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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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大統領就任

オバマ大統領は、就任第一日目から精力的に仕事を始めているようである。
とくに外交問題では最初にパレスチナのアッバス議長に電話をかけ、話し合いをした。次いで矢継ぎ早にイスラエル首脳とも話し合い、今後の中東和平について話し合ったと見られる。

しかし、繰り返して書くが、バラク・オバマは、今回のイスラエルによるナチス的なジェノサイドを黙認することで支持をした。その点において、強く非難されるべきであり、オバマは自らの行為を恥じなければならないと私は思っている。

第二次世界大戦を経験したヨーロッパの人々は、戦争中にナチスに協力したか否かを厳しく問われた。ナチスに少しでも荷担したことが明らかになった場合、その行為は糾弾され人によっては職を失ったり、名誉を失った。日本でも有名なココ・シャネルは戦前は売れっ子のデザイナーとして活躍し、多くの文化人との交流もあったが、パリがドイツ軍の手によって陥落するとナチス将校と愛人関係を結び、その庇護のもとで自堕落な生活を送った。
戦争が終結してパリが解放されると、国民はシャネルを「ナチスに魂を売った売国奴」として非難し、シャネルは難を逃れてスイスに亡命しなければならなかった。フランスでは今でもシャネルを嫌っている人がいるという。

ナチスはその宣伝に芸術を取り込む戦略をとっていたことが知られているが、ここでもナチスに協力したか否かで、戦後の人生を大きく変えられた人々がいる。
たとえば音楽界では、名ピアニストとして知られたフランス人のアルフレッド・コルトーは、ナチスに招かれて演奏会を何度も行ったが、そのことが戦後になって非難の的になり、パリの音楽界からボイコットされることになった。オランダが生んだ偉大な指揮者と言われたウィレム・メンゲルベルクも、ナチスに招かれてベルリン・フィルで指揮したことが問われて戦後はすべての名誉と財産を剥奪され国外追放されるという憂き目にあった。
また、ドイツが誇る名指揮者といわれたフルトヴェングラーは、必ずしもナチスに対して協力的ではなかったけれどもドイツにとどまり、結局はナチスに利用される形で演奏し、その模様がフィルムに撮られていたのが証拠とされて、戦後は演奏活動を禁止された。

これらの例を見れば分かる通り、戦争は人間ひとりひとりの真価を問う試金石となっている。
映画でも描かれたオスカー・シンドラーはナチス党員でありながら、そのあまりに残虐な行為に心を痛め、密かにユダヤ人たちを助ける活動をした。日本の外交官だった杉原千畝もまた、政府の命令に反してユダヤ人の亡命に便宜を図ったことで知られる。

人心にもとる非道が行われ、罪もない人々が苦しみ、財産を奪われ、あるいは命を落としていっている事実を知ったときに、人はどういう態度を取るべきなのか。
パレスチナのガザ地区を中心に繰り広げられたイスラエル政府による虐殺行為は、世界中が知るところである。
しかし、この許されざる行為を前にしながら何もしなかったという点で、バラク・オバマは強く非難されるべきではないかと、私は思っている。
もちろん、親イスラエル政策をとり、戦争兵器を大量に売りつけて金儲けしていたブッシュ政権はナチスに協力した人間と同じように名誉を剥奪し、国外追放にしてもおかしくない罪を犯したといえる。バラク・オバマはこのときまだ政権についておらず、自分では何もできなかったと釈明しているが、彼もまた残虐行為を知りながら黙認したというだけで罪を負うべきだろう。

オバマはすでに次期大統領として、普通の人間に比べればずっと大きな影響力を持っていた。たとえ外交筋に働きかけることはできなくとも、世界が期待を寄せている人物ならば、反対の声をあげるだけでも大きな効果があったはずだ。
アメリカはユダヤ系人種が大きな権力を握っており、オバマが大統領選を勝ち抜くためには彼らの力がものをいったという背景はあるのかもしれない。
オバマとしても難しい微妙な立場にあったのかもしれない。
ダンス

それでも、と私は思わずにいられない。
大統領就任式の前、ボランティアとして施設の壁にペンキを塗る暇があったのならば、オバマはイスラエルに対していい加減に人殺しは止めてくれと声を上げるべきだったのだ。
就任式の後、優雅にファースト・レディとのダンスを披露する暇があったのなら、オバマは犠牲となったパレスチナ人民に対して詫びをいうべきだった。
何百人ものパレスチナ人が殺されていっているときに、ハワイでゴルフを楽しんでいる姿を世界中にさらす必要などなかったはずだ。
麻生太郎でさえ、形式的なだけにせよ、イスラエル政府に対して憂慮の念を伝えたときに、オバマは何を考えていたのか。
ガザ地区

バラク・オバマはアメリカ国内のみならず、世界中から期待と喜びをもって大統領に迎えられた。
しかし、彼は就任したそのときからすでに、目の前にある非道を黙認し、消極的ながらも支持したという罪を背負っていた。
歴史はイスラエル政府が行った大量虐殺行為に対して、厳しい評価を与えるだろう。
同時に、ブッシュはもちろんのこと、バラク・オバマを筆頭とするアメリカ政府に対しても大きな汚点を残したとして記録にとどめることになるだろう。

■追記
今、国連総会に対して「イスラエル戦争犯罪特別法廷」の設置を求める署名運動が起きています。下記のアドレスのサイトの上のほうにあるSign the Petitionをクリックすると、署名のページになるので、名前とメールアドレスを記入してください。
メッセージを書くこともできます。これは英語でなければだめでしょうけれども。
今回のイスラエルによる大量虐殺に対して反対の意思を唱える方は、ぜひ署名してください。
よろしくお願いします。
もちろん、私も署名しました。

http://www.PetitionOnline.com/EAFORD09/petition.html
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関連タグ : バラク・オバマ, イスラエル, ガザ,

第44代のアメリカ合衆国大統領にバラク・オバマが就任した。
その模様は世界に中継され、多くの人が関心を持って注目していた。
日本での中継は20日深夜だったが、これを歴史的瞬間と捉える人々はテレビに釘付けになっていたことだろう。

すっかり夜更かしが苦手になってしまった私は、はじめから起きているつもりはなく、新聞で中継があることを確かめて録画しておこうかと思ったが、それも止めて寝てしまった。

どうせ翌日になっても日本のテレビは腐るほどこのニュースを繰り返し報じるに違いないのだから。
そして、今日21日、その通りだった。

ネットでは早くもオバマ大統領の就任演説日本語訳が読めるようになっている。

読んでみると、さすがにプロが練りに練ったものだと感心する。
オバマは大統領選のときから「私(I)」を使わず「私たち(We)」を使い、国民(You)に対して呼びかけてきた。
今回の就任演説でもそれは踏襲されていて、オバマはアメリカ国民のみならず世界の人々に対して、今直面している危機を乗り越えようと呼びかけている。

しかし、イスラエルによるジェノサイドを見て見ぬふりをしていたことを許せずにいる私には、このよくできた演説も皮肉な眼を持って見てやりたくなる。

オバマは、暴力と経済の危機に直面して深刻な状況であることを認めながら、恐怖ではなく希望を持ち、争いでなく協調していくことの重要さを説いている。
けれどもそれは結局従来通りのアメリカ中心の内向きのメッセージでしかないように思う。
イラクはイラク人の手に返す、アフガニスタンには平和を取り戻す、さらに核の脅威を減らすべく努力し、地球温暖化とも対峙する、とオバマは高らかに宣言しているが、もとはといえばアメリカが先頭に立って世界を引っかき回し、核の脅威で脅しをかけ、地球温暖化の責任から一方的に逃れてきたのではなかったか。
オバマはこれら「先人のしてきたこと」について、誇りを謳い上げるよりもまず世界に対して悪いことをしたと詫びるべきではなかっただろうか。そうでなければ、とてもではないがオバマの優等生的な作文をそのまま受け入れる気にはなりようもない。

しかし、優等生の作文だとしてもそれが幾人かを感動させたのは事実だろう。その点は率直に認め、彼我の違いを思って羨ましいとさえ思うのである。

アメリカ大統領就任式に先立つ18日、日本では自民党と民主党が定期党大会を行った。
民主党代表の小沢一郎は、相変わらず原稿を棒読みする芸のなさを繰り返し披露したが、それでも国民の生活が第一という党是を確認したことはまず評価できる。

ひどいのは自民党の党大会だ。
なにしろ、応援に駆けつけて演説したのが公明党の太田昭宏に経団連会長の御手洗冨士夫。これだけでも今の自民党が国民生活を蝕むカルト集団と財界べったりな関係にあり、こんな政党が社会格差をなくし、ワーキングプアの問題や雇用問題を解決できるはずがないと思わせるに十分である。
そして最悪だったのが麻生太郎演説だ。
ブルーのカクテルライトに照らされながら、まるでプロレスラーのように会場に入ってきた麻生は、あの柄の悪いだみ声で「公明党、経団連から励ましていただいたが、励まされるようじゃダメ。オレたちが励ますような立場にならねばいかん!」と、「オレたち」を連発させたのだ。

この頭の悪い宰相には、国民と共にがんばろうとか、国民のために力を尽くそうといった思いは微塵もなく、「オレたちが頑張らなければ」とか「オレたちが世界で最初に不況から脱出する」とか、自分たちのことしか頭にないのだ。

当日、会場には3400人もの出席者がいたそうだが、麻生が予定時間を倍もオーバーする演説を始めると、どんどん席を立っていく者がいた。そりゃそうだ。この期におよんでいまだに消費税増税をぶち上げ、オレが、オレがと叫ぶ党首を見ていれば、誰だって見切りをつけたくなろうというものだ。
麻生のような思想も主義もない男には、オバマの爪の垢を煎じて飲ませてももはや手遅れというべきで、こんな男は早いところ総裁の座を降りてほしいというのが党員たちの本音だったのではあるまいか。

しかし辞めるつもりはないのだろうな、麻生太郎ご本人にはいつまでも。
麻生太郎

関連タグ : 麻生太郎, バラク・オバマ, 演説,

どうもことのころ、体調と家庭の事情が絡み合ってブログの更新が滞りがちになってしまう。体調というのはまあ、ご存じの通り、鬱であるために何をするにも気力の維持が難しくなり「~をしなければ」と思うとそれだけで疲れてしまう。ことに秋になってからその傾向が強く出てしまい、そのため10月はずいぶん空白を作ってしまった。ま、「オータム・ブルー」というやつですね。
プリン


もうひとつ、家庭の事情というのはべつに夫婦の仲が険悪になったとかそういうものじゃないのだ。
実をいうと10月10日にまたしてもオカメインコの雛を迎えてしまい、その育児と他のワンコやら先住鳥たちの世話に忙殺され、それで余分なエネルギーが残らなくなってしまったのだ。オータム・ブルーの時期に育児(1日5回の差し餌やら温度管理やら)をするのは、これでなかなかヘビーなものだった。
苦労の甲斐あって、新しく迎えたオカメもすくすく成長し、今では自分で餌を食べ、部屋中を飛び回るほど元気である。これでわが家には3羽のオカメインコがいることになるのだが、朝夕の放鳥時には両手と頭の上にオカメが羽を休めるようになり、当然これではパソコンなど開いている余裕もないというわけである。
バラク・オバマ

さて、アメリカ大統領選でバラク・オバマが圧倒的な勝利を収め、第44代大統領になることが決定したことはすでに号外が出るほど報じられたし、ブログでも彼の勝利を祝福するエントリが数多く上った。8年間続いたブッシュ政権は、アメリカだけでなく世界にとってもあまりに大きな損失を招いたが、アメリカ人たちはようやくその過ちに気づき、政権交代を実現させた。いまさらではあるが、私もまずそのことを讃えたい。


もうひとつは、バラク・オバマが見せた言葉の力について、考えさせられた。

オバマが勝利宣言をした5日、日本では関口宏の「水曜ノンフィクション」に続いて久米宏の「テレビってやつは!?」が放送されていた。「水曜ノンフィクション」の方はオーソドックスな報道番組としてアメリカ大統領選とオバマの勝利を大きく取り上げていたが、それに続く「テレビってやつは!?」では、冒頭にまず久米宏が「アメリカ大統領選については、この前の番組で関口宏さんがやっていたので触れません」と断った上、ゲストとしてホリエモンこと堀江貴文被告を紹介したので思わず見入ってしまった。

この番組、久米特有のチャチャがしばしば入るのと、ゲストが総花的で話題が掘り下げられないのであまり感心はしていない。姜尚中がとうしてまたこの番組のレギュラーになったのか不思議である。
ただ、さすがに頭が切れる彼らしく、少ない時間の中で毎回(といっても、この日で3回目の番組だが)ピシッと鋭いコメントをするときは傾聴に値する。

この日も、今はもっぱらブログを書くことを日課にしているという堀江貴文に対して、「自分はブログはやらない。なぜならブログというのは個人のつぶやきであり、対話と議論を生み出さないからだ」と語っていた。これには隣に座って堀江を攻撃していた福岡政行もしきりにうなずいていた。たしか福岡だったと思うが、
「2ちゃんねるなどのネットの言論でいちばん多く使われている言葉は『許せない』なんですよ。つまり議論をするというよりもネットではあらゆる私怨が渦巻いているに過ぎない」
と切り捨てていた。
姜らの指摘に対して、堀江は「でも、ブログにはコメントやトラックバックという機能があって意見の交換をすることは可能だ」と反論していた。
ここまでで堀江対姜・福岡の対話は平行線をたどることになるのだが、堀江と同様、ブログを書いている私としても少々考えないわけにはいかなかった。

たしかに姜尚中の言う通り、ブログはあくまでその運営者が思ったことを書き連ねるネット上の日記であり、日記であるからには「個人のつぶやきのようなもの」と考えられるのは当然である。私自身、タイトルに「日記」とつけている通り、このブログは私という人間が個人的に考えていること、感じていることを書き綴っているものだという認識を持っている。だから、建設的な意見を寄せてくれるコメントはありがたい思っているが、それに対する返事を書くことについてはあまり熱心ではない。私は必ずしもここで議論を望んでいるわけではないのだ。もちろん、必要となれば議論をすることにやぶさかではないのだが。

しかし、その一方では、やはりネット上に公開されて不特定多数の目に触れる以上はなにがしかの影響を(たとえ一人だけでも)与えることがあるのではないかと思っている。言葉というものには力が備わっていると考えている。だから、社会的な問題に触れる時には私なりに考えて、できるだけこの社会がよくなるよう願いつつ言葉を選んでいるつもりだ。そして、たとえひとつひとつのブログは個人のつぶやきでしかないかもしれないが、同じような気持ちを持つ人々が集まれば、ブログが発する言葉もやがて大きな力を持ち得ると思っている。ブログが社会を動かすまでには、残念ながら今のところ至っていないが、ブログの歴史はまだまだ浅い。これからどういう形に進化していくかは私には分からないが、きっとブログ言論もそれなりの力を持つようになっていくと思う。

その好例のひとつが、自民党総裁選でNHKが7時のニュースで時間を拡大し、まるで自民党の宣伝番組のような内容を垂れ流したときの出来事だ。番組内容に抗議した内野光子さんがNHKコールセンターの係員から信じられない対応を受け、挙げ句に「あれは自民党のコマーシャルですよ」と言われたことを公表した。これがネット上で波紋を呼んで、ついにNHKが内野さんに対して謝罪した。
もうひとつはやはり今回のアメリカ大統領選で、バラク・オバマはyoutubeをはじめとするネット上の利器を活用することでマケインに差をつけていった。ネットで彼が発した「Yes we can.」という短いけれども力強く分かりやすいメッセージが、多くの人の心に響き、アメリカ人全体を動かすほどの力を発揮したのである。

ネットでは、バラク・オバマが地元イリノイ州シカゴの公園で行った勝利演説の全文を翻訳で今も読むことができる。シカゴの聴衆に呼びかける形で始まったこの演説は、やはり力強く、希望に満ちていて万人の胸に迫るものがある。彼の演説を聴いていた多くのアメリカ人が感動に涙を流していた映像は、今も忘れられない。ニュースで字幕を読みながら、彼らと一緒に涙を流した日本人も少なくないのではないだろうか。あの瞬間は、政治が人を感動させるものであり得ることを示すと同時に、言葉の持つ力が人の心を打ち振るわせ希望を与える可能性があることを示していたのだと思う。

言葉には力がある。
たしかに、われわれはバラク・オバマではないけれど、この社会が少しでも暮らしやすく、人々が幸せを感じながら生きられるものになるように願って言葉を紡ぐことでは変わらない。ひとつひとつのブログ(ことに私のブログのような弱小ブログ)は小さな力しか持ち得ないかもしれないが、われわれの発する言葉が共感を呼び、読む人の心を少しでも動かすことがあれば、日本でもきっと社会を変えていくことができると思う。

微力ではあるが、私はそのことに賭けたい。

関連タグ : ブログ, 言葉の力, バラク・オバマ,

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