上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
以前から自分にとって大きなテーマであるにもかかわらず、なかなかブログで正面から取り上げることができずにいるものがある。
それは「貧困」だ。
反貧困マーク
今、フリーターをはじめとする若者たちの貧困が大きな問題となっており、仕事を得るにも企業側に都合のいい使い捨て労働力としての非正規雇用が大きな不安の源になっている。
二十数年前、私は鎌田慧の『自動車絶望工場』を読み、そこで働く期間労働者たちの非人間的な管理下での生活に大きなショックを受けた覚えがある。しかし、その状況は20年以上たっても改善されるどころか、季節労働者よりもさらに待遇が悪く不安定な労働条件で働く派遣労働者が大量に利用されることで、さらに劣悪化しているといえるだろう。

自動車絶望工場』は、トヨタの製造ラインで働く労働者の中に、鎌田慧が自ら入り込んで体験したものをルポルタージュしたものだけに説得力があったのだが、その本を読んだときの私自身、ある出版社の編集部に編集プロダクションから出向した形の派遣社員であり、業種はちがっていたものの、待遇の悪さや立場の弱さではある意味『出版社絶望編集部』にいたといってもいいかもしれない。ただ、私が違っていたのは、待遇の差や正社員の身勝手に憤ることはあっても、与えられた仕事を言われた通りにする仕事ばかりではなく、むしろ自主的な主張を持たなければ編集者として戦力にならないと判断された点であり、編集者としての腕前は大したことはなかったけれど、それでも正社員の何人かには負けない自負を持っていられたことだろう。
その自負の半分は、単なる思いこみに過ぎなかったのだが、自負を持っていられるのといられないのとでは大きな違いがある。
私はその当時、『自動車絶望工場』に描かれる、地方から集められ、機械の一部のように扱われる出稼ぎ労働者たちを、半ば他人事として読んでいた。

私が「貧困」をテーマに考えながら、なかなかメインに取り上げられずにいたのには、昔は持っていた自信が、その後の経験を通して実はいかほどのものでもないことが分かってきたからであり、自分もまた不安定な潜在失業者のひとり、つまりプレカリアートの仲間であるということを認め、そのことを白状した上でなければこの問題に触れることはできないと思っていたからだ。

正直言って、中年を過ぎた男が自分の現状をプレカリアートであると認めるのは辛い。実り多きはずのミドル・エイジに、自分自身が貧困層一歩手前にいると認めるのはなんとも体裁が悪い。
けれどもこのことを認めないことには、現在の貧困問題にコミットしていくことは難しいのも事実なのだ。

今こうして書いている間も、「貧困」の問題を私なりにどのように扱っていったらいいものか、分からない部分がある。
しかし、これは私が「ウツ」になったこととも関係があるが、自分の生活が苦しくなったのはライターとしての能力が劣っているからではないかと自分を責め続けた何年かがあり、仕事ができなくなってしまった(その結果、仕事の依頼も減ってしまった)のは自分の責任だと思い、毎日、死にたいと思っていた時期を顧みて、それは必ずしも私だけの責任ではなかったのではないかと思うようになっている。原稿を書けないライターは使い物にならないが、そういう人間に残される選択肢が自殺しかないとすれば、それは社会もどこかおかしいのではないか。もちろん、社会に甘えるのではない。しかし、卵を産まなくなったニワトリは潰すしかないという社会のあり方は非人間的と言わざるを得ない。
私自身が強く感じていた今の世の中の生き難さ、真綿で首を締め付けられるような息苦しさは、実はもっと多くの人が味わっているのではないかと思うようになった。

自分を責め、毎日目覚めるときがいちばん辛く、死んでしまえばいいのにと思い続けた時期、私をこの世につなぎ止めてくれたのは、私を認めてくれていた数少ない編集者の一人がくれた仕事だった。その仕事で入った金で、暮らしが楽になったなどということはまったくなかったが、それでも一つの仕事が私の価値を認めてくれたような気持ちにはなれたのである。

今の貧困の問題を解決するにはどうすればいいのか。
それは社会制度的に見れば、累進課税への回帰があるだろうし、企業の優遇税制を改めることに帰着するだろう。
それを実現させるには今の自公政権では駄目で、なんとしても政権交代を実現させなければならない。
しかし、かといって次に来る政権は民主党に任せていいかとなると、私はきわめて懐疑的である。
この点で、何が何でも自民党を倒せ、自民党を倒しさえすれば社会はよくなるという乱暴な考え方に、私はなじめない。

もし政権交代が実現なって、社会制度が改善されたとしても、それだけではまだ十分ではない。
私を認め、仕事を与えてくれた編集者のような存在がなければ、この社会は住みやすくはならないのだ。
では、そういう存在とはどういうものなのか。

「猫の教室」平和のために小さな声を集めようの眠り猫さんも、最近この問題にコミットしようとしているが、私も彼に触発されるかたちで、これからは折に触れて「貧困」の問題を私の立場から考えていきたいと思う。

スポンサーサイト

関連タグ : 貧困, プレカリアート, 自動車絶望工場, 自殺, ウツ,

一昨日のエントリでは、つまらない問題を取り上げてしまったために、私自身脱力してしまい、なんだか調子がよくない。
ウツというやつは、何がきっかけで気分がドンと落ち込むかわからない。
朝から何もする気になれず、かといってボーッとしている自分も許し難く、気分が落ち込むといつもこの葛藤の繰り返しだ。

こんなふうに書くと、ウツであることをエクスキューズにしていると思われるかもしれない。
その通りだ。
私は、ウツであることを女々しく言い訳に使おうと思っている。
ウツだからできません。
ウツだから考えられません。
ウツだから、バカですいません。バカなのはウツとは関係ないか。しかしバカでもウツにはなるのである。
そして自分がウツだということによって、アホなオヤジが悪あがきしている様を見てもらい、あわよくば温かい言葉の一つももらって自分を元気づけようなどと企んでいるのである。しかしせっかく温かい言葉をコメントしてもらっても、私は必ずしもそれに答えることができない。コメントに答えなければならないと思うことは、ウツにとっては辛いので、有り難いと思いながらもコメントを掲載させてもらうだけで大半は勘弁してもらっている。
せっかくコメントしたのに答えがないと心中密かに怒りをくすぶらせている方がいるとすれば、お許し願いたい。
私、ウツなものですから。

さて、実は一昨日の新聞でほんとうに私が興味を引かれたのは自民党のくだらない企みなどではなかった。
「耕論」というオピニオン面である。
「それってサヨク?」と題した紙面には、ワーキングプアが注目され格差と貧困問題がひろがっているのを背景に、文芸誌『すばる』がブロレタリア文学を特集し、小林多喜二の『蟹工船』が大増刷されているという社会現象から、いわゆる左翼系の考えを持つ人々が増えているのではないかということで、雨宮処凜、的場昭弘(神奈川大学教授)、佐藤俊樹(東大准教授)の3人が現代のサヨクについて語っている。
雨宮処凜についてはこれまでいくらか読み知っていたが、私自身、不安定な労働者、失業者の総称である「プレカリアート」の一人だと思っている。それだけに、今静かに広がり動きつつある動きが「生存をかけた若者の反撃」だとした彼女の言葉は刺激的だ。
私などはいい年をして、この社会がこんなに生き難い、息苦しいと感じるのはなぜなのかがわからず、ついこの間まで自己責任という名の縄でがんじがらめになっていた。ほんとうは、国民に対してかくも生き難い思いをさせているのは国家=政府であり、その政府が舵を取ってきた新自由主義やグローバリズムこそが元凶なのだと知ったのは本当に最近のことなのだ。それにくらべれば、75年生まれの雨宮がすでにしっかりとこの社会悪の原点を見据え、発言しているということは素晴らしいことだと思う。
逆に言えば、雨宮のような若者の方が、より切実に格差や貧困の問題に直面しているから先鋭的な存在になりうるのだとも思うのだが。

今取り上げられている「サヨク」という言葉について、雨宮は、昔の物差しで見れば団結し、自由と生存を求めはじめている若者の姿が左翼的と捉えられるのかもしれないが、それは違うと断言している。今、人生に行き詰まりを感じ生活の苦しさにあえいでいる若者たちにとっては右も左も関係はなく、社会が自己責任という一言で片付けてしまうなかで追い詰められた者たちが立ち上がった結果なのだという。かつての労働運動とも違い、貧困という生活の実感から生まれてきた生存をかけた運動なのだという。
私もまったく彼女の意見には賛成だ。
苦しくて、あげずにいられなくなった叫び声に、いまさら左翼とか右翼とかいうレッテルを貼りつけることにどれだけの意味があるのだろうかと思う。

私だって、このブログで書いてきたことを見れば、もしかしたら左翼的と色分けされる可能性はある。
けれども、自分が右であるとか左であるという意識を持ったことは一度もない。
もちろん、まさか右翼じゃねえよ、とは思うけれども。

目の前に新自由主義という大きな敵を発見した。だから、それに与する者どもを徹底的に糾弾してやりたいというのが私の思いである。

もうひとり、私が関心を持ったのは神奈川大学の的場昭弘の言葉だった。
現在フランスにいて研究しているという的場は、一部のエリートを除き、確かな未来を約束されている若者がいないという点で日本もフランスも共通しているという。現在フランスではサルコジ政権によって改革が行われ、結果として経済格差が広がっているという。インフレの加速、実質賃金の低下、経済成長の鈍化、教育制度の改革などの諸問題が次々と明らかになりストライキを引き起こしている。大統領に就任したサルコジもまた、新自由主義者としてフランス経済をグローバル化しようとして、結果、社会格差を生んだというわけだ。
フランスでは一昨年、高校生・大学生による「学生運動」が全土に広がったが、若者を中心にした左翼主義的な社会運動の気運はヨーロッパ各地に高まりを見せているという。

新自由主義とグローバリズムを敵と見なす社会闘争は、日本だけでなく世界でも同時に起こりつつあることなのだ。

的場は「超訳『資本論』」という本を出し、若者たちにもう一度マルクスの『資本論』にたちかえってもらうのが目的だったという。そこで引用しているマルクスの言葉が、あらためて現代にも通じることを教えてくれる。
「資本家が獲得する利潤は、つまるところまじめに働く労働者からの労働力の搾取にほかならない」。そして的場はこう続けるのだ。
利潤が他人の労働力の搾取であるなら、今の金融資本主義で獲得される一部の人々の高所得は、とりわけ非正規雇用の若者の賃金、第三世界の人々(とりわけ女性や児童)の低賃金の結果ともいえる、と。

今は闘うときなのだ。この国には砲弾は落ちてこないし銃弾が飛ぶこともないが、毎日100人以上の戦死者が出ている。彼らは自殺としてひとまとめにされているが、新自由主義者たちによる攻撃にさらされたあげく、夢も希望も人生そのものも木っ端微塵に破壊されて倒れてしまった戦死者なのだ。

われわれは闘わなければならない。

そのために何をすればいいのか。

ウツで機能が低下している頭から、さながら煙を吐きながら、私は考え続けているところだ。


ブログランキングに参加しています。
↓よろしければクリックを↓
人気ブログランキング


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

関連タグ : ウツ, サヨク, 生存闘争, 新自由主義, 雨宮処凜, 資本論,

ゴールデンウィーク直前から始めた仕事が先週いっぱいかかってようやく終わり、一息つけると思っていた。
ところが、一息もなにも、またしてもリバウンドのようなウツの波が押し寄せてきてしまった。

朝から気分最悪でワンコの散歩に出るのがやっと。
鳥舎となりつつあるわが家の鳥の世話をするのがやっと。

体がだるく、起きているのが辛い。といって、寝るのも気が進まないのだ。この辺、ウツの人ならわかってくれるだろうか。
結局、無理矢理にでも寝てしまった方が後で楽になるんだけどね。
人様が働いている時間に布団に入る自分が許せない、そんな気分になるわけだ。こういう気持ちが押しとどめようとしてもどうにもならないのである。

嫌だね、やっぱりウツなんて。
ウツは心の風邪のようなものなどというのはマヤカシだ。
風邪は薬を飲むにしろ飲まないにしろ、いずれ治るが、ウツは薬を飲んでもたいしてよくならないし、かと言って飲まなければ余計症状が重くなる。薬を止めると禁断症状も出る。
要するに、麻薬を使ってないだけのヤク中と変わりない。
もう、自分がクズになったような気分である。

こういう低調な気分のときに、われらが自民党公明党の先生方は昨日、またもや衆院再可決で道路特例法を成立させてくれた。

おいおい、もういい加減にしてくれよ。
これで3回目だぜ。

そりゃ、参議院で決議できない場合は否決されたものと見なし、参議院よりも優越権を持つ衆議院で3分の2以上の賛成が集まれば可決となる。これは憲法で決められているのだから仕方がない。

しかし、民意が完全に政府から離れてしまっているこの状況下で、「みなし否決」だの「3分の2再可決」だの、いわば裏技的なことを続けざまに連発して強引に政策を推し進めていくやり方は見苦しいばかりだ。
たとえばプロ野球を見ていて、形勢よろしくないチーム(おまけに不人気チーム)が隠し球や振り逃げを連発してアウトと出塁を重ねて勝ったとする。
試合としてはルール違反をしたわけじゃないのだから成立するだろうけれど、ファンはこんな試合、だれも見たいとは思わないし勝利も認めないだろう。勝ちは勝ちでも、おそろしく価値の低い勝ち。
満場のブーイングだ。
そんなやり方で一勝をあげても、不人気チームの人気はさらに下がるだろうし、ファンは少なくとも監督の交代を求めて騒ぎ出すだろう。情けない試合をやった選手に対しても、厳しい声が浴びせられることだろう。

今、自民党公明党がやっていることって、これと同じことなんじゃねえの?

ここ数日、私は気分がどん底に落ち込んでいるのだが、ニュースを見ていると、ことに国会運営がらみのニュースを見ていると、さらに気分が落ち込み、悪寒がして、発熱しそうになる。
もう、ウツどころじゃなくて質の悪いインフルエンザにでもかかったように気分が悪くなる。

特に昨日は午前中に暫定税率の来年度からの一般財源化を閣議決定しておいて、午後には今後10年間、道路特定財源を維持すると衆議院で可決した。
なんだよ、このわかりにくさは。
やってることが目茶苦茶じゃん。
子どもにどう説明すればいいのさ、今の政治家がやっていること。
「場当たり」としか言いようがないじゃないか。

ほんとに、こういう政治を許してちゃいけないよ。
今の政府がやっているのは草野球以下のレベルだよ。野球に例えたら、野球に失礼なくらい、ひどいよ。

中国にはある言い習わしがあって、悪い政治が行われていると天変地異が続いて起きるのだそうだ。だから、大地震や大型サイクロンのために手痛いダメージを食らったら、政府のトップは全員首を挿げ替えなければならないことになっていたそうだ。
昔の中国では、そういうことをやっていたらしいけれど、現代にもこの言い習わしが生きているならば、ビルマや中国は政治家が交替しなくちゃならないだろう。

反対に、わが日本にもこの言い習わしが通じるとすれば、これから恐ろしい天変地異が襲ってくる可能性が大ということになる。
恐ろしや、恐ろしや。
そんな目に遭って国民が被害を受ける前に、今のうちに自民党公明党は政権を降りて、野党と交替してもらいたいものだ。


ブログランキングに参加しています。
↓よろしければクリックしてください↓
人気ブログランキング


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

関連タグ : 道路特例法, 見なし否決, 3分の2可決, 自民党, 公明党, ウツ,

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。