上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
今日、6日の朝日新聞オピニオン欄に「われわれはどこへ」というタイトルの対談が載っていた。
「時代を見つめる2人の論客」、加藤周一上野千鶴子の対談だ。

はじめに感情論を述べておけば、日本の知性みたいな顔つきをした加藤周一が、私は嘘くさい気がして好きではないし、上野千鶴子を筆頭とする、いわゆるフェミニストという人々も好きではない。
なぜ好きではないかというと、加藤のような評論家も、上野のようなフェミニストも、偉そうなことを言っている割に、実は現実などろくに見ていないように思えるからだ。少なくとも一般平民との視点とはずれている。

で、今日の対談でもそのずれぶりが勘に障ったのでここに書いておく。

まず最初に、今年はアメリカで大統領選挙があり、日本でも総選挙があるかもしれない転換期になりそうだということから、ふたりは時代認識を問われる。
これに対して加藤周一は冷戦後から説き起こし、世界秩序がアメリカを中心に回り始めてしまったとし、それは裁判所と警察が一体化したようなものだという。しかし、経済についてはアメリカを中心としたグローバリズムについては疑問を呈している。中国やインドの経済力の台頭が、アメリカの思い通りにはならないようにしているというのだ。

本当にそうか?

サブプライム問題を見ても、世界の経済がアメリカの自分勝手な経済政策とアメリカのハゲタカどもによってひっかきまわされていることは、経済学者でなくても分かっていることではないか。日本が今のようなクソ社会になったのも、アメリカの新自由主義を真似したからだろう。
アメリカべったりで生きてきた日本から見れば、グローバリゼーションといえばアメリカ流を意味し、その留まるところを知らない自己中心的で拝金主義的な考え方はみなアメリカから譲り受けたものといえるだろう。
この時点ですでに加藤の認識は現実とずれている。
加藤は、今の日本をどう見るかという問いに対しても、「福田内閣は(社民的思想を取り入れているフランスのサルコジ政権になぞらえれば)日本式サルコジ内閣だ」と言っている。自分で冗談半分だがとエクスキューズしているものの、そのボケ具合は筋金入りといっていいのではないか。

一方の上野千鶴子は現代のルーツがポスト冷戦時代に入った90年代にあると見ている。これは正しい。ことに日本の場合、バブル崩壊以降の悪政が国民生活を惨めなまでに苦しめていることは明らかだ。上野はさらに、日本はグローバル化のなかで新自由主義を受け入れたとし、その結果女性の非正規雇用者が90年代以降激増したと述べている。しかも、新自由主義による改革を支持しているのが、他ならぬ非正規雇用者たちだと言っている。

しかし、その上野も、今後の日本について、健康保険さえ出来ない国がたくさんあるなかで、二つ目の国民皆保険となる介護保険は快挙だと言っている。
だが、父親が施設の世話になり、自宅には痴呆が進み始めている妻の母親がいる私から見ると、自立支援を基本にして作られた介護保険は欠陥だらけの制度だと思う。
介護保険がスタートする以前、妻の父親がやはり痴呆(言っておくけど、私は認知症という言葉には強い違和感を持っている)になってしまい、徘徊するなど面倒を見ていた家人が非常に苦労するのを見ていた経験があるが、介護する立場から見ると、経済的にも医療補助システム的にも以前の方が助かると感じたことが多かった。

上野は、「介護保険は草の根の福祉の担い手によって支えられてきた。希望は、彼らにある」と言っているが、現実には介護の現場で重労働・低賃金に喘いでいるのはまさしく福祉の担い手となっている「彼ら」なのだ。上野はそのことを知らずに『おひとりさまの老後』などという著作を書いているのだろうか。
将来介護の仕事につきたいと自分の子どもが言ったとしても、現実を見るかぎり、私にはその選択を勧める気には到底なれない。上野は「(介護の仕事に)携わっているのはほとんどが女性と若者。この人たちがプライドを持って働ける条件整備がぜひとも必要だ」と言っているが、それならばなぜ、介護保険を快挙などと持ち上げるのか。
「介護保険は女性や若者に雇用を作り出せる」と言っているが、現実は皮肉なことに、国民皆保険というシステムがあるが故に、おのずとパイは限られているのだ。現制度のままでは、雇用が増えればその分収入が減る。どこに希望があるというのだ。
高学歴・高収入の上野千鶴子くらいになると、そんな問題は大したものではないということか。

加藤は、上野の言葉を受けて「希望なしとはいえない。希望があるともいえない。『ある』と言いたいが、『証拠は』といわれるとつらい」と、訳の分からないことを言っている。ほとんど妄言だ。
これが現代の論客の台詞か。情けないと思う。

こんな2人の対談を、朝日新聞は一面を使ってよくも載せたものだ。
まったく勘に障るったらありゃしない。
スポンサーサイト

関連タグ : 新自由主義, 介護, 朝日新聞, 上野千鶴子, 加藤周一,

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。