なんだか今月はイマイチ体調が悪いのと、忙しかったために更新の間隔がずいぶん開いてしまった。
まあ、私のブログなどは更新を待っている人もそんなに多くはないだろうということで、今後もマイペースで続けていきたいと思っています。

それにしてもテレビを見るにつけ、新聞を読むにつけ、この頃は異常としか言えない状況が続いている。
どう考えたって、東国原英夫や橋下徹のような、何の政策もないポピュリズムの固まりのような人間が歴とした政党から三顧の礼で迎えられるような事態は異常としか思えない。

東国原はいまだに宮崎県内では80%以上の支持率を得ているが、どう見たってこんな数字、バブルでしょう。
東国原は全国知事の中でもトップの収入を得たらしいが、その大半は印税とテレビの出演料だった。これだけを見ても、この男がいかに県政とかけ離れたことをしていたかが分かるというものだ。
東国原が知事になって、宮崎県民の暮らしは豊かになったのか?
皆が幸せを感じて暮らせるようになったのか?
とてもそうは思えない。

東国原がやったことといえば、テレビに出まくって特産のマンゴーと地鶏の宣伝をしたことしかないのではないか。
もちろん、そのおかげで暮らしが潤った業者はいるだろうが、一部の人間だけを喜ばせることが知事のやることだろうか。

橋下徹にしてもそうだ。
大阪では彼もまた圧倒的な人気を保っているが、橋下がやったことといえば県職員と公共サービスの切り捨てだけだったではないか。
歯に衣着せぬ物言いは、得てして人気をとりがちだが、橋下はそれを承知でケンカを売って歩いているに過ぎない。
橋下が知事になってから、大阪がどれだけ豊かになったというのか。
府民の暮らしにどれだけ希望が生まれてきたのか。
今の異常な人気は、単に日頃の鬱憤を橋下の口を借りて晴らしているだけなのではないかと思う。

同じことは国政についても言える。
ブログ界ではずいぶん前から、政権交代こそ大事で、民主党が政権を取りさえすれば大丈夫といった物言いが多く見られる。
しかし、肝心なのは政権交代そのものではなく、その後に政権を取ったものがどんな政治をするのか、その一点に尽きる。
これを忘れて、解散の時期がいつになるかなど心配しても何の益もないではないか。

私は、たとえ民主党が政権を獲得したとしても、他党との連合政権を取らなければ自民党とそれほど変わらない社会が続くと思っている。
彼らは、無駄を省くといってわれわれの代表である国会議員の数を減らすという本末転倒なことを平気で言っている。
彼らは、消費税の増税を4年間は議論しないと言いながら、社会保障の財源が不足したときにはやはり消費税に頼ろうとしている。

それで国民は納得できるのか。
国民の生活は豊かになるのか。
格差が広がった社会が、よりよくなることはあるのか。

彼らは「我が党こそ政権にふさわしい」と偉そうなことを言っているが、「国民の生活が第一」という言葉をいつの間にか忘れてしまっているのではないか。

私は、自民党政権が日本をここまで駄目にしたのは間違いないことだと思っているが、かといってすぐに国民の生活を忘れて政局に走る民主党が世の中をそれほどよくするとは思わない。
大事なのは私たち国民の暮らしであり、政権を誰が取るかということや、霞ヶ関の腐敗を糺すことなどは、その後についてくるものなのである。

人間というものは窮すると手っ取り早い解決を求めたがるものだ。
ことに最近の日本人には、その傾向が強いように思えてならない。
しかし、社会をよりよく変えて行くには時間をかけていく必要がある。
誰が何を言い、何をしようとしているのか、われわれはよく吟味していかなければならない。
薬を一錠飲んで、腹痛や頭痛を治すように考えてはいけないのだ。

政治を変えるのも、社会を変えるのも、拙速を望んでばかりいては、結局最後のツケがわれわれ自身に回ってくるだろう。
政権交代は必要である。
しかし、その後に続く政策は、誰がどんな風に実現させていくべきなのか。
われわれは今こそ落ち着いて考えなくてはならないと思う。

決して、東国原英夫や橋下徹のような口先だけの「分かりやすさ」や「心地よさ」に乗せられてはならない。そうしたものは、いわば見せ金にすぎないのだ。
麻生太郎の優柔不断と無能さを叩くのは簡単だ。
しかし、いくら叩いたところで何も生まれてくるものはない。
われわれは焦ってはならないが、無駄なところで足踏みしていてもいけないのだ。そんな余裕はない。国民の生活は追い詰められている。
それを忘れずに、明日の政権交代を考えていきたいものである。

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御手洗冨士夫

資本は労働者搾取することによって肥え太ってきた。
『蟹工船』が再び読まれるようになっている現代は、こんな大時代な言葉も古くさくなく聞こえるから背筋がうそ寒くなってくる。

しかし実際、いざなぎ景気を超えたといわれる長期にわたる好景気とやらは、一般国民の生活を一向に豊かにすることなく、企業ばかり――それも大企業や外資ほど多く――が懐を潤してきた。
一方で労働者側はどうだったかというと、非正規雇用の増加によって劣悪な労働条件と不安定で低い賃金で働かされてきた。

これはコイズミ改革以来の自公政権によってもたらされたものであり、その歪みがたまりにたまって現在の社会格差や年間3万人を超す自殺者として現れてきているのである。
こんなこと、あらためて私などが言うまでもないことなのだが、自公政権が揺らぎ、もしかしたら政権交代が実現するかもしれないという今になってもなお、世の中には次の指導者として小泉純一郎の名を挙げる人が多いことに驚かされる。

テレビをつければ小泉と協力して世の中を悪くした張本人の竹中平蔵が頻繁に顔を出し、「まだまだ日本には改革が必要だ」と訴えている。

今、自民党は総裁選を行い、新しいリーダーを選ぼうとしている。そして世間では総裁選後、間をおかずに解散総選挙が行われると見るのが専らとなっている。
年金問題や官僚の天下りの問題、後期高齢者医療制度の問題があれだけ騒がれたのだから、よもやふたたび自民党が勝つなどということはないだろうとは思うのだが、私はどうも安心する気になれずにいる。

ひとつには、すでに述べたようにいまだに世間にはコイズミを待望する人々が多くいるという事実。
もうひとつは日本人特有の忘れっぽさがあるという事実。年金問題や後期高齢者医療制度であれだけ腹を立てたけれど、それは自民党が悪かったからだと思っている人がどれほどいるのか。後期高齢者医療制度が、小泉内閣で採決されたものだということを覚えている人はごく少数だろう。そういう人たちは、今度の自民党総裁選でリーダーが替われば世の中も(多少は)よくなると思っているに違いない。

そしてもうひとつは、自公政権とがっちり手を組み、ときには政治家たちを利用してまんまと美味い汁を吸い取ってきた資本側の総本山、経団連がそう簡単に政権交代を許そうとはしないだろうという点だ。

YOMIURI ONLINEによると、日本経団連は8日、中期的な税制の抜本改革案として、消費税率を2011年度から5%引き上げて10%とするよう政府に要望する方向で最終調整に入った。
経団連はこれまで、07年1月に御手洗冨士夫会長のビジョンという形で、15年までに2段階で消費税率を事実上10%まで引き上げるよう求めていた。しかし最近の試算によって、医療、年金などの社会保障制度を安定的に持続させるためには、消費税率を一気に引き上げ、引き上げ時期も前倒しせざるを得ないと判断した。

消費税増税によって社会保障制度を維持するという考え方は、そのまま与謝野馨の政策に受け入れられるだろうし、本命の麻生太郎が総裁になったとしても財政出動の次は消費税増税として当然のように実施されるだろう。
労働者搾取する側の資本=経団連は、こうしてさらに労働者=消費者から搾り取ることで社会保障を維持しようとしているのだ。そうしなければ社会保障制度を安定的に維持できないと言っているのだ。

しかし、われわれ国民の側から見れば、これだけ生活が追い詰められて余裕がなくなっているときに消費税増税を前倒しにして実施するなどはとんでもない話で、そんなことをすれば日本の景気は一気に冷え込むことは目に見えている。
さらにこれから目指すべき社会民主主義の視点から見れば、社会保障制度は消費税でまかなうのではなく、これまで行われてきた大企業や金持ち優遇の税制を改めることによってまかなうべきと考える。あるいは徹底した無駄の削減も当然ながらこれにふくまれる。
小沢一郎

昨日、小沢一郎の代表三選が決まった民主党は、新たな政権構想を発表した。その概要を見ると総花的とも取れるが、基本は「生活第一」と謳っていた原点に戻った感があるし、安易な増税に頼ろうとしていない点は評価できると思う。
これを経団連はどう受け取っているのか。
同じ日に消費税増税を前倒してまで実施すべしという案を公表し、政府にこれを迫ると宣言したのにはそれなりのメッセージがこめられているだろう。

つまり、資本側は今後も安い税金で利益を確保し、社会保障は労働者から搾り取った金を充てるべしということだ。
昔も今も、資本は労働者搾取することを第一にしているのである。

私は今、社会に必要なのは政権交代と社会民主主義の実現だと考えているが、もうひとつ必要なものとして、これまで骨抜きになってきた労働運動を見直し、資本側に対する労働者の権利を堂々と主張できるような仕組みも作り直す必要があると考えている。

関連タグ : 経団連, 消費税増税, 労働者, 搾取, 政権交代,

福田康夫が首相の座を放り出してから一昼夜が過ぎた。
報道を見る限りでは、概して福田に対する厳しい意見が多かったように思う。
いわく、
無責任だ」
「指導力がない」
「最後まで他人事のように辞めていった」
こうした声に対して、
「ご苦労様」
「ショックだ」
「我慢もこれまでだったのだろう」
といった気遣いの声は少数派だったと思う。

昨夜の「NEWS23」では、後藤謙次が「最低の辞任」と福田康夫の判断を切り捨てていた。

今思い返してみれば、福田康夫内閣は、発足当時から「国民の目線に立って」政治を行うことを標榜しながら一度として国民の側から物事を見ようとしたことはなく、「安心実現内閣」と自らを名づけながらついに国民を安心させることなく責任を放棄してしまった内閣だ。
さしたる理由もなく一国の代表の座を棄てるなど、あってはならないことで、見ようによっては安倍晋三以上の無責任さと言っていいかもしれない。

自民党ではさっそく22日に総裁選を行うことを決定したが、小池、石原、野田といった名前は浮かんでいるものの、本命は麻生太郎一本で根回しが進められていることだろう。
つまり総裁選とは単なるお祭りで、麻生太郎総裁の承認式に他ならない。
そしてこの御祭騒ぎは、同じ時期に代表選で三選することになる小沢一郎の影を薄める働きをするだろう。

しかし、われわれがここで忘れてならないのは、自民党は国民の信任を得ないままに首相を輩出し続け、そのうえ2度までも続けて責任放棄する形で首相の座を降りているということだ。
この事実を前に、これからいくら自民党が言葉を飾って政権維持を訴えようと、有権者である国民は彼らに耳を貸す必要はない。
もはや自民党には政権を担当する資格はないのだ。
国民の側に発ってものを考え、年金問題や後期高齢者医療制度をはじめ、地方の格差、医療問題など、待ったなしの生活に根ざした問題に取り組んで行くには自民党では力不足なことは明らかだ。
さらに、定額減税など目先を帰る程度の小細工を弄してお茶を濁そうとする公明党のバラマキ政策も持続的な社会保障政策の構築とはほど遠いと言わざるを得ない。彼らの頭にあるのは国民全体ではなく、生活に困っている創価学会員だけであり、それらを救済することだけが急務なのだから、とてもではないが国政を預けておくわけにはいかないのである。

今、首相交代という節目を迎え、いよいよ自公政権にも区切りを迎える時が来ようとしている。
多くのブログでは、自公政権に引導を渡し、政権交代という新しい時代を迎えるために声を上げようとしている。
及ばずながら私もこれから当分の間は反自公政権と政権交代を訴えていくキャンペーンを張っていこうと考える。

とりあえずは総裁選の御祭騒ぎで民主党の代表選をかき消そうとしている自民党の姑息な行為を叩いていこうと思うが、「自エンド」と政権交代のためになることならばどんなことでも記事にしていきたいと思う。
そうして一日も早く、確実に、政権交代が実現するよう、他ブログとも協力していきたいと決意した次第である。

関連タグ : 自民党, 福田康夫, 無責任, 総裁選, 政権交代,

福田辞任
福田康夫が突然辞任をした。
すでに多くのブログがこの話題に触れているし、私などがあらためて付け加えることもないかもしれない。
それでも、やはり一国の首相が前首相に続いて突然その役割を投げ出したという事態は異常と言わねばならず、屋上屋を重ねるを承知でこの問題を取り上げたいと思う。

まず、私が第一に思ったことは、福田にはまだ辞めて欲しくなかったということだ。
自民党の二世議員のなかでも比較的バランス感覚にすぐれた福田が舵取りをしていてくれた方が、極右の麻生太郎などが首相になってコイズミのときのようなバカげた人気を勝ち取り、右傾化した政策を実施していくよりもいいと、私は思っていた。
自公政権が続くのは、そう長くはない。ならば、最期の短い間だけでも福田康夫に託しておきたかったというのが正直な気持ちだ。

しかし、福田康夫は自ら会見では安倍晋三とは違うと言っていたけれど、またもや仕事を放棄して首相の座を降りてしまった。
このことは、いかに非難してもしすぎることはないと思う。
あまりに無責任である。山積した問題はどうするのか。
国民生活が窮乏を強いられている現状をどう解決していくのか。
年金問題は。後期高齢者医療制度は。
さらに太田誠一の事務所費問題はうやむやにしたままでいいのか。

どれひとつ、いい加減にしたまま残しておくことは許されないものである。
福田康夫は記者会見で、(おそらく太田誠一の問題はふくまれていないだろうが)残された課題は新しいリーダーのもとで解決に当たるのがふさわしいという旨のことを言っていた。
しかし、これも儀礼的な文句で、福田が真剣に次の首相がどうすべきだなどとは考えていないだろう。
まったくもって無責任というほかない。

記者から「一般に、総理の会見が国民には他人事のように聞こえるというふうな話がよく聞かれておりました。今日の退陣会見を聞いても、やはり率直にそのように印象を持つのです」との言葉が出、現在の政権に与える影響をどう考えるかとの質問がでたが、
「それは、順調にいけばいいですよ。これに越したことはないこしたことはない。しかし、私のこの先を見通す、この目の中には、決して順調ではない可能性がある。また、その状況の中で不測の事態に陥ってはいけない。そういうことも考えました。他人事のようにというふうにあなたはおっしゃったけれども、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです。そういうことも併せ考えていただきたいと思います」と気色ばんで答えていたのには苦笑するしかなかった。

自身を客観的に見ることの出来る福田は、内閣支持率がいつまでたっても低迷し、閣内にあっては連立を組んでいる公明党がいちいち口出しするためにインド洋給油問題も解決できず、臨時国会の開会日程も思うように決められなかった。こうしたことに嫌気がさしてしまったということなのだろうか。

自民党はこの後、総裁選の準備におおわらわとなるだろう。
おそらく麻生太郎を大本命として、小池百合子ら今から名前の挙がっている候補者が何人か立候補することになるだろう。その結果は、裏取引である程度はじめから決められているかもしれない。それでも、国民から見れば開かれた選挙というイメージは強く印象に残る。候補者同士が政策をめぐって論戦することは、公正で民主的な手続きを踏んでいるというイメージを結ぶ。
これに比べると、対立候補が現れず、小沢一郎の三戦が決まろうとしている民主党とは大違いだ。ほとんど政策論議をすることもなく、だいたい「生活第一」という党是を本当に守るつもりがあるのかさえ明確にしないまま小沢が代表となり、小沢独裁体制が続こうとしている民主党から受けるイメージは、公正とも民主的ともほど遠いものだ。
やはり民主党は、結束が乱れるなどといわずに正々堂々と代表選をするべきだったのだ。

自民党は麻生太郎がスポットライトを浴びたまま総裁選を行い、そのまま麻生が首相の座に就くことになるのだろうか。
どういうわけか麻生には人気があるらしいから、内閣支持率はかなり高くなるだろう。
しかし麻生には常に舌禍問題がつきまとうし、もはや人材が払底している自民党には閣僚を満足に務めるだけの人間がいない。またもや太田誠一や、それにさかのぼる歴代の農水大臣のようにスキャンダルをボロボロ露わにしていくだろうからそのままでは自滅の道をたどることになる。
麻生に残されるのは、人気が高いうちに解散総選挙に持って行くことだろうか。

国民としては、ここで麻生のような極右政治家で、実は国民生活のことなど露ほども考えていない男の言説に惑わされることなく、これまでいかに自公政権が国民に苦しい思いを強いてきたかを忘れずに、野党に一票を投じることが大切だ。自民党が再び政権を取るようなことがあれば、消費税増税や社会保障費削減が行われることは目に見えている。
野党も、できるだけ分かりやすくこれまでの自公政権の非道を訴えて、政権奪取を確実なものにしなければならない。

いずれにしても自公政権がようやく終わる日が近づいてきたと、考えてもよさそうな気持ちになっているのは私だけではないだろう。
この予感を現実のものとするために、これからもブログで訴えていきたい。

関連タグ : 福田康夫, 自民党, 総裁選, 政権交代, 民主党,

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