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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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明日27日は、国連が定めた国際ホロコースト追悼記念日にあたる。
第2次世界大戦当時、ナチス・ドイツはユダヤ人ら600万人を虐殺したが、1945年の1月27日、悪名高いアウシュビッツ強制収容所から生き残った人々が解放された。
国連がこの記念日を制定したのは2005年だが、5回目の記念日を前にして、世界ではイスラエルによるパレスチナ侵略とアラブ人虐殺に抗議して反ユダヤ的行為が各地で起きているという。

それはそうだろう。
ユダヤ人たちは地球上の誰よりも辛く、苦しい日々を送り地獄のような毎日を味わってきたというのに、その経験を活かそうとせずに同じような思いをパレスチナに暮らすアラブ人たちに加えてきたからだ。
反ユダヤ主義に同調して暴力をふるったのでは、結局その行為もまたナチスやイスラエルと同じ行為をしていることになるのだから、私は各地で起きている騒ぎには反対である。
けれども、気持ちの上ではイスラエル人たちを決して許せないと思っている。

同時に、ナチスやイスラエルと同じように許せないのは、今の自公政権だ。

昨日のエントリで眠り猫さんが民主党に対して送ったメールのなかにあった次の文章が忘れられない。

「今の経済の困窮の折、ここ10年近く、毎年3万人の自殺者が出ている。1日80人以上の死者だ。ガザ虐殺より多い。」

私は、1月23日のエントリで戦争というものが人間性を推し量る試金石だと書いた。
眠り猫さんのこの一文を読んで、何も感じない人間がいるとするならば、その人間は冷血漢であり、自公政権とともに同じ日本人である同胞を10年にわたって大量に殺しておきながら、なお平気な顔をして自分のことだけしか考えられない最低の人間だと思う。

今月14日には、大阪で49歳の元派遣社員がワンルームマンションの自室で餓死と見られる死体で発見された。冷蔵庫の中は空で、所持金はわずか90円だったという。行政解剖の結果、胃腸に残留物はなく、低栄養状態だったことが明らかになっている。

社会保障制度を崩壊させ、労働環境を破壊してきた自民党と公明党による政治が生んだ犠牲者である。
職を失い、生活に困っても拠り所にするものが何もない社会を自公政権は作り上げてきた。
その結果、毎日平均して80人もの人が自ら命を絶ち、あるいは誰にも知られないまま孤独に飢えて死んで行っている。
どう考えても今の日本社会は異常としか言いようがない。
自公政権が日ごと夜ごと日本全国に絨毯爆撃を仕掛けているおかけで、生活に行き詰まることや餓死することさえも人ごととは考えられない状況になってしまった。
国民が餓死する国。それが今の日本だ。

リーマンショック以来、極端に景気が悪化しているアメリカでさえ、飢えている人や困っている人には助けの手がさしのべられている。
日本では人を救うと言っている宗教団体を支持母体にしている政党が政権の座にありながら、誰も助けようとせず、次々と犠牲者を増やし続けている。
これが異常でなくて、何が異常だというのだ。
キリスト教国のアメリカならば、政府に替わって教会が慈善活動を率先して行うが、この国ではどの宗教家も声一つ上げようとしない。
これは、見ようによってはガザで起きた虐殺以上に酷い状態といっていいのではないか。

大阪の共同住宅の一室で死を迎えた男性は、果たして今年何番目の犠牲者だったのだろうか。
景気の悪化で経営が厳しくなっている全国の中小企業経営者たちは、目前に迫っている年度末をどのような思いで迎えようとしているのか。今年3月は、もしかすると今までになく自殺者が増えることが懸念されている。
それに対して政府は何をしているか。
とてもではないが、ソマリアなどに自衛隊を派遣しているときではないのだ。
政治家たちは、今の日本国内で起きている戦争をなんとかして終わらせなければならない。
それが何よりも優先すべき事柄だ。

そして憎むべき新自由主義による政治を続けてきた自公政権を何としても打ち倒さなければならない。

この見えない戦争が終わったとき、その日を日本のホロコースト追悼記念日として永く伝えたいものだと思う。

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関連タグ : ホロコースト, 餓死,

犬のケンカというやつは、単なるじゃれあいのような取っ組み合いから、命がけの決闘まで、いくつかの段階がある。激しく組み合って噛み合っているようでも、案外彼らにしてみれば遊び半分ということもあり、そんな場合には飼い主が「こらこら!」と制止すれば離れていく。
しかし、いわゆる本気モードになると、犬は特有のニオイを発散するらしくそれを嗅ぐことで犬たちはさらに興奮して抑制がきかなくなる。こうなると飼い主が間に入っても止めることは容易ではない。正気を失ったかに見える犬は、どちらかが負傷して引き下がるまで闘いを止めようとしないのだ。

これはなにも犬だけの話ではないように思える。
たとえば、ときどきニュースにもなる集団リンチ事件などは、暴力をふるっているうちに正気を失い、そうなると相手にどんな危害を与えても当然だというような高揚した気分が支配して抑制がきかなくなる。その気分はその場にいる人間に瞬く間に伝播して、暴力をエスカレートさせる。たわいもない理由で始まった集団暴力が、終いには殺人事件へと発展していくときは、こうした人間の正気を失わせる空気が現場を支配していることが多いと考えられる。

その最たるものは戦争だろう。
ホロコースト

今、世界中が注目し、多くの人が心を痛めながらどうにも止めることができない「戦闘行為」がイスラエルパレスチナの間に繰り広げられている。
しかしここで「戦闘」という言葉を使うのには抵抗感がある。
パレスチナ側がロケット砲で散発的に攻撃しているのに対し、イスラエルはアメリカから提供された潤沢な兵器を存分に使い、空から陸から、圧倒的な戦力で人口が密集しているガザ地区を攻撃し続けている。イスラエルパレスチナ人たちを狭い地域に押し込め、兵器はもちろん、食料や医療品の供給もできないようにして攻撃している。
この2週間ほどの間に、パレスチナ側では700人近い死者が出ているのに対して、イスラエル側は数人ほどの犠牲者がでているだけだ。この事実だけを見ても、両者の戦力がいかに偏ったもので、攻撃が一方的に行われていることがあきらかになろうというものだ。

そして6日には国連機関の学校が砲撃されて多くの犠牲者が出た。さらには医療活動を続けている国連の自動車も攻撃されて職員が殺された。
イスラエルは明らかに攻撃する必要のない施設や人員に攻撃を加えて犠牲者の数を増やしている。それを作戦遂行の一環として正当化している。
さらに昨日は、ガザ近郊のザイトゥン地区で110人のパレスチナ市民をイスラエル兵が銃を突きつけて1軒の住宅に集めたうえで砲撃を加え、少なくとも子どもをふくむ30人を死亡させるという事件が起きた。

こうした一連のイスラエルの行為を見ていると、どうしても思い出してしまうのは、かつてナチスがユダヤ人民に対して行ったホロコーストの悲劇である。
あのとき、ナチスは優勢思想からユダヤ人を世界から抹殺しようとした。強制収容所をつくり、そこの連行されたユダヤ人たちはガス室に閉じ込められて一気に殺害された。
収容所では過酷な労働と非衛生的な環境、それに最低限の食料しか与えられずに、何人ものユダヤ人たちが餓死したり病死したりした。

今、イスラエルがパレスチナ人たちに対して行っている行為は、かつて自分たちの縁者たちが受けたのと同じ行為をなぞっているとはいえないだろうか。
150万人もの人々を狭い地域に押し込めて食料や医薬品を運び込むことを禁止し、事実上、彼らはパレスチナ人を鉄格子のない収容所に隔離してしまった。
そのうえで、子どもや女性をふくむ非戦闘員を無差別に銃撃あるいは砲撃して命を奪っている。昨日起きた、住民を閉じ込めたうえで砲撃を加えた事件などはナチスのガス室や、あるいは米軍がベトナムで行ったソンミ村での虐殺事件を想起させずにおかない。

イスラエル人たちは、もはや抑制を失わせるニオイを嗅いでしまった犬のように相手を殺さずにおかない気持ちになっているのではないだろうか。
あるいは国を挙げての集団リンチに加わっているうちに、相手に何をしても構わないような残酷な気持ちにはまりこんでいるのではないだろうか。

噛み合いに夢中になってしまった犬を鎮まらせるには、冷水をかけてやるか、人間が棒などをつかって力ずくで引き離してやるしかない。
集団リンチに夢中になってしまった半狂乱の人間を鎮めるには、冷静な第三者が間に入って暴力を止めるように説得するしかない。

イスラエルが今行っている、残虐な行為を止めさせるにも、こうした手段が有効なのだろうか。
冷水を浴びせて攻撃に逸る政府や軍部を抑えることができるのならば、地中海の海水でも浴びせかければいいのだろうが、彼らはそんなことでは諦めないだろう。
ならば残っているのは、冷静な判断力を持った第三者が仲裁に入るか、ある程度の武力を持って抑止する方法しかない。
仲裁にはいるべき第三者として、いちばん期待されるのが国連だったが、停戦を求める決議にアメリカが反対してその効力は半減してしまった。今となってはエジプトの停戦案をイスラエルがどれだけ真摯に受け止めるか、その理性に期待するしかない。
もし、エジプトの仲介も不調に終わったならばどうなるか。

私は武力を使うことには反対だから、世界中でイスラエルに対するボイコット運動を広めていくことがいちばん有効なのではないかと思う。ただし、この方法には即効性がないのが懸念材料だ。それでもガザにいるパレスチナ人たちに、これ以上犠牲者が出ないために、私たちは何かをしなければならない。それは一人一人が声を上げていくことであろうし、イスラエル政府に抗議する運動に参加することでもあろう。また、イスラエル産の輸入品を買わないということもひとつの方法だ。世界中の人間ひとりひとりが考えて、この残酷な現実を早く終わらせるために手を打たなければならない。
さもなければ、イスラエルの行動に業を煮やしたアラブ同胞国が立ち上がり、大規模な戦争が勃発する恐れもある。

それだけはなんとしても避けなければならないと思うのだ。

関連タグ : イスラエル, ホロコースト, パレスチナ,

私が自分の能力を呪いながら原稿を書いている間に、遠い世界ではとんでもないことが起こり続けていた。そのことについては「カナダde日本語」の美爾依さんはじめ、多くのブログで書かれているので、もはや私などは書く資格などないのかもしれない。
戦争の悲惨
しかし、罪もない子どもをふくむ民間人が無差別に殺されている事態を傍観していることが許されようか。
ユリウス・カエサルは「人は、自分が見たいものしか見ようとしない」という言葉を残している。そして山本夏彦は同じことを「人は見えないものは、ないものだと思い込む」と言っている。
それは今のわれわれにも見事に当てはまる。

先月27日以降、パレスチナ自治区にあるガザ地区を、イスラエル軍が攻撃している。
激しい空爆のために、多くの住民が犠牲になった。なかには生後6ヶ月の赤ん坊もいた。
イスラエルはイスラム原理主義のハマスを攻撃しているという大義名分で爆弾を落とし続けているが、その実やっていることは大量虐殺であり、アラブ人を対象にしたホロコーストに他ならない。
ホロコーストといえば、いうまでもなくナチスドイツがユダヤ人の絶滅を目的におこなわれた一連の計画的な大量虐殺を指すのが普通だが、今回、中東で行われているのは、かつて被害者だったユダヤ人がアラブ人の絶滅を目指して行っている大量虐殺行為である。

パレスチナでは毎日のように悲惨な状況が生まれ、その模様はyoutubeでも見ることができる。

しかし、日本では、この虐殺事件そのものの報道がきわめて少ない。
イスラエルによる攻撃が始まった当初は、それでも新聞は写真入りの記事を載せていた。けれども日本の新聞社が選ぶ写真は、破壊された建物や難民になった人々の表情をとらえるものが多く、血を流し、無残な遺体が散乱している「侵略戦争」の現場を伝える写真は皆無である。
これではいかに記事で悲惨な事態が発生していると書いても、訴える力は弱い。
破壊された建物

侵略と無差別の虐殺は、建物が破壊されるだけでなく、そこに住む人々が血を流し、命を奪われ、生活の手段もなく逃げ惑う、この世の地獄なのだ。もっとも残酷な現実なのだ。
どうしてその様子を知らせないのだろう。
残酷な場面を流せば、社会に悪い影響を与えるという理屈は、実際に銃弾から逃げ惑っている人々に、どのように聞こえることだろう。

ユダヤ人たちは2000年以上も昔から、この地で争いを続けてきた民族である。
wikipediaでは彼らを次のように説明している。
「古代エジプトによって奴隷として連れ去られ、200年後にモーゼの導きで脱出、パレスチナの地に古代イスラエル王国を造った。しかし紀元前586年に新バビロニアにより滅亡し、いらい2500年近く確固たる民族(宗教)国家を持たず、ローマ帝国に反乱を鎮圧されて以降はほとんどの国民がヨーロッパを中心に世界各国へ散らばった。以降ユダヤ教徒としての各地への定着が進む。」

このような歴史を持つユダヤ人たちは、歴史的に被害者意識を強く持っており、その反面では唯一絶対の神に選ばれた民族であるという選民思想をもっている。
世界各国にコミュニティを作りながら、彼らは自分たちの伝統にこだわり、周囲となじもうとしなかった。ローマ帝国がユダヤに弾圧を加えたのも、もとはといえば彼らがローマのしきたりを守らず、それでいて商売や金融で富を蓄えていたという、周りから見れば「おもしろくない存在」だったことが大きい。唯一絶対の神しか認めない彼らは多神教であるローマを邪教徒とみなし、リーダーが現れるたびローマに対して反乱を起こした。だからローマも業を煮やしてパレスチナを焼き払い、彼らを追放したのだ。「屋根の上のバイオリン弾き」で、主人公たちユダヤ人一家はロシアによって土地を奪われる。そこでも描かれていたのは被害者としてのユダヤ人だった。伝統と宗教を大切に生きる。そのことを非難することは誰にも許されず、ユダヤであるというだけで排除されてきた歴史は確かに悲しい。
けれども、その歴史を裏を返せば、彼らは悲しい歴史を持つゆえに、他者を敵と考えやすい人々ということはできないだろうか。

ユダヤ人が持っている被害者意識と選民思想。
これが後にヒトラーをして民族絶滅を決意させたのではなかったか。

そして今、イスラエルパレスチナに住むアラブ人たちに対して行っている暴挙もまた、根底には彼らの被害者意識と選民思想があるように思われる。
ユダヤ人たちはイスラエルを建国したが、ほんとうの故郷はパレスチナだという思いがある。
けれども、長い歴史の間に、その地にはアラブ人たちが住み着いていた。彼らは多くがイスラム教徒であり、ユダヤ人にとっては憎むべき邪教徒でもある。
祖国を奪い、邪教を信じる民を滅ぼす。
これがイスラエルの考えなのだろう。

そして今や各国に散って隠然たる力を持つようになったユダヤ人たちは、アメリカ政府をも操作してイスラエルの味方をさせている。アラブ人たちに力を貸しているイランを敵視し、遠からず攻撃も辞さない構えを見せている。

世界ではこういう情勢が日々刻々と移っているというのに、日本では何も伝えようとしない。
昨日のNHKのニュースでは日銀総裁人事と春闘、それにスペースシャトルに乗り込む土井隆雄の表情を伝えていた。そこにはパレスチナのパの字も、アラブ人のアの字も出てこなかった。
今朝の朝日新聞にも、パレスチナ情勢は皆無だった。

人は、自分が見たいものしか見ようとしない。
ならば、日本人は何を見ようとしているのだろう。
世界のどこかで流されている血から目を背け、役人の人事と道路を造るカネのことばかり心配している。マスコミは世界から国民の目を逸らさせ、些末なニュースばかり垂れ流し、世の中はそんなもので成り立っているように思わせようとしている。

昨日はNHKで「日本の、これから」という番組で、日本人の学力低下の問題を討議していた。
しかし社会全体を見渡してみると、子どもの学力低下の問題は重要に違いないけれども、今の大人たちの知的能力、現在を読み解くためのリテラシーが限りなく無残なまでに低下し劣化してきている。
そのことの方が問題に思えてならない。

何度も繰り返すが、人は自分が見たいものしか見ようとしない。
しかし、その態度を改めない限りはものごとの本質は永遠に見えてこないのである。
カエサルは、人が見ようとしないものを見て、社会を変え、歴史を作った。
われわれはカエサルには及ばないとしても、せめて、ほんとうは見たくないものにも目を向けて、それを正しく理解する努力をすべきではないのか。
日本人はともすると個人の能力を知識で測ろうとするが、私は違うと思っている。
知識とはあくまでも土台に過ぎないものであって、人間にとって、一人前の人間として生きて行くには知力が必要なのだと思う。
知力がなければ、見たくないものを見ることはできないのだ。知力がなければものごとを総合的に判断することも難しい。いや、それ以前にあらゆる情報を受け入れ、咀嚼し、消化して自分の栄養にすることができない。

日本のニュースはなぜ、パレスチナに目を向けさせないのか。
それはイスラエルを応援するアメリカの意図が働いているからではないのか。
しかし、今やわれわれは意志さえあれば情報を知ることができる。
情報を知って、冷静に判断すれば、イスラエルがやっていることがいかにひどいことかを判断できる。
そのうえで。
なにかをしなければならない。
それは一人一人が、自分の言葉でブログを使って非難の声を上げることでもいいのではないか。
いや、他にももっとできることがあるかもしれない。

自分の目を持ってこの世界と、自分が住む社会を見ていかなければならない。
そして声を上げなければならない。

……糊口をしのぐための原稿をショボショボ書きながら、私は今、そう思っている。


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関連タグ : パレスチナ, ガザ侵攻, イスラエル, ホロコースト, ユダヤ人, リテラシー, カエサル,

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