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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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昨日は思いもかけず、美爾依さんの「カナダde日本語」で本ブログを紹介していただき、ありがたく思っている。
べつに私には石原に対する私怨があるわけではないが、日本であれほど傲慢で、そのことに無知である男はいないと思い、そんな男が首都のトップに立っていることが我慢ならないのである。
これだけでも十分、私怨といえなくもないのだが、東の石原、西の橋下というバカ知事が、ここまできてなお高い支持を受けている現状を見ると、黙ってはおれなくなる。

さて、その石原だが、ご存じの通り26日午後、都議会では公明党が400億追加出資に賛成し、血税をドブに捨てることが正式に決まった。
これに先立ち石原慎太郎は、「(最大株主としての)都の監視責任は最終的に私にある。都民のみなさまにご心配をかけたことは大変申し訳なく、深くおわび申し上げます」と公の場で初めて謝罪した。
しかし、心ある都民からすれば、謝るのは石原一人でなく400億もの大金をろくに審議もせずにくれてやった自民・公明の議員たちにも釈明を求めたいところだろう。
いくら東京が金持ちの自治体だからといって、再建の見込みが全くない銀行に対して、それこそ無担保無利子のような付帯条件で大金を注ぎ込んだのだ。まったく人のカネを何だと思っているのだと、言ってやりたいものだ。
石原
石原は、一度は頭を下げて殊勝なところを見せてはみたが、委員会の後になると相変わらず「無駄になるかならないか黙って結果を見てください。今から水をぶっかけるようなことを言ってはだめですよ」と強気の姿勢を見せた。そして、都民から批判の声が高まっているということについても、「要するに、都民が議会以上のことを知っているわけないんでね」とし、心情論として批判は分かると言いながら「世論調査を気にしていたら政治はできない」と、いつものように開き直って見せた。
つくづく、この男は人を舐めてかかっている。

これまでの審議で満足な情報を出すこともなく、担当者たちに直接説明をさせることもせず、ただただ銀行再建ありきで400億が必要だと繰り返すばかりだったのは石原本人だったはずだ。
「都議会の内容も知らないくせに、うるさくいうな」ともとれる石原の言い草は、まったく都民を愚弄するものでしかないだろう。

昨日の可決により、東京都民は少なくとも合計1400億ものカネを払うことになる。
それは一世帯あたり約2万3000円にもなるという。
朝日新聞には、追加出資する400億の金がどれだけのものに相当するかの試算が出ている。
それによれば、都民一人あたりのの負担は3110円、1世帯あたり6520円。
400億あれば、都は緑化や温暖化対策を進める都環境局の予算1.2年分にあてることができる。
400億あれば、ネットカフェ難民への就労支援など、「低所得者生活安定化プログラム」4年分の予算になる。
400億あれば、マンション耐震化助成など「震災につよいまちづくり」事業2.7年分の予算になる、という。
もっとも、石原は弱者が嫌いだから、死んでもネットカフェ難民など支援するつもりはないだろう。
それにしてもこんなことをやらかしておいて、なお開き直っている石原を、50%近い都民はこれからも支持し続けるつもりなのだろうか。私には狂気の沙汰としか思えない。

思い出して欲しいのは、2月に足立区で起こった無理心中事件だ。
経営が行き詰まったことから母親と妻を殺し、次男の両腕を切り落とし、自分も自殺して果てた父親がいたことを、覚えているだろうか。
この一家は、足立区で長年機械の修理などを行ってきた町工場だった。
「母親には車いすで生活できる家を、妻には好きな洋裁をする家を、子供たちには自分の部屋をプレゼントしたかった。全部無くしてしまいました」
父親が残した遺書にこめられた、無念の思いは今も私の心に重く沈み込んでいる。

石原に、ほんとうに中小企業を救う気概があったのならば、こういう一家を助けてやることがいちばんの目的だったのではないのか。
彼らに対して、新銀行東京はどういう役割を果たしたのか。なんら救いの手をさしのべることもできなかったのか。
あの事件があったとき、石原は何をしていたのだろう。
中小企業を救おうと、心から願っていたのであれば、石原はまっすぐ駆けつけて「済まなかった」と詫びても良かったのではないか。

経営難に喘ぐ中小企業は、いまも数多く存在する。
それらを少しでも救うという理念はいい。
しかし実際に新銀行東京がやったことといえば、追い詰められた町工場を救うこともできず、悲惨な事件を起こさせ、そのうえ自分は放漫経営を続けて赤字を累積させ、挙げ句は都民の血税で損失を穴埋めしているのだ。

仕事にも人生にも絶望し、自殺に追い込まれた町工場の一家と、人の金で尻拭いをし、確たる方法も持たないくせに大見得を切って開き直る石原慎太郎
おそらく石原は、あの家族のことなど一瞬も考えたこともないだろう。自分に一片の責任があるとも考えることがないだろう。

私は石原の、こういうところに、たまらなく憤りを覚えるのである。


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