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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への侵略はその後も続き、地上軍の侵攻に加えて国際的にその使用の規制が論じられているクラスター爆弾が使用されているとの情報もある。
こうした攻撃により、ガザ地区では600人近い民間人の死者が出ており、その中には160以上の子どもがふくまれているという。

1月4日に上げたエントリでは、こうしたイスラエルの一方的とも言える侵略行為がかつてナチスがユダヤ人たちに対して行ったジェノサイドに等しいものであるとし、今後も批判の声を上げることの重要性を唱えた。
現在、イスラエルにはフランスのサルコジ大統領が停戦仲介のために訪れているが、ペレ巣大統領、オルメルト首相と相次いで会談したものの、説得は不調に終わった模様だ。

狭い地域に150万人もの人々を閉じこめて長期にわたり糧道を断ったうえ、空爆と地上侵攻するイスラエルの行為は決して許されるべきではない。
この点については同じ思いを抱く方が多いと思うのだが、なかには「イスラエルにも空爆を」という意見も出るなど、日本人の間にも苛立ちに近い思いが広がっている。

しかし、どんなことがあっても戦争が起きれば必ず無辜の民間人が巻き込まれるのは避けられない。日本人までが急進的になって「イスラエルにも空爆を」とは、やはり言い過ぎだと見るしかない。

実際、先日のエントリに対してはホタルさんという方から貴重な情報が寄せられている。

それは、イスラエル国内でも政府と軍部の暴力行為に対する反対運動が起きているというものだ。
以下は、いただいたコメントのコピーだ。

  一つ、あまり報道されない事実は、政府の強攻策に反対するイスラエル市民が沢山いるということです。毎回の選挙の結果が左・右ぎりぎりで拮抗していることからも、国民のほぼ半数は戦争反対と言えます。私はイスラエル滞在暦が長かったことから、その空気をよく知っています。また、市民の平和団体も多数あって、アラブ人イスラエル人が協力して活動しています。
(中略)
約1万人が攻撃反対デモに参加している。日本でさえ1万人のデモはそう無いでしょう。

ここまで市民が反対しているのに、政府は非道な行為を強行する。国際社会が動いても容易には説得されないでしょう。


残念ながらホタルさんが紹介してくれたサイトを開くことはできなかったが、私も調べてみようと思い、検索してみると次のようなものがみつかった。
記事のタイトルは「イスラエル国内でガザ侵攻に反対して10万人以上がデモ」である。
この記事によると、年末から年始にかけて中東・ヨーロッパ・アジア・アメリカなど全世界で約100万人の労働者・学生・市民がイスラエル弾劾とガザ連帯の集会・デモ行動に決起している。そしてきわめて重要なこととして、イスラエル国内でもパレスチナ人とユダヤ人がともに手を組んで決起し始めているという。1月3日には、テルアビブで1万5000人が参加したデモが行われ、パレスチナ人の多い北部のサクニンでは10万人以上が参加した巨大なデモが闘われた。
テルアビブでは、「ユダヤ人とアラブ人は敵同士であることをやめよう!」「ユダヤ人とアラブ人は人種差別・民族差別に対して闘おう!」「平和なくして安全なし。資本の支配を解体しよう!」といったスローガンが多く掲げられた。

日本ではなぜかほとんど報道されない事実だが、この背景には今行われている侵略行為が、アメリカの支援を受けているという要因が良心あるイスラエル、パレスチナ双方の人々を動かしたと見るのが妥当だろう。
こうした反戦運動が行われていることひとつをとってみても、「イスラエルにも空爆を」などとは決して言ってはならないことだと思う。

自国に対して強硬な態度を取る組織がたまたま第一党に選ばれたからというだけで、圧倒的な武力を行使して他国に攻め込むというのは、どんな国にも許されないことだ。
これを容認しているアメリカは、今後、イスラエル政府同様に国際的な非難を受けるべきだろう。
バラク・オバマは自国の経済対策を行う前に、イスラエル問題対策に追われるかもしれない。

ガザ地区では、今この瞬間にも侵略が進められ、多くの人々が血を流し、命を奪われている。
われわれはそのことを決して忘れることなく、この無法行為に反対する全世界の人々と一緒に、反対の声を上げ続けていかねばならないと、あらためて思う次第である。
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関連タグ : イスラエル, ガザ侵攻, , 反対デモ,

私が自分の能力を呪いながら原稿を書いている間に、遠い世界ではとんでもないことが起こり続けていた。そのことについては「カナダde日本語」の美爾依さんはじめ、多くのブログで書かれているので、もはや私などは書く資格などないのかもしれない。
戦争の悲惨
しかし、罪もない子どもをふくむ民間人が無差別に殺されている事態を傍観していることが許されようか。
ユリウス・カエサルは「人は、自分が見たいものしか見ようとしない」という言葉を残している。そして山本夏彦は同じことを「人は見えないものは、ないものだと思い込む」と言っている。
それは今のわれわれにも見事に当てはまる。

先月27日以降、パレスチナ自治区にあるガザ地区を、イスラエル軍が攻撃している。
激しい空爆のために、多くの住民が犠牲になった。なかには生後6ヶ月の赤ん坊もいた。
イスラエルはイスラム原理主義のハマスを攻撃しているという大義名分で爆弾を落とし続けているが、その実やっていることは大量虐殺であり、アラブ人を対象にしたホロコーストに他ならない。
ホロコーストといえば、いうまでもなくナチスドイツがユダヤ人の絶滅を目的におこなわれた一連の計画的な大量虐殺を指すのが普通だが、今回、中東で行われているのは、かつて被害者だったユダヤ人がアラブ人の絶滅を目指して行っている大量虐殺行為である。

パレスチナでは毎日のように悲惨な状況が生まれ、その模様はyoutubeでも見ることができる。

しかし、日本では、この虐殺事件そのものの報道がきわめて少ない。
イスラエルによる攻撃が始まった当初は、それでも新聞は写真入りの記事を載せていた。けれども日本の新聞社が選ぶ写真は、破壊された建物や難民になった人々の表情をとらえるものが多く、血を流し、無残な遺体が散乱している「侵略戦争」の現場を伝える写真は皆無である。
これではいかに記事で悲惨な事態が発生していると書いても、訴える力は弱い。
破壊された建物

侵略と無差別の虐殺は、建物が破壊されるだけでなく、そこに住む人々が血を流し、命を奪われ、生活の手段もなく逃げ惑う、この世の地獄なのだ。もっとも残酷な現実なのだ。
どうしてその様子を知らせないのだろう。
残酷な場面を流せば、社会に悪い影響を与えるという理屈は、実際に銃弾から逃げ惑っている人々に、どのように聞こえることだろう。

ユダヤ人たちは2000年以上も昔から、この地で争いを続けてきた民族である。
wikipediaでは彼らを次のように説明している。
「古代エジプトによって奴隷として連れ去られ、200年後にモーゼの導きで脱出、パレスチナの地に古代イスラエル王国を造った。しかし紀元前586年に新バビロニアにより滅亡し、いらい2500年近く確固たる民族(宗教)国家を持たず、ローマ帝国に反乱を鎮圧されて以降はほとんどの国民がヨーロッパを中心に世界各国へ散らばった。以降ユダヤ教徒としての各地への定着が進む。」

このような歴史を持つユダヤ人たちは、歴史的に被害者意識を強く持っており、その反面では唯一絶対の神に選ばれた民族であるという選民思想をもっている。
世界各国にコミュニティを作りながら、彼らは自分たちの伝統にこだわり、周囲となじもうとしなかった。ローマ帝国がユダヤに弾圧を加えたのも、もとはといえば彼らがローマのしきたりを守らず、それでいて商売や金融で富を蓄えていたという、周りから見れば「おもしろくない存在」だったことが大きい。唯一絶対の神しか認めない彼らは多神教であるローマを邪教徒とみなし、リーダーが現れるたびローマに対して反乱を起こした。だからローマも業を煮やしてパレスチナを焼き払い、彼らを追放したのだ。「屋根の上のバイオリン弾き」で、主人公たちユダヤ人一家はロシアによって土地を奪われる。そこでも描かれていたのは被害者としてのユダヤ人だった。伝統と宗教を大切に生きる。そのことを非難することは誰にも許されず、ユダヤであるというだけで排除されてきた歴史は確かに悲しい。
けれども、その歴史を裏を返せば、彼らは悲しい歴史を持つゆえに、他者を敵と考えやすい人々ということはできないだろうか。

ユダヤ人が持っている被害者意識と選民思想。
これが後にヒトラーをして民族絶滅を決意させたのではなかったか。

そして今、イスラエルパレスチナに住むアラブ人たちに対して行っている暴挙もまた、根底には彼らの被害者意識と選民思想があるように思われる。
ユダヤ人たちはイスラエルを建国したが、ほんとうの故郷はパレスチナだという思いがある。
けれども、長い歴史の間に、その地にはアラブ人たちが住み着いていた。彼らは多くがイスラム教徒であり、ユダヤ人にとっては憎むべき邪教徒でもある。
祖国を奪い、邪教を信じる民を滅ぼす。
これがイスラエルの考えなのだろう。

そして今や各国に散って隠然たる力を持つようになったユダヤ人たちは、アメリカ政府をも操作してイスラエルの味方をさせている。アラブ人たちに力を貸しているイランを敵視し、遠からず攻撃も辞さない構えを見せている。

世界ではこういう情勢が日々刻々と移っているというのに、日本では何も伝えようとしない。
昨日のNHKのニュースでは日銀総裁人事と春闘、それにスペースシャトルに乗り込む土井隆雄の表情を伝えていた。そこにはパレスチナのパの字も、アラブ人のアの字も出てこなかった。
今朝の朝日新聞にも、パレスチナ情勢は皆無だった。

人は、自分が見たいものしか見ようとしない。
ならば、日本人は何を見ようとしているのだろう。
世界のどこかで流されている血から目を背け、役人の人事と道路を造るカネのことばかり心配している。マスコミは世界から国民の目を逸らさせ、些末なニュースばかり垂れ流し、世の中はそんなもので成り立っているように思わせようとしている。

昨日はNHKで「日本の、これから」という番組で、日本人の学力低下の問題を討議していた。
しかし社会全体を見渡してみると、子どもの学力低下の問題は重要に違いないけれども、今の大人たちの知的能力、現在を読み解くためのリテラシーが限りなく無残なまでに低下し劣化してきている。
そのことの方が問題に思えてならない。

何度も繰り返すが、人は自分が見たいものしか見ようとしない。
しかし、その態度を改めない限りはものごとの本質は永遠に見えてこないのである。
カエサルは、人が見ようとしないものを見て、社会を変え、歴史を作った。
われわれはカエサルには及ばないとしても、せめて、ほんとうは見たくないものにも目を向けて、それを正しく理解する努力をすべきではないのか。
日本人はともすると個人の能力を知識で測ろうとするが、私は違うと思っている。
知識とはあくまでも土台に過ぎないものであって、人間にとって、一人前の人間として生きて行くには知力が必要なのだと思う。
知力がなければ、見たくないものを見ることはできないのだ。知力がなければものごとを総合的に判断することも難しい。いや、それ以前にあらゆる情報を受け入れ、咀嚼し、消化して自分の栄養にすることができない。

日本のニュースはなぜ、パレスチナに目を向けさせないのか。
それはイスラエルを応援するアメリカの意図が働いているからではないのか。
しかし、今やわれわれは意志さえあれば情報を知ることができる。
情報を知って、冷静に判断すれば、イスラエルがやっていることがいかにひどいことかを判断できる。
そのうえで。
なにかをしなければならない。
それは一人一人が、自分の言葉でブログを使って非難の声を上げることでもいいのではないか。
いや、他にももっとできることがあるかもしれない。

自分の目を持ってこの世界と、自分が住む社会を見ていかなければならない。
そして声を上げなければならない。

……糊口をしのぐための原稿をショボショボ書きながら、私は今、そう思っている。


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関連タグ : パレスチナ, ガザ侵攻, イスラエル, ホロコースト, ユダヤ人, リテラシー, カエサル,

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