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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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一昨日のエントリでは、つまらない問題を取り上げてしまったために、私自身脱力してしまい、なんだか調子がよくない。
ウツというやつは、何がきっかけで気分がドンと落ち込むかわからない。
朝から何もする気になれず、かといってボーッとしている自分も許し難く、気分が落ち込むといつもこの葛藤の繰り返しだ。

こんなふうに書くと、ウツであることをエクスキューズにしていると思われるかもしれない。
その通りだ。
私は、ウツであることを女々しく言い訳に使おうと思っている。
ウツだからできません。
ウツだから考えられません。
ウツだから、バカですいません。バカなのはウツとは関係ないか。しかしバカでもウツにはなるのである。
そして自分がウツだということによって、アホなオヤジが悪あがきしている様を見てもらい、あわよくば温かい言葉の一つももらって自分を元気づけようなどと企んでいるのである。しかしせっかく温かい言葉をコメントしてもらっても、私は必ずしもそれに答えることができない。コメントに答えなければならないと思うことは、ウツにとっては辛いので、有り難いと思いながらもコメントを掲載させてもらうだけで大半は勘弁してもらっている。
せっかくコメントしたのに答えがないと心中密かに怒りをくすぶらせている方がいるとすれば、お許し願いたい。
私、ウツなものですから。

さて、実は一昨日の新聞でほんとうに私が興味を引かれたのは自民党のくだらない企みなどではなかった。
「耕論」というオピニオン面である。
「それってサヨク?」と題した紙面には、ワーキングプアが注目され格差と貧困問題がひろがっているのを背景に、文芸誌『すばる』がブロレタリア文学を特集し、小林多喜二の『蟹工船』が大増刷されているという社会現象から、いわゆる左翼系の考えを持つ人々が増えているのではないかということで、雨宮処凜、的場昭弘(神奈川大学教授)、佐藤俊樹(東大准教授)の3人が現代のサヨクについて語っている。
雨宮処凜についてはこれまでいくらか読み知っていたが、私自身、不安定な労働者、失業者の総称である「プレカリアート」の一人だと思っている。それだけに、今静かに広がり動きつつある動きが「生存をかけた若者の反撃」だとした彼女の言葉は刺激的だ。
私などはいい年をして、この社会がこんなに生き難い、息苦しいと感じるのはなぜなのかがわからず、ついこの間まで自己責任という名の縄でがんじがらめになっていた。ほんとうは、国民に対してかくも生き難い思いをさせているのは国家=政府であり、その政府が舵を取ってきた新自由主義やグローバリズムこそが元凶なのだと知ったのは本当に最近のことなのだ。それにくらべれば、75年生まれの雨宮がすでにしっかりとこの社会悪の原点を見据え、発言しているということは素晴らしいことだと思う。
逆に言えば、雨宮のような若者の方が、より切実に格差や貧困の問題に直面しているから先鋭的な存在になりうるのだとも思うのだが。

今取り上げられている「サヨク」という言葉について、雨宮は、昔の物差しで見れば団結し、自由と生存を求めはじめている若者の姿が左翼的と捉えられるのかもしれないが、それは違うと断言している。今、人生に行き詰まりを感じ生活の苦しさにあえいでいる若者たちにとっては右も左も関係はなく、社会が自己責任という一言で片付けてしまうなかで追い詰められた者たちが立ち上がった結果なのだという。かつての労働運動とも違い、貧困という生活の実感から生まれてきた生存をかけた運動なのだという。
私もまったく彼女の意見には賛成だ。
苦しくて、あげずにいられなくなった叫び声に、いまさら左翼とか右翼とかいうレッテルを貼りつけることにどれだけの意味があるのだろうかと思う。

私だって、このブログで書いてきたことを見れば、もしかしたら左翼的と色分けされる可能性はある。
けれども、自分が右であるとか左であるという意識を持ったことは一度もない。
もちろん、まさか右翼じゃねえよ、とは思うけれども。

目の前に新自由主義という大きな敵を発見した。だから、それに与する者どもを徹底的に糾弾してやりたいというのが私の思いである。

もうひとり、私が関心を持ったのは神奈川大学の的場昭弘の言葉だった。
現在フランスにいて研究しているという的場は、一部のエリートを除き、確かな未来を約束されている若者がいないという点で日本もフランスも共通しているという。現在フランスではサルコジ政権によって改革が行われ、結果として経済格差が広がっているという。インフレの加速、実質賃金の低下、経済成長の鈍化、教育制度の改革などの諸問題が次々と明らかになりストライキを引き起こしている。大統領に就任したサルコジもまた、新自由主義者としてフランス経済をグローバル化しようとして、結果、社会格差を生んだというわけだ。
フランスでは一昨年、高校生・大学生による「学生運動」が全土に広がったが、若者を中心にした左翼主義的な社会運動の気運はヨーロッパ各地に高まりを見せているという。

新自由主義とグローバリズムを敵と見なす社会闘争は、日本だけでなく世界でも同時に起こりつつあることなのだ。

的場は「超訳『資本論』」という本を出し、若者たちにもう一度マルクスの『資本論』にたちかえってもらうのが目的だったという。そこで引用しているマルクスの言葉が、あらためて現代にも通じることを教えてくれる。
「資本家が獲得する利潤は、つまるところまじめに働く労働者からの労働力の搾取にほかならない」。そして的場はこう続けるのだ。
利潤が他人の労働力の搾取であるなら、今の金融資本主義で獲得される一部の人々の高所得は、とりわけ非正規雇用の若者の賃金、第三世界の人々(とりわけ女性や児童)の低賃金の結果ともいえる、と。

今は闘うときなのだ。この国には砲弾は落ちてこないし銃弾が飛ぶこともないが、毎日100人以上の戦死者が出ている。彼らは自殺としてひとまとめにされているが、新自由主義者たちによる攻撃にさらされたあげく、夢も希望も人生そのものも木っ端微塵に破壊されて倒れてしまった戦死者なのだ。

われわれは闘わなければならない。

そのために何をすればいいのか。

ウツで機能が低下している頭から、さながら煙を吐きながら、私は考え続けているところだ。


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関連タグ : ウツ, サヨク, 生存闘争, 新自由主義, 雨宮処凜, 資本論,

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