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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
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●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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今年初めての映画を観てきた。
期待のティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の「スウィーニー・トッド」だ。
スウィーニー・トッド

この作品がずいぶん前にブロードウェイで上演されていたことは記憶にあった。日本でも、宮本亜門が演出して舞台上演している。
でも、舞台を観ていない私は、この作品がミュージカルとしてはずいぶん血なまぐさい話だ、くらいの知識しか持たず、それでも贔屓のバートン=デップのコンビの作品だからと、楽しみに劇場に行ったのだった。

しかし、結論から言ってしまうと、この作品、期待とはずいぶん違った味わいの映画だった。
物語は、悪徳検事の奸計によって妻と子供を奪い取られ、無実の罪で国を追放されていた理髪師の主人公がロンドンに舞い戻り、復讐するというものである。
舞台は19世紀のロンドン。主人公に協力するのは、ミートパイを出す食堂の女将のヘレナ・ボナム=カーターで、デップが次々に血祭りに上げる人間の肉を材料にしてパイを作り、繁盛させるというところがいかにもティム・バートンらしいブラックなユーモアを感じさせる。

しかし映画は冒頭から煤煙に煙るロンドンの陰鬱な描写と、ひたすら暗い顔つきのデップが出てきて、観ているこちらの気分まで暗くなってくる。ちなみに、総髪にした老け顔のデップは、クリストファー・ウォーケンにちょっと似ていると思った。

妻は判事の求愛を拒んで自殺し、娘は判事の屋敷に軟禁されていると聞かされた主人公は復讐の鬼と化し、自慢のカミソリでいつか判事の喉を掻き切ってやろうと決意する。そして目的を達するまで、ロンドンの街にうようよしている他国者や孤独な人間を殺してはミートパイの材料として提供していく。

物語のあらましを書いただけでも十分暗いのだが、映画もその通り、ひたすら暗く、陰惨な場面を連続させていく。極めつけはやはり、デップが喉を切り裂き、犠牲者から血が噴き出すシーンだろう。ここではいつものバートン作品に感じられたユーモアが影をひそめ、単なるスプラッタショーが繰り広げられるだけだ。

どうしてしまったのだ、ティム・バートン。
かつての「シザー・ハンズ」では両手がハサミに作られてしまったロボット人間の悲しい恋を描いて感動させ、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」「コープス・ブライド」ではグロテスクながらも美しいラブストーリーを見せてくれた。「ビッグ・フィッシュ」や「チャーリーとチョコレート工場」ではファンタジックなほら話に父子のちょっと切ない思いを描いて胸をキュンとさせてくれた。

ところが最新作の「スウィーニー・トッド」にあるのは怨念と悪意と血しぶきばかり。いかに楽曲が美しく、俳優たちが歌ってドラマチックに盛り上げても、観ているこちらは気分が滅入ってくるばかりだ。ここには「シザー・ハンズ」で瞠目させたティム・バートンの世界観も、その他の作品に見られた際どいユーモアもほとんど感じられない。「スリーピー・ホロー」とこの作品とを比較すれば、その違いは明らかだ。
もとのミュージカルがこういう作品なのだから、仕方がないというのではティム・バートンとしては不本意だろう。
この映画を観ていると、ティム・バートンの人間嫌いがいよいよ高じてきているのではないかと、ちょっと心配になってきた。
今年最初に観た映画、しかも十分期待して見た作品だっただけに、残念さだけが後に残った。
[ユーモアを欠くのが致命的な「スウィーニー・トッド」]の続きを読む
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関連タグ : ティム・バートン, スウィーニー・トッド, ジョニー・デップ,

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