●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン
私が実際にパンダを見に行ったのは、当初の過熱状態からずいぶん時が経ってからのことだったが、それでもパンダ舎の前だけは混んでおり、立ち止まってみることは許されなかった。
肝心のパンダも、小屋に入るかしていてカンカンだかランランだかのどちらかが笹の葉を食べている姿をちらっと垣間見ただけだった。
パンダなんて、つまんねえじゃん。
それが、上野でパンダを見てきたときの感想だった。
そのランラン、カンカンも死に、フェイフェイ、ホアンホアンが来てユウユウが生まれたときは、また大騒ぎをした。ユウユウの歌までできて、幼稚園の子どもたちが歌わされていた。
私は、なんだかなあと思っただけである。
べつにパンダには恨みもなにもないけれど、もう見に行きたいとは思わなかった。

その後ユウユウは中国に送り返さなければならないことになって、代わりに北京動物園からやってきたのが30日に死んだリンリンだ。
日本には今、王子動物園にもパンダがいるが、これらは中国から借りているものであり、いずれは返さなければならないことになっているのだそうだ。パンダに貸借権があるとは知らなかったが、リンリンだけは日本に所有権がある唯一のパンダだったのだそうだ。
そのリンリンが死んでしまって、空になった上野のパンダ舎に新たなパンダを入れようと、今度ばかりは福田康夫も手回しよく配慮しているらしい。来日する胡錦涛にパンダのことをお願いするのだそうだ。
新たにパンダが来れば(これも貸されるだけか?)、また幼稚園では歌を作って喜ぶのかもしれない。

しかしパンダが来て喜ぶのは幼稚園児と福田康夫と、その周辺のおめでたい頭の大人たちだけだろう。
今さらパンダなんか、いらねえよ。
中国から同情を買うなら、いっそのこと元の借款でも頼み込んだらどうだ。99年後に返すことを約束して、大枚の金を借りるのだ。なにしろ中国と契約するのなら日限は99カ年というのがふさわしい。
そうして借りた金を、足りない足りないといって騒いでいる道路財源にまわして、暫定税率を再廃止したらどうだ。そうすりゃ、国民の煮えくりかえったハラワタも、少しは冷めてくるだろう。
日の出の勢いで経済が成長している中国だ。おだててやれば金くらい貸してくれるだろう。日本に金を貸してやれば、中国だって悪い気にはならないはずだ。
土下座外交は日本の伝統的な得意技でもある。
ここはひとつ、パンダなんぞで子どものご機嫌を取るよりも、大人らしく現ナマで話をつけましょうや、福田君。
君だって、その方が助かるんじゃないの?(冷笑)
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