上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
駅近くにあるそのネット・漫画カフェは、雑居ビルの5階にあった。
細い階段の入り口には「3時間900円、6時間1600円、ナイトパック1400円」という看板が立っており、その横には液晶テレビの画面があって、若い女性の声が明るく呼び込んでいた。
「清潔な店内、シャワールームつき。もちろんソフトドリンクは飲み放題!」

このところ、私の心には以前、私のエントリに対してもらったコメントにあった言葉がずっとひっかかっていた。
そのコメントは、まずネットカフェが若者を中心とする貧困者たちのシェルターのような存在になっており、そこで生活するようになると抜け出すのは難しい(もちろん、ネットカフェに泊まる金もなくなれば、あとは野宿をするしかなく、そう言う意味でネットカフェ生活を抜け出すのはいとも簡単である)という趣旨の私の記述に対して、ClossOver氏から「ネットカフェ貧困者があふれているという情景がどこにでもあるというものではなく、あるとすればそうしたネットカフェこそが『異端』なのだ。実際の姿を見ずに語るのでなく、自分の目で確かめてみるべきだ」という指摘をいただいたのだ。

指摘されたこと、とくに実際を見ることなく印象だけで語るべきではないという言葉は耳にいたかったし、現代の貧困を語るうえでネットカフェの存在を抜きにはできないとしたら、やはり私は自分の目でネットカフェなるものを見ておくべきだと思った。

ネットカフェにも松・竹・梅のランクがあるだろうし、私がたまたま訪れたそのネットカフェはどれにあたるものだったのかはよく分からない。しかしネットで料金表を調べてみると100円か200円の違いはあるものの、同じような料金設定のところが多いようなので、だいたい平均的な竹レベルのカフェではなかったかと思われる。

そして中に入ってみると、そこは照明を落としているものの不潔な感じはなく、フロアを細分している壁にドアが整然と並んでいた。
見る限りではここにどれだけネットカフェ難民がいるのかを把握するのは難しい。昼間の時間帯ということもあり、客の出入りはほとんどなかったが、この時間に個室に入っているとすれば、あるいはそれが今日の仕事にあぶれたネットカフェ難民といえるのかもしれない。店の話では、たしかに常連は何人かいるとのことだったが、ここを定宿にしている人がどれくらいいるのかについては曖昧な返事しか得られなかった。「ネットカフェ難民」という言葉は業界にとっては有り難くない言葉に違いなく、誰もが普通にコーヒーでも飲みながら漫画を読んだりネットを楽しんだりする施設であることを強調したいのは当然だ。

たしかに、外回りの仕事中に空き時間ができた営業マンが体を休めがてらネットで仕事をするには都合がいい施設だ。あるいは終電を逃してしまい、やむを得ずどこかに泊まらなければならなくなったとき、シャワー施設も完備したこの施設に入れば、リクライニングシートではあるけれど、一泊4000円はかかるカプセルホテルよりも安くあげることができる。
ネットカフェは、なかなか重宝な施設に違いない。

だからここで私は訂正しておこうと思う。
ネットカフェが難民であふれているという、いかにもマスコミが好みそうな大仰な状況はかならずしも見られないと。
しかし、いくつも並ぶドアの向こうに明日の生活がどうなるかも覚束ない人間がうずくまっている可能性があることもまた事実だ。

湯浅誠の『反貧困』(岩波新書)にはネットカフェ難民から「もやい」に寄せられた相談例が綴られている。それによると、相談してきた男性は38歳で、時給700円の派遣労働をしていた。この賃金では最低賃金ぎりぎりだが、残業時間が長いために生活保護基準は少し上回る収入を得ていた。おかげで1泊1500円程度のネットカフェに泊まる費用は捻出できたが、アパートに入居するための諸費用を貯めることはどうしてもできない。そしてネットカフェを泊まり歩く生活は精神的・肉体的に限界に来ていたという。
湯浅は、「ネットカフェでの暮らしは、低収入であると同時に、高支出である」と書いている。

「毎晩1000円~1500円の宿泊費、三食の食事代はもちろん、風呂代、荷物を預けるためのコインロッカー代、仕事上の身なりを保つためのコインランドリー代、その他もろもろの経費がかかる。いわば、常時旅行しているような状態だ」
そして、ぎりぎりに食事を切り詰めるなどして金を貯めても、「なんとか5万~10万貯められたと思ったころに、無理がたたって体を壊してしまう」のだという。風邪を引けば仕事を休まざるを得ず、住所不安定では健康保険にも入っていないので病院にかかることもできない。せっかく貯めた金も一気になくなってしまう。

さらに、現代の貧困層を「ネットカフェ難民」として一括りにするのにも無理があると湯浅は書いている。ネットカフェ難民はネットカフェだけでなく路上や会社寮、サウナなどを転々としている人々であり、野宿者ではないかもしれないが、居所と住民票所在地が乖離している住所不安定状態という広義のホームレス状態にある。そしてこうした人々は膨大な数に上っているというのだ。ネットカフェを利用しているのは、そのうちのごく一部に過ぎないというわけだ。

こうした観点から見れば、たしかにネットカフェが困窮者であふれている状態というのはレアケースかもしれないが、カプセルホテルに、個室ビデオ店に、サウナに、派遣会社が用意する寮に、簡易宿泊所に、ドヤ街に、われわれが普段何気なく歩いている街のあちこちに、生活に行き詰まった人々が満遍なく分布しているといえるだろう。
ネットカフェが困窮者たちのシェルター的存在になっているという言い方に抵抗を覚えるClossOver氏も、貧困が街を広く薄く覆っており、その様相は次第に濃く厚くなりつつあるという見方に同意してくれるのではないだろうか。

2007年8月、厚労省は「住宅喪失不安定就労者の実態に関する調査」を発表している。それによると、ネットカフェの常連となっている宿泊者は全国に5400人いると推計。東京で300人、大阪で62人に行われた聞き取り調査では、平均月収10万7000円、4人に3人が職に就いているが、そのうち60%は日雇いであるという実態が明らかになっている。
しかし現実には「難民」の数はもっともっと多いことは明らかであり、政府はさらに精度のある調査を行い、この社会を覆っている貧困に対する施策を講じなければならない。

今、テレビなどが報じる「社会」では一人あたり1万2000円といわれる定額給付金についての議論が盛んだが、この金に経済効果があるか、5000万円の所得がある者に支給する必要があるのかという議論は、貧困問題を前にするといかにも不毛である。
2兆円の金を使うのならば、せめて貧困問題を少しでも解決するために使う方法はないものだろうか。
私はそう思わずにいられない。


スポンサーサイト

関連タグ : ネットカフェ, 貧困, 定額給付金,

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。