上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
麻生太郎の知能の低さ、その発言の空虚さについては、もう語るのが馬鹿馬鹿しいほどで、いちいちブログに取り上げる気にもなれない。

しかし、11月20日に開かれた経済財政諮問会議での麻生の発言は、まったく許し難いというか、もう呆れてものが言えなくなるほどひどいものだった。これについては「きまぐれな日々」をはじめとする多くのブログでも取り上げているが、私も遅ればせながら取り上げて、あらためて麻生の低脳ぶりを批判しておきたい。

そもそも麻生が総裁選の時から言い出した「日本に必要な社会保障は『中福祉・中負担』である」という言葉からして欺瞞に満ちている。「中福祉・中負担」とはスウェーデンなど北欧諸国に代表される「高福祉・高負担」型社会保障とアメリカに代表される「低福祉・低負担」の間を取ったもので、言葉だけを見ればアメリカのような国民の税負担は軽いけれども貧乏人がひとたび病気になれば満足な医療も受けられない、あるいは十分な医療を受けると財産を失うこともありうるという状態にはしないというもの。かといって、北欧のように高税率をかけて「揺りかごから墓場まで」面倒を見ようというほど腹をくくったこともできない。いわば日本お得意の中庸路線の考え方だ。

しかし、今の日本の現実を見れば「中福祉・中負担」にはほど遠く、医療崩壊が進むなかで保険料の増額や後期高齢者医療制度など、国民の負担ばかりが増している「低福祉・高負担」の様相に限りなく近づいている。
麻生太郎を議長として開かれた経済財政諮問会議は、こうした状況を改めて麻生の言う「中福祉・中負担」に原状を回復させようという意図があるかに見える。
だが、実際に諮問会議の議事録を読むと、ここで議論されているのは高齢化が進む社会で社会保障関連の支出が増大していることを問題とし、これを補うためには一にも二にも消費税増税が必要だと考えていることが分かる。

消費税増税については何度も述べているように、今の日本でこれを行えば景気はさらに後退し、格差が拡大・固定化していくことにつながるので反対である。
麻生が言う「中福祉・中負担」は消費税増税を根底に考えられていることから問題外であり、そもそも日本が目指すべきなのは中途半端な「中福祉・中負担」などではなく、思い切った税制改革つまりは所得税の累進課税化と固定資産税強化を行ったうえで北欧型の「高福祉・高負担」を実現させることである。これにより大資本や富裕層から厚く徴税し、貧困者からも応分の負担させることで社会保障の原資とする。あくまでも消費税のような一律なやり方で問題を解決しようという考え方には反対である。

さて、消費税増税を根底にして進めていった20日の経済財政諮問会議だ。議事録によれば「安心対策」「生活対策」について語られていくが、肝心の「中福祉」の具体的な中身については出席した議員はもとより、議長の麻生太郎自身がまともなイメージを持っていないことが明らかになっていて唖然とさせられる。
さらに、唖然とさせられるのは、「中負担」実現のための財政再建、無駄の削減や効率化について話し合われているときに突然、麻生太郎が口を挟む。
それが今回問題になったセリフだ。
以下、議事録から。

(麻生議長) 67 歳、68 歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ。だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。
病院をやっているから言うわけではないが、よく院長が言うのは、 「今日ここに来ている患者は 600 人ぐらい座っていると思うが、この人たちはここに来るのにタクシーで来ている。あの人はどこどこに住んでいる」と。みんな知っているわけである。あの人は、ここまで歩いて来られるはずである。歩いてくれたら、2週間したら病院に来る必要はないというわけである。その話は、最初に医療に関して不思議に思ったことであった。
それからかれこれ 30 年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったままなので、何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。


これにはさすがに他の議員たちも言葉を失ったらしく、与謝野馨はほとんど麻生の言葉を無視する形で議論のまとめに入っている。

乳母日傘で育った今年68歳の麻生太郎は、生活の厳しさに直面しながら生きてきた人々を理解していない。それどころか、社会保障は国民相互の助け合いが基本理念であるという基本中の基本も分かっていない。「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」というセリフには、そうした麻生の思い上がりと無知さ加減が顕著に現れている。
広島瀬戸内新聞ニュース」のさとうしゅういちさんは、「病気ってそれだけで苦しいんですよ」と麻生をたしなめているがその通りで、病気の苦しさは病気になった者にしか分からないとはいうものの、麻生の無理解ぶりには開いた口がふさがらない。格差と貧困が広がった今の社会には、保険料を支払うことができずに保険証を取り上げられ、実質的に医療から見放されている人々が、子供をふくめてどれだけいるか、麻生は分かっていないだろう。
社会保障とは、誰もが負担をする義務がある代わりに、誰一人漏れることなくサービスを受けられるものでなければならない。しかし、どれほど金持ちか知らないが、まるで社会保障費は麻生財閥が支払ってやっていると言わんばかりの麻生太郎は、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人」は保障など受ける資格はないと言っているに等しい。つまるところ、麻生は病気になるのは自己責任とでも言いたいのだろう。

こんな男が議長になって社会保障について会議を持ったとしても、永遠に日本の国民が救われることはない。
まったく、麻生のようなバカ男のことは、こうして書いているだけでも嫌になってくる。

本当に、一日も早く麻生太郎には総理の座を降りてもらいたいものだ。そしてこんな男しか担ぎ出せなかった自民党政権にも終わりを告げてもらいたいものだと切に願う次第である。

スポンサーサイト

関連タグ : 麻生太郎, 経済財政諮問会議, 社会保障, 医療費, 失言,

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。