上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
最近テレビを見るのも疎かにしているせいで、NHKが3日夜に放送したETV特集「いま憲法25条“生存権”を考える-対論 内橋克人×湯浅誠」を見逃してしまった。
断片的な映像はyoutubeで見ることができるのだが、これはやはり通してすべて見ておきたい番組だった。

そこではじめてNHKオンデマンドに登録し、315円を払って見ることにした。
NHKオンデマンドについては言いたいことがあるが、それは改めて書くことにする。

5月3日は憲法記念日で、この日NHKは憲法に関する特集番組を3本放送したが、その内の2本が憲法25条、生存権に関するものだった。
これまで、憲法記念日と言えば第9条が取り上げられることが多かったと思うが、今年になって25条が大きく取り上げられることになったのは、やはり昨年秋以来の不況と、それに派生する派遣切りの問題が大きかったのではないかと思っていた。

たしかに番組では冒頭から派遣切りされて住居を失った若者が映し出され、この春も開村された派遣村の様子などが出てくる。
突然職を失い、住居からも立ち退きを迫られた挙げ句、わずかな蓄えも底をついて街をさまよう元派遣労働者は、今の世相をよく現しているし、なにより憲法25条ですくい上げるべき象徴とも言える存在だろう。

しかし番組を見て私が驚いたのは、憲法25条が森戸辰男という日本人の手で作られた歴史もあるが、1957年に提訴され「人間裁判」として大きく報道された「朝日訴訟事件」のことである。
この事件のことは昭和60年代まで小中学校で教えられていたというが、不勉強だった私には記憶がない。まったくお恥ずかしい話である。
記憶にとどめると目にもあらためておさらいしておくと、朝日訴訟事件は国立岡山療養所に入所していた朝日茂さんが、憲法25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」と生活保護法の内容について争ったもの。

生活保護法は1950年に制定され、一般勤労世帯の生活費の50%を保障するものだった。しかし、国は財政事情からこれを30%に引き下げてしまった。
そうしたなかで、結核を患って療養生活を送っていた朝日さんは、月600円の生活保護を受けていたが、それだけでは生活が困難であるとして給付金の増額を求めた。しかし行政側はこれを拒否。朝日さんは1957年、生活保護は最低限度の生活を保障するものになっておらず、生存権を定めた憲法25条に反するとして提訴した。
人間として生きる権利を争ったこの裁判は「人間裁判」と呼ばれるようになり、1960年には東京地裁が「最低限度の水準は予算の有無によって決定すべきものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである」という判決を下し、原告が勝訴した。

しかし、国は即座に控訴。
裁判闘争は生活保護水準の引き下げは最低賃金の引き下げにもつながるとして労働組合も協力し、全国の関心を集めるようになった。
ところが63年に東京高裁が下した判決は原告敗訴。そして65年に原告の朝日さんは死亡し、養子となった健二さんが後を引き継ぐことにしたが、67年、最高裁は原告の死亡により裁判は終了したと判断し、原告の敗訴が確定した。
このとき、最高裁は「念のため」として生存権の判断についての意見を付け加えた。
それは「何が健康で文化的な最低限度の生活であるか、その認定判断は厚生大臣の裁量に任されており 直ちに違法の問題を生ずることはない」というもので、実質的に司法はこれをもって生存権の判断から手を引いてしまったことになる。

それでは判断を任された行政が何をしたかといえば、70年代のオイルショックをきっかけに低成長時代が始まったことから社会保障の削減を始めた。81年には第2次臨時行政調査会が設置され、さらに社会保障費を抑制するようにとの答申が出された。厚生省は生活保護申請について窓口での対応強化を求め、実質的に生活保護を制限するようになった。
その結果、受給者数はピークだった84年の147万人から10年間で88万人まで減少。87年には札幌で生活保護の申請を断られた母子世帯が餓死する事件が起きた。
しかしその後も政府の方針は変わらず、生活苦による餓死者や自殺者の数は増加していった。

そして2001年、小泉純一郎が総理大臣になり、聖域なき構造改革を旗印に社会保障費はさらに削られた。

つまり、生活困窮者は1957年以来、司法にも見放され、行政には放置されるどころか財政事情の受け皿としていいように利用されて今日に至っているということだ。
なんと、日本は半世紀以上も社会保障については劣悪な状況を続け、さらに補強してきたという歴史を持つわけだ。

番組に出ていた内橋克人が言っていた。
「日本はこれまでの歴史で一度たりとも福祉国家であったことはない」と。
一億総中流などといっていたのはまったくの戯言であり、多くの人間は企業に雇われ企業の福利厚生で守られていたに過ぎない。国民の目が向かないところでは50年以上も変わらない状態で貧困にあえぐ人々が細々と生きていたのだ。

まったくなんという事実だろう。

番組ではその後内橋と湯浅誠による対談が続けられ、日本では生活に困る人々に対して努力が足りないという意見と社会保障が不十分だとする考え方が綱引きをしている状態だと語られる。

しかし、その話を聞きながらも、私の頭の中では弱者を守ることを放棄した司法の無責任と、弱者を救うどころか社会の目が向かないのをいいことに彼らを見捨て、貧弱な保障をさらに削り続けてきた政府の非人間性に対する怒りが湧いてきて抑えようがなかった。

内橋克人は、日本の自由とは企業活動の自由を意味しており、新自由主義=市場原理主義が社会を動かす主軸になると人々はむき出しの市場原理にさらされることになったと語った。その結果、今では誰もがちょっとしたきっかけで生活困窮者になり得る「すべり台社会」になったというわけだ。

日本の経済を語るとき、バブル崩壊以後の10年間を「失われた10年」と呼ぶ。
しかし、国民生活の視点から見れば、日本の社会は人間裁判が提訴された1957年以降、失われた50年を送ってきたことになる。

日本は戦争もなく、物資に恵まれ豊かな国として誰もが信じ、国外からも憧れの目を向けられてきた。
しかし、それはまったくの誤魔化しに過ぎなかったのだ。

これほど弱者に対して冷たく、無慈悲な国は先進国に例を見ないのではないか。
自民党が引っ張ってきたという日本の戦後の歴史は、無残に国民を切り捨てる社会を巧妙に作り上げてきたものではなかったか。
この11年にわたって自殺者数が3万人を超えている事実を、われわれはもっと真摯に、重く考えていく必要がある。

つまり、自民党に政権を任せていたのでは日本は滅んでしまうことを、誰もが自覚していく必要があると思うのだ。
スポンサーサイト

関連タグ : 生存権, 人間裁判, 自民党,

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。