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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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「きっこのブログ」3月9日のエントリで、テレビとパソコンどちらを選ぶかというアンケートをやっていた。
面白いと思って私も参加させてもらった。
きっこさんも言っていたけれど、今のテレビコンテンツはもうたまげるほどつまらなくて私もウンザリしている。テレビ放送がデジタルに代わり、今までの受像器じゃテレビが見られなくなるなんて脅されたってかまうもんか。
誰がテレビなんか見てやるか。そう思っている。

で、「これから死ぬまでテレビかパソコン(インターネット)のどちらか片方しか使えなくなるとしたら、あなたはどちらを選ぶのか」という設問で、
1.テレビを選ぶ 2.パソコンを選ぶ 3.両方いらない
の選択肢から私が選んだのは、とうぜん2.パソコンを選ぶだった。

最近になって、このアンケートの結果はどうなったのだろうと思って見ると、今日現在、
テレビを選ぶは、757票
パソコンを選ぶは、8677票
両方いらないは、407票
となっていた。
圧倒的にパソコンで情報を得る、あるいは動画を見るという人が多いというわけだ。

あれだけしょうもない番組を毎日垂れ流しているのだから、テレビを選ばないという人が10倍以上になるのも仕方がないだろう。
まして、デジタル放送に切り替えるには、自腹でチューナーを買ったりアンテナを立てたり、テレビを買い換えたりしなくちゃならないのだから、テレビを見なくなる人はもっと多くの割合を占めるのではなかろうか。

昨日はNHKで放送記念日特集をやっていて、私は途中から見たのだが、テレビを取り巻く日本人の生活環境は確実に変わってきていることを紹介していた。
モデルケースで登場した家庭では、子供二人と両親、その母親が暮らしていた。
少し前までは、子供二人がチャンネルの主導権を争って喧嘩になっていたと言うことだが、今では二人ともテレビには見向きもしなくなっている。
テレビを見て喜んでいるのはお婆ちゃんで、「こっちの方が面白いのに」と言いながら、孫にリモコンを奪われることもなく、ニコニコしている。
けれども、かつてはテレビを中心に家族そろって食事をしたり寛いだりしていた風景がなくなり、今では背中を向けてパソコンに熱中している孫たちの姿に、お婆ちゃんの笑顔も少しばかり淋しそうだった。テレビが茶の間の主役だった時代は20世紀とともに終わりを告げたかのようである。

21世紀になり、今やテレビに替わる娯楽の中心はゲーム機であったり、パソコンで見る動画サイトであったりする。それらに共通しているのは、「いつでも、楽しみたいときに楽しむことができる」である。

私が小学生の頃は、「昨日、ゲバゲバ見た?」なんていうのが挨拶代わりだったのだが、今は「スターウォーズ犬知ってる? 見てみなよ」というふうになってきている。
ずいぶん様変わりしたものだと思うが、それも仕方がない。
日本ではキー局を中心に電波の独占状態が続き、それに胡座をかいてきたテレビ局の連中は省コスト、高利潤ばかり追及するようになって番組のクオリティをどんどん下げてきた。
テレビ離れはパソコンとブロードバンドの普及が原因などというけれど、ほんとうの原因の多くは、彼らテレビ局がおごり高ぶってきたことのツケが回ってきたということにあるのだと思う。

だから、いまさら地上波デジタルになって画像が綺麗になります、チャンネルが増えますとか言ったって、誰もそんなこと魅力に感じなくなってしまっているのだ。
くだらない番組が、いくら綺麗に見えたって、本数ばかりが増えたって、誰も見るわけがない。
2011年7月はどんどん近づいているというのに、テレビ局はどれほどの危機感を持っているのだろうか。

もちろん、いくらくだらなくても、テレビ放送はなくならないだろう。
けれども、それを見る人の数はきっと激減するだろう。
NHKに視聴料を払ってまでテレビを見るという人も減りこそすれ、増えることはないだろう。
視聴料がなければ番組が作れないというのなら、NHKはアーカイブに徹して、これまでの遺産で食いつないで行けばいい。あとは報道番組をネットで配信するだけでいいだろう。

民放は、系列の新聞社の力も同時に弱くなってきていることからテレビ局の再編がはじまるだろう。
その結果、電通と結びついた巨大メディアと、それ以外の数多の弱小メディアに二極化していくだろう。

茶の間に置いてあるテレビはDVDか、ゲームのモニターとしての役割が中心になるだろう。
テレビ番組を見るときは、パソコンや携帯で録画したものを見たいときに見る。
それで十分だと思われるようになる。

かくして2011年を一大商機と見ている電機業界とテレビ業界の皮算用は見事にはずれ、業界の大リストラが始まる。高年収をいいことに肩で風切って歩いていたテレビマンたちが、打ち萎れた姿で安酒場にたむろする姿が見られるようになる。

あと3年とちょっとで、世の中がそんなふうに変わる。
私はそんな夢想をしているのだが、どうだろう。

そのとき、あなたはまだテレビを見続けていますか?


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関連タグ : テレビ, 地上波デジタル, 動画サイト, NHK, 民放,

2011年7月から、テレビは地上波デジタル放送に切り替わり、今までのアナログ放送は打ち切られることになっている。
もし、それ以降もテレビを見たかったら、少なくとも今あるテレビにはデジタル変換チューナーと、UHFアンテナを立てなければならない。UHFアンテナはすでに立てている人もいるかもしれないが、これからアンテナ一式を立てようとすると、自分で設置工事をしない限りは10万程度の金がかかることになる。さらにデジタル・チューナーを購入するには2万円程度の投資が必要になるようだ。
レッツ地デジ
かねてからテレビコンテンツの質の低さ、低劣で癇に障るタレントどもが跋扈している今のテレビ放送には見切りをつけている私だが、それでもニュースとNHKがときどき放送するドキュメンタリーなどは見たいと思う。映画が好きだから、これはと思う作品が放映されるときもDVDレコーダーに録っておきたいと思う。

しかし、3年後の7月以降は、今のままではこれらの番組が見られなくなる。
どうしても見たいのならば、金を出せ。というのが政府の方針である。

これはETCをめぐるやり口にも共通するものがある。
ETCはなるほど便利な代物だが、これを設置したがったのは高速料金を確実に徴収したい魂胆を持つ道路公団(当時)が考え出したことだった。自分たちの利益を確保するための装置を設置するために、公団、今の東西高速道路株式会社は利用者であるクルマの持ち主にETCの送受信装置をつけるよう運動を進めてきた。
もちろん、装置をつける費用を持つのはクルマを運転する消費者の負担だ。
ETC
これはおかしくないか。
自分たちの利益を確保するのに、新しい装置が必要ならば、無償で供与する、あるいはレンタルする方法を取るのが筋である。
ところが、道路公団は発売当初5万円近くする装置を全額負担させて当然の顔をしていた。今でこそ各種の割引サービスを行うようにはなっているが、基本的に負担を利用者に課していることに変わりはない。
ETCは便利な装置である。しかし、消費者からすれば「クソ食らえ!」とでも言いたくなる代物でもある。なぜ、高速道路を利用して金を払ってやる側が、さらに負担しなければならないのだ。
レストランに入って精算しようとしたとき、レジシステムが変わったから、その分余計な金を払ってくださいと言われるようなものではないか。レストランで食事をするのに手数料つきでカードを作らなければならないとなれば、不満は噴出するだろうに、ETCではそうならない。

公団は、今の高速道路株式会社は、それほどETCをつけてもらいたければ一台一台のクルマに無償で装置を提供すべきなのだ。

同じように、デジタル放送にそれほど切り替えたかったら、政府は全国の一戸一戸にチューナーなりアンテナを無償で設置して回るべきだろう。
このような「改革」が行われるたび、痛みは常に国民の側に回されるというのが腹立たしい。
国だけでは予算が足りないというのなら、事実上電波を独占して使っているテレビ局にも金を出させればいいではないか。
タレントを使って「2011年7月からデジタルに変わります」というあのCMに、誰がどれだけ金を使っているのか、知りたいものだ。
その金があるのなら、放送利用者を益するために使うのが筋というものだろう。

なぜ、テレビごときを見るのに新しいアンテナを立てたり、あるいはチューナーをつけたり、あるいは新しくテレビを買い直さなければならないのか。
まったく納得できない。
納得できないままに、誰も文句は言わず、どんどん時が過ぎていく。そしてアナログからデジタルへの切り替えは、既成事実と化そうとしている。

私の住む地域ではケーブルテレビを利用している家が多い。
今、アナログ放送を見ている限りは年間6000円ほどの利用料を払っているが、これがデジタル放送を見たいと一言言ったとたん、月4500円だかの利用料を納めなければならなくなる。
それが高すぎると思うなら、自分でアンテナを立てる他ないが、それにはすでに述べたように10万近い設置料がかかる。

テレビという、すでに全国の家庭に浸透している機器が一斉に陳腐化し、使えなくなろうとしている。
しかも、それは国民が必ずしも望んだことではないのに、費用の負担は一方的に国民に押しつけてくる。どう考えても、私には承伏しかねる事柄だ。
放送方式がデジタルに変わるには、放送局もそれなりの設備投資が必要だろう。
しかしそれらは容易に回収できる投資である。
一方、国民にしてみればNHKを除けば無料で放送が見られるかもしれないが、設備投資を回収するあてはない。生活のどこかを切り詰めていくしかないのだ。
今より綺麗な画面が見られますだって? 私は今のままでも十分だよ。

国は、どうあっても2011年7月までに切り替えようとやっきになっているが、はたして今のままで思い通りにいくものか。
私についていえば、いっとき、ケーブルテレビの契約をデジタルに変更しようかと思ったが、テレビなどそれほど見ないのに毎月4500円だか5000円だか支払うのはとてもじゃないがモッタイナイと思い、さらにアンテナを新たに立てる10万円などかき集める気にもなれず、放っておいている。

政府の思惑通りに2011年7月に、テレビ放送が、あらよっと切り替わることができるのかどうか、見ものである。
もしわが家のテレビが映らなくなったとして、それはそれでもいいかと、今の私は思っている。

なにしろ、これまで録ったビデオやDVDが、おそらく私の余命を上回るほどの時間だけたまっている。
だからこの際、政府には一言いってやりたい。

お前らの目論見など、クソ食らえ! だ。
切り替えられるものなら、やってみやがれ。どうせ下らない番組しか放送しねえくせに。

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関連タグ : 地デジ, 国民の負担, アンテナ, チューナー, テレビ,

昨日のエントリで、倖田來未のことを書いたが、それとほぼ同じ時間帯に放送されていたテレビ番組で勝谷誠彦が例によって金切り声を上げて倖田來未擁護論を吠えていたらしい。
たんなる偶然だとはいえ、この自称コラムニスト、日本の常識を代表するがごとき言質を弄する右翼タレントと同日、同時間帯に同じようなことを公にしたというシンクロニシティが、どうも気に入らない。あんな無責任で、平気でガセネタを流布するような奴と同じことをいってたかと思うと、自分が恥ずかしくなる。

勝谷誠彦は「闘うコラムニスト」などと称して、いつも喧嘩腰でものを言い、攻撃するのが得意だが、その軸足はぶれまくりで信用に値しない。闘うなどといいながら、文藝春秋の記者時代はいざ知らず、それ以降は真に闘う姿を見せたことがない。その場限りの攻撃で終わる。つまり、あの男の攻撃的な態度は見せ物に過ぎない。あの男の口をつく言葉は「茶の間の正義」程度のものなのだ。倖田來未の件でも、さっそくネットで「沢尻エリカのときは、俺が最初にシメてやると言っていたくせに、倖田の場合は叩く奴がおかしくて、沢尻の場合は世間と同じように自分も叩いてもいいのか」と、揚げ足を取られている有様だ。しかし勝谷がほんとうに沢尻エリカをシメたかどうかさえ、私は寡聞にして聞いたことがない。
勝谷の主張するところの右往左往ぶりはWikipediaに詳しいので、興味がある人はそちらをどうぞ。(もっとも、その記述をすべて鵜呑みにすることもまた、できないのだが)

とにかく、無責任なタレントの言いたい放題を面白半分に聞いているうちはいいけれど、この男が語る扇情的な言葉を真実だなどと思いこむと大恥を掻くことになる。勝谷という男はその程度の男だと、私は思っている。まあ、テレビラジオに出ずっぱりのようだから、稼ぎは私などの数百倍あるのかもしれないけれど。私から見れば、それだけ大資本に魂を売っている輩としか思えない。

つまらない男を攻撃したところで仕方がないのだが、勝谷のような勘に障る男についてはつい一言いっておきたくなる。えらそうに「闘うコラムニスト」などといっておきながら、いったい何と対峙してどのように闘っているのかさえ明らかでない男。こういう男のことを「ポピュリスト」と呼ぶのではなかろうか。
そしてわれわれがいちばん警戒しなければならないのが、こうした一見良識を説いているかに見せかけるポピュリストのやり口なのである。
今回ははからずも勝谷と同じ趣旨の発言をしてしまったが、この男がこれからどんな発言をしていくのかについては、気が向く限り注意していこうと思っている。
なにせ私はワイドショウの類には興味がないもので。

関連タグ : 勝谷誠彦, ポピュリスト, テレビ, ラジオ,

昨夜たまたま見たNHKの「クローズアップ現代」が、なかなかよかった。
太平洋戦争開戦のきっかけとなった、真珠湾攻撃に参加した特攻隊員をふくむ元日本軍兵士と、真珠湾で攻撃された側のアメリカ軍兵士たちとが終戦後63年を経て再会、真珠湾に近い球場で野球をするというものだった。
敵味方に分かれて闘った日本人とアメリカ人。今では平均年齢80歳となっている。
それでも、戦争が終わった今ならお互いに顔を合わせ、たとえ話し合うことは出来なくても、野球をすることなら出来るのじゃないかとアメリカ側からの呼びかけがあって実現したという。

ともに戦争が始まる前は野球を愛する少年たちだった。
それが戦争が始まったために、見ず知らずの相手と殺し合わなければならなくなった。
特攻隊として仲間を何人も失った日本人。レイテ島の激戦で、アメリカ軍の攻撃にさらされながら、目の前で仲間が餓死していくのを見てきた老人。
彼らのなかには、敗戦以来、アメリカで作られたものは口に出来ないと、かたくなにアメリカ産の食材を拒んできた人もいた。戦後63年と言ってしまえば簡単だが、戦争を経験した人にとっては忘れようにも忘れられない重荷を背負った63年だったのだ。

事情はアメリカ人たちも同じで、日本軍の攻撃で負傷した人、ゼロ戦の攻撃を受けて乗り組んでいた艦船が撃沈され、一度に数百人の仲間を失った人もいた。
彼らの一人は言う。
「誰も人を殺したいと思っている人間はいない。けれども、戦争とは国と国とが戦い、殺し合わなければならない状況を生み出すのだ」

試合前日、彼らははじめて顔を合わせ、一緒に食事をするのだが、なかには打ち解けることが出来ず、黙々と食べるだけで時間を過ごした人もいた。人生の終盤にさしかかった彼らは、はたして自分が体験した悲惨な戦争体験を乗り越えて、かつての「敵」と語り合うことは出来るのか。

翌日、ユニフォームを着て試合が始まると、しだいに互いの気持ちが近づき始める。
戦争には負けたが、この試合では絶対に勝つと臨んだピッチャーのお爺さんは、ホームランをふくめヒットを何本も打たれてしまう。
結局、試合は14対2でアメリカ側の圧勝に終わる。
けれども、試合後の選手たちの顔は和やかだった。
アメリカ産の食べ物は口にしなかったという人も、自分たちを攻撃していた側のアメリカ人と握手して、「お互いに大変だった」と話し合う。
ライフルをバットに持ち替えてゲームをした彼らは、ここで心を通い合わすことが出来たようだった。
そして、彼らは一様に、アメリカ側の人々と会えてよかった、63年間のわだかまりに決着がつけられたと喜ぶのだ。
「できれば、20~30年早く会いたかった」
「でも、生きていて良かった!」と、たがいに固い握手をして語る。

見ていて目頭が熱くなった。
死んでしまっては、こうしてかつての敵と味方が手を握り合い、打ち解けるチャンスもないのだ。

生きていてよかった。

そう思えることの大切さが、しみじみと伝わってきた。
戦争体験はないけれど、自分だって80歳ちかくまで生きることが出来たなら、そのときには
「生きていてよかった」
と思えるようになりたい。

日本は今、戦争でもないのに毎年自殺者を3万人以上も出し、餓死者も100人ちかく出している。けっして生きやすい世の中ではない。
そのなかで、どうやっていけば、最期に「生きていてよかった」という言葉が出てくるのだろう。

このところ、原稿を書く仕事がたまっているのだが、どうにも手をつけることが出来ずにいる。
仕事をしようとしても気持ちが向き合わない。そのうち動悸が激しくなってきて、机の前にいるのが辛くなる。
また始まった。
自分の怠け病なのか、それとも「うつ」の症状が出てきてしまったのか。
こうして思いつくままに文字を連ねることならばできるのだけど、仕事として原稿を書く作業は、同じ文章を書くとは言ってもまったく違った作業といえる。
だからできない、というのも自分に対するエクスキューズのような気がする。
いったい、どうしたらいいのだろう。

この分では、とうてい、「生きててよかった」などと言うことはできそうもないのだ。

関連タグ : クローズアップ現代, 生きる, テレビ,

正月三賀日も、例年のごとくあっという間に過ぎていった。
やはり正月らしい気分はどんどん希薄になっていき、テレビだけが、このときばかりと着物姿になった芸人たちや女子アナであふれかえって虚しいバカ騒ぎを演じている。
とは言っても、私はほとんどテレビは見なかった。見ないけれども、テレビが毎年芸もなくやっていることに変わりはないから、虚しいバカ騒ぎというのである。

そのなかで、題材に惹かれてスイッチを入れた番組がある。
3日18時半から、およそ4時間半にわたって放送した「新春歴史ミステリー古代ローマ1000年史」という番組だ。
塩野七生の『ローマ人の物語』を下敷きに制作したものだという。
ただし、司会進行がみのもんたであることと、TBSが放送するということだけで、半ば以上は諦めた気持ちにはなっていた。

言うまでもなく、みのもんたとTBSといえば、問題発言の多い劣悪番組「朝ズバッ!」の組み合わせ。これにローマ1000年の歴史を語らせようという発想からして気持ちが萎える。
塩野七生も国から勲章までもらった著作だというのに、よりによってこんな者どもに制作を許すことはなかっただろうに。

思った通り、番組は開始早々、アリタリア航空やローマ観光局、それにブルガリだかのブランドメーカーの宣伝臭ぷんぷんのタイアップコーナーが続き、合間にみのもんたが顔を出してコメントするという構成だった。
その、みのの台詞が笑わせる。
「ローマ帝国の歴史を見ると、現代日本の状況と非常によく似ていることがわかる。ローマの歴史を学ぶことによって、今の日本が抱える問題解決のヒントになるのではないか」

言葉だけを見ればその通りだろうさ。
だけど、この台詞がみのの本心で語られているはずがない。新自由主義の庇護の下、大金持ちになったこの男が、本気で日本が抱える問題など考えているわけがないじゃないか。
案の定、みのは、さして必要もないのにイタリアまで飛び、ワインとパスタを食らって「最高だね!」などとほざくのだ。

つくづく、人間というのはいくら懐が豊かでも心が卑しいと、そのいやらしさが顔に出るものだなと、みのを見て思った。あれはどう見ても、高利貸しの因業爺か、人の足元を見て値踏みする不動産屋のオヤジの顔つきだ。

これにバラエティでは人気があるらしい安住という安っぽいアナウンサーがついて、まさしくバラエティとして番組は進められていく。
ローマといえば何を連想するかと、いつとったのか定かでないアンケート結果を出してきて、その1位はやっぱり「ローマの休日」ときたもんだ。なんだろうね、このあたりでもう嫌気がさしてきた。画面では映画に登場するローマの遺跡と、その現在の様子が映し出されている。
有名な「真実の口」が、古代のマンホールの蓋だったらしいなどと解説が入る。

現代の日本の問題を解くヒントを探すどころか、合コンでも役立たないような雑学ばかり。
みのと、番組スタッフの志の低さが透けて見える。

『ローマ人の物語』が語る、重要なテーマは「よき統治とは何か」であったはずだ。
なぜ、ローマ帝国は1000年もの間、栄えることができたのか。その間には政治的な混乱や金融危機のような問題も起きている。富める者と貧しい者との格差が広がった時期もある。こうした問題を、時の統治者たちはいかにして切り抜けたのか。そこに焦点を当てていかなければテーマの本質が見えてこない。

イギリスBBCが作ったドラマを拝借したドラマ部分は、それなりに迫力があった。
しかし『ローマ人の物語』でもうひとつ重要なポイントは、この著作が非キリスト教者の視点から描かれたものであるということだ。キリスト教的な感性を持つ欧米人には見えなかったものが、塩野七生の歴史観にはある。それならば、TBSはBBSのビデオを拝借するといった手抜きをすることなく、自前でドラマを再現すべきだっただろう。

こんな志の低い番組に4時間もつきあうのはご免だ。ハンニバルとスキピオが闘った「ザマの会戦」までで私はスイッチを切った。
せめてNHKが作っていたら、もう少しつきあえたかもしれないのに。
ますます民放が垂れ流す番組が嫌いになった。

2011年には地デジに切り替わるというが、くだらない番組を見るために、誰がテレビを買い換えるかよ。
今の日本では、政治だけでなくテレビ局の再編も必要なのではないか。再編してもあまり期待できないことも両者に共通しているのだが。

関連タグ : みのもんた, ローマ帝国, テレビ,

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