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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
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●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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北朝鮮がムスダンリから「通信衛星を乗せたロケット」を打ち上げると通告した期日は4日から8日の間。はやければ明後日にも「ロケット」が打ち上げられることになる。

これについて、日本ではそれが通信衛星を乗せたロケットではなく、爆弾を積んだミサイルなのではないかとの憶測が乱れ飛んでいる。それというのも、ロケットもミサイルも本体は同じ物であり、違うのは天辺に載せているものが人工衛星か爆弾かの違いでしかないからで、しかも通常ロケットは地球の自転を利用して東向きに打ち上げられるもので、その打ち上げコースの真下には日本列島があり、もし爆弾を積んだミサイルならば日本を直撃する恐れがあるからだ。

北朝鮮に対する信用は、日本では限りなく低い。
だから人工衛星であろうとミサイルであろうと、とにかくぶっそうなものを打ち上げられては困るというのが日本人の感情だ。普通ならば東側に他国がある場合、自国から打ち上げるのではなく他の国にある打ち上げ場を借りるものだが、北朝鮮の場合はあくまでも自国からの発射にこだわっている。それは「ロケット」打ち上げが国威発揚につながるからだろうが、日本からしてみれば爆弾を落とされる恐れがあるうえ、たとえ衛星を載せたロケットだったとしても打ち上げに失敗して日本に落下してきたらどうするのか、あるいは切り離した燃料タンクが落ちてきたらどうするのか、心配の種は尽きることがない。
なんとも困った隣国。それが北朝鮮で、打ち上げ中止を訴えてももはや聞く耳持たないという態度だ。

これに対して日本はどう対応すべきなのか。
先月下旬からのマスコミ報道を見ると、まるで今日本は戦時下にあり、テレビも新聞も大本営発表の情報を垂れ流していた時代に逆もどりした感がある。

新聞見出し

上は、各新聞が報じた北朝鮮の「ロケット打ち上げ」に関する報道の見出しだが、毎日を除いて5社が「ミサイル」という言葉を使っている。そして各社とも「冷静に備えよ」「万全の態勢を」「揺さぶりに動じるな」と勇ましい言葉を使い、これでは北朝鮮の報道もびっくりという論調だ。
こうした心配を受けて、政府も3月27日に浜田靖一防衛相が自衛隊に対して初のミサイル破壊措置命令を下した。そして「ミサイル」が飛んできた場合に備えて地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を配備することに決め、東京、埼玉、千葉の首都圏と「ミサイル」の弾道下にあたる秋田、岩手にこれを設置した。

また海上配備型迎撃ミサイル(SM3)を搭載したイージス艦「こんごう」「ちょうかい」を日本海に、また「ミサイル」をレーダーで捕捉するためのイージス艦「きりしま」を太平洋に展開した。

しかし最新鋭のこれらの兵器を使っても、猛烈なスピードで飛翔する物体に命中させることは難しいとする専門家は少なくない。さらに、もし命中したとしても、こんどはバラバラになった物体の破片が日本上に落ちてくる可能性もある。

防衛問題を語るのは難しいのだが、あえて言うならば、私にはどうも日本は過剰反応しているような気がしてならない。
もちろん、日本上空をミサイルだか衛星を載せたロケットだか、得体の知れない物体が飛ぶというのは愉快なことではないし、できることなら今からでも北朝鮮に自重してもらいたいものだ。たとえ北朝鮮がいつもの通り頑なな態度をとったとしても、日本政府はギリギリまで外交的に打ち上げ中止を訴え続けるべきだろう。
しかし、北朝鮮から見れば今の日本はどう映るだろうか。
近頃めっきりおやつれになった将軍様を元気づけるためにも、ここはどうしても大きな花火を打ち上げてやる必要があるというのに、勝手にミサイルだと騒ぎ、迎撃ミサイルまで配備している。日本側はわが国のロケット打ち上げが失敗したときのことを勝手に心配しているが、せっかく打ち上げたロケットを破壊されたのではたまったものではない。いわんや、迎撃ミサイルが標的を外してわが国に飛んできたらどうするのだ。
これは戦闘開始行為に他ならないではないか。

北朝鮮はそう思って、結果によっては本当に日本を攻撃してくるかもしれない。

日本は憲法9条という平和憲法を持っている国であり。戦争は放棄しているはずである。
その日本が防衛のためとはいえ、立派なミサイルを撃つというのはどういうことなのか。
このことに関して論じようとする者は、どういうわけか見かけない。
日本はいつから「一億総火の玉」になってしまったのか。

わかっている。こんなことを言うと、「それではお前は自国が攻撃されたときに、黙ってやられていろと言うのか」という問いが突きつけられるのだ。
この問いに答えるのは容易ではない。
けれども、今の私に言えるのは、北朝鮮が打ち上げようとしている物体を「ミサイル」と決めつけ、それが打ち上げられた場合の迎撃態勢ばかり整え、迎撃が可能かどうかばかり論じていていいのかということだ。アメリカが提供する衛星写真を見てロケットかミサイルかと論じたところで、分かるわけがない。今、北朝鮮が打ち上げようとしている物は、打ち上げてみなければ衛星打ち上げのためのロケットなのか、日本をふくむ他国を攻撃するためのミサイルなのかは分からないのである。
分からないものに対して最悪の場合ばかり想定していていいのだろうか。
私はむしろ、最悪の場合でなかった場合を想定した論議が必要な気がしている。
北朝鮮がやろうとしている行為は、国際的に見ても、つまり安保理決議に照らし合わせて見ても違反行為である。けれども、北朝鮮に戦意がなく、ほんとうに通信衛星を打ち上げる世界で10番目の国になりたいのだとしたら、もう少し柔軟な対応が考えられるのではないだろうか。

北朝鮮は拉致問題もふくめ、日本にとっては好ましからざる国である。
だからといって、強硬な態度ばかりが先走り、ろくに議論もせずに破壊措置命令を下し、迎撃ミサイルを配備していたのではかえって北朝鮮を刺激し、無用な摩擦を引き起こすもとになるのではないか。私はそのことを恐れる。
新聞もテレビも、ミサイルが飛んできたらと書き立てるばかりでなく、北朝鮮に自重を促し、今後もこのような行為をさせないように説得するような報道があってもいいのではないか。われわれは一人ではないのだ。国際社会も日本の味方だ。北朝鮮のような国には一国ではなく世界が力を合わせて臨んでいかなければならない。そのための議論を、日本の中でもっと尽くしていく必要があるのではないか。

テポドン2号と見られる物体が打ち上げられたとして、それが通信衛星を運ぶものなのか、それとも攻撃用ミサイルなのかを判断するには5分から10分の猶予しかないという。
そのわずかな時間にかけて、一億総火の玉になってしまって大丈夫なのか。
私にはそのことが心配なのである。

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関連タグ : 北朝鮮, ミサイル, 破壊措置命令,

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