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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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昔、日雇い労務者は日銭を稼ぐと簡易宿泊所、いわゆる木賃宿に寝泊まりしていた。そこではまったくの素泊まりだけで簡単なカギのついた部屋に薄くてかび臭い布団があるだけだった。料金は前払いで、金がなければもちろん泊まることはできない。
周辺では仕事にあぶれた男たちが昼間からカップ酒を飲み、どこからか拾ってきた新聞を広げて見ていたりする。
なんとも殺伐とした光景だった。

私が学校に通う時、電車の窓から木造長屋の木賃宿が見えていた。「一泊300円」などという、ペンキの剥げかかった看板が掛かっているのを見ながら、ああいうところで寝泊まりするようになったら終わりだな、などと勝手な想像をしていたものである。今ならその看板も「一泊1500円」程度に掛け替えられているのではなかろうか。それでもそこを利用する客は、なくならないだろう。

その木賃宿が、最近はネットカフェや漫画喫茶、個室ビデオ店と衣を替えて繁華街に進出している。
利用するのは終電を逃したサラリーマンが多いらしいが、一泊1000円程度で泊まれるとあって、金に困っている日雇い労働者や派遣社員など、ワーキングプア層もねぐらとして利用しているようだ。

さいわいにも私はネットカフェや漫画喫茶、それに個室ビデオ店も利用したことはないのだが、もしそこで寝泊まりしなければならなくなったなら、かつて木賃宿の光景を見て思ったように「俺もついにここまで来てしまったか」と慨嘆するに違いない。

ネットカフェも漫画喫茶も個室ビデオ店も、必要最低限の体を休めるだけの設備は整えているが、ほんらい寝泊まりするための施設ではないのだから、そこで何日も暮らすとなれば体には相当な負担になることは想像に難くない。それでも、さまざまな事情を抱え、自分の家の布団に身を横たえることができなくなってしまった人々が、仕方なくここを訪れ、つかの間の休息を得ているのだ。
彼らに共通しているのは、貧困。不安と絶望。
ネットが利用できたり漫画が読めたり、エロビデオが見れたりするかもしれないが、そんなものを目当てにこれらの施設を使う者はほとんどいないだろう。

終電に遅れたサラリーマンにしたところで、仕事で帰りが遅くなったのならば、ほんらいは会社がタクシー代を出すべきなのに出してはくれないものだから、よんどころなく個室ビデオ店を利用することになる。なぜ仕事が遅くなったかといえば、業績悪化でリストラが進み、仕事場から社員が減ったために仕事量が増え、毎日遅くまで仕事をしなければならないのだ。

昔ながらの木賃宿は今でもあるが、さすがにそこまでいくのには度胸がいる。しかし一晩泊まるにはなるべく安いところを選ぶしかないから、彼らは風俗店のドアを潜っていく。
石原慎太郎

こうした人々のどこが、ファッション感覚で寝泊まりしているといえるだろうか。
それを、事情も分かりもせず、貧しさに喘ぐ人々の気持ちを想像する能力もない東京都知事の石原慎太郎は、愚弄した。

石原は3日の会見でこう言った。
「山谷のドヤに行ってご覧なさいよ。200円、300円で泊まれる宿はいっぱいあるんだよ。そこへ行かずにだな、何か知らんけれどもファッションみたいな形でね、1500円っていうお金を払ってね、そこへ泊まって『おれは大変だ、大変だ』って言うのはね」

これに対しNPO「もやい」の稲葉剛代表理事は「200円~300円で泊まれる宿なんて聞いたことがない。個室ビデオ店に泊まる生活困窮者を『ファッションみたい』というのも失礼な話だ」と指摘している。

石原慎太郎という稀代のポピュリストは、次から次へと口から出任せでものを言う。そしてこの男の口から出てくる言葉は必ずといっていいほど人を小馬鹿にし、傷つける毒をふくんでいる。この男が生活困窮者の気持ちを思いやることなど、百年経ってもできないだろう。
木賃宿に泊まるようになったら終わりだなと思ったとき、私の心の中には、いつか自分もそういう境遇になることへの恐れがあった。木賃宿に泊まるということはどういうことを意味するのか。そういう生活をするということは、どんな思いを味わうことなのか。
私には想像することができたから、できることなら利用せずにすましたいものだと思ったのだ。

東京都の知事として盤石の基礎を築き、殿様のように周囲を見下して暮らしている石原のような男には想像もつくまい。
今、貧困が国民の間にどのように広がっており、一日一日を凌ぐために人々がどんな思いをしているのか。

私は石原慎太郎の吐き出す汚れた言葉を耳にするたび、耳に栓をしたくなる。それでも石原の言葉はどこかから耳目に入ってくるからついに気分が悪くなる。そして怒りが湧いてくる。
この男のねじ曲がった自尊心を叩きつぶし、世界でいちばん惨めな生活を味わわせてやることができるのなら、私は悪魔に魂を売ってもいいと、本気で思っている。

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関連タグ : 石原慎太郎, 貧困, ファッション,

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