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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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私は麻雀というゲームができない。したがってルールその他をほとんど知らない。
知っているのは、相手の手の内を読みながら自分の役を作り、早く上がれば勝ち、ということくらいだ。西洋にはポーカーがあって、やはり腹の探り合いをしながら勝負をつける。しかし東洋と西洋のゲームで、どれくらい腹の探り合いの仕方に違いがあるのか。そこまではわからない。

ラスト、コーション
アン・リー監督の「ラスト、コーション(LUST, CAUTION)」を観た。
もしかすると、この作品は麻雀ができる人間の方がわかりやすいのかもしれない。
それほどに、男と女が相手の心を探り合い、ギリギリの駆け引きをする様を描いているのだ。目の動き、手の仕草、言葉の選び方、ひとつひとつが駆け引きの材料になっていて目が離せない。目が離せないのに、男の心も女の心も、本当のところは最後までわからない。物語の中で、女たちが麻雀の卓を囲むシーンが何度も出てくるが、そこでのやりとりが何らかのヒントを提供しているのではないかと思っても、私にはわからない。
しかし、わからない者もわからないなりに緊張感を持って最後まで観てしまうのだから、アン・リーの手腕はやはり優れているというべきだろう。

舞台は日本軍の占領下にある1942年の上海。ヒロインのワン(タン・ウェイ)は抗日運動をする地下組織が送り込んだスパイとして、治安警察の長イー(トニー・レオン)に接近している。イーは日本の傀儡政権の手先であり、抗日分子を検挙・拷問し、処刑することで高い地位を得た、もっとも憎むべき相手なのだ。組織は、ワンからの情報を元にイーを殺害する機会を狙っている。

そもそもワンがイーに近づくようになったのは、4年前、彼女が香港の大学で演劇部に所属するクァン(ワン・リーホン)と知り合ったのがきっかけだった。クァンは典型的なエリート学生運動家で、演劇で国民に愛国心を訴えるだけでは物足りず、イーの知り合いに近づいたことから仲間を誘ってイー暗殺を企てる。ワンは貿易商のマイ夫人としてイー宅に潜入し、奥方たちの麻雀仲間になってイーの動向を探る。しかし警戒心の強いイーは容易にワンをそばに近づけない。
学生の分際で、政府高官の殺害を目論むなど無理に決まっている。そう思わせながらも、ワンは巧みに女性としての魅力を使い、思わせぶりな仕草と言葉でイーの心に入っていこうとする。このあたり、タン・ウェイがもつ初々しさとオトナの女としての色気が入り混じった魅力は素晴らしい。トニー・レオンの感情をまったく現さない演技も不気味でありながら魅力的だ。映画はこうして序盤から目に見えない心理戦を展開させていく。

やがてイーもワンの魅力に惹かれるそぶりを見せ始め、二人で会うようになる。そして次にイーから連絡があれば、それはワンを愛人にすることになるというところまで作戦はすすむ。ところがワンにはセックスの経験がない。そして仲間の男子学生にも女を知っている者は、娼婦を買ったことがあるという冴えない男一人しかいない。ワンは、本当はクァンに惹かれており、クァンのためにマイ夫人に扮していた。しかし作戦を成就させるにはイーに処女であることを見抜かれてはならない。ワンは学生相手にセックスの「練習」を引き受けることにする。もうここまでくると、後には引き下がれない。クァンに未練な視線を送ることもせず、好きでもない男に抱かれるワンの表情が、かえって悲壮な決意を現している。
しかし、イーから来たのはは突然、香港から上海に転勤することになったという連絡。
イーは、ワンのことを見破っていたのか?

と、前半のあらましだけでもかなりな心理戦が繰り広げられる。
物語はそれから3年後、戦争のために大学を辞め香港から上海に移っていたワンが、クァンに再会し、イー殺害の計画がまだ続行中であることを知らされるところからクライマックスに向けて突き進んでいく。抗日組織からスパイとしての特訓を受けたワンは、マイ夫人としてイーに接近。今度はまんまと愛人になることに成功するのだが、彼女を待ち受けていたのは愛情表現とはほど遠い激しいセックス。イーはありとあらゆる手を使ってワンの体も心も支配下に置こうとしているかのようだ。このあたりの描写は、日本ではかなりカットされているらしいが、それでも十分に激しい。
それは戦時下の中国で、日本の手先に成り下がって出世したイーという男の屈折した心情と他人のウソを見破るプロとしてのプライドが、どこまでワンを信じられるのかを試しているかのようだ。さらにワンからすれば、一度は籠絡に失敗した憎むべき相手にとうとう体は許したものの、暗殺という目的は決して悟られてなるものかという決意がある。わずかでも、ウソがばれれば待っているのは自分やクァンの死だ。イーは冷酷に皆を殺すだろうことはわかっている。ワンにしても、セックスで負けるわけにはいかないのだ。
そんな二人が体をぶつけるようにしてセックスしていく。私にはエロチックなどというよりも、まさしく男と女の闘いに見えた。

どこまでが謀でどこまでが真なのか、ふたりの心の中は見えないままに物語は終わりが近づいてくる。男と女、さあ勝つのはどちらか。
映画はなんとも心にしみるラストシーンで画面が暗くなる。これぞ、まさに大人の映画。恋愛をファンタジーとしてしか描けない日本映画は爪の垢でも煎じて飲むがいい。
イーは絶対的な権力者としてワンに対しては強者であるが、ワンは愛をクァンに捧げながらも体を張った意地がある。最後に勝つのはやはり女の意地なのか。そんなことを思わせながら、この映画は長く心に残っていきそうだ。
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関連タグ : 映画, ラスト、コーション, トニー・レオン, タン・ウェイ,

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