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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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イージス艦「あたご」と衝突し、沈没した漁船「清徳丸」被害者の捜索が、打ち切られることになった。

折しも23日から24日にかけては台風並みに発達した低気圧のおかげで全国に強風が吹き荒れ、関東ではこれが春一番となった。春一番とは春の到来を告げるうららかなイメージを持つが、実は古来から海は大しけとなり山は気温が上がって雪崩が起きるため、漁師たちは恐れを込めて使っていた言葉なのだそうだ。

二日間にわたって吹き荒れた風は、土埃を巻き上げて空を黄色く染めるほどだった。クレーンが倒れ、催事のテントが飛ばされて怪我人が出た。
海が比較的近い私が住んでいる地域も、雲が走り、空はうなりを上げて吠えていた。
今ごろ、現場の海域はどんな状態なのだろうと思わずにいられなかった。
そんな矢先に報じられた捜索中止の知らせだった。
捜索活動は、仲間の漁船が出て行われていたが、吹き止む気配のない風に、25日朝、新勝浦市漁協川津支所は現場海域での捜索を断念し、今後の独自捜索も打ち切ることを決めたと朝日新聞は報じている。

勝浦市川津地区では、海難事故が起きた場合、一週間は捜索を続けるという習わしがあるという。だが、支所での話し合いに先立ち、行方不明となっている吉清さんの家族から「無理をせず中止を」との意向が伝えられたのだという。
家族にとってはもちろん、仲間の人々にとっても、まさに断腸の思いで下した決断だっただろう。ニュースで知った私たちにとっても、まったくやりきれない思いだ。
捜索打ち切り
実は私の母方の祖父も船乗りで、外国船を港に案内する水先案内人をしていた。その祖父も、海の事故で命を落とした。私が生まれる前のことだったが、母親も祖母も、事故で失った命のことをいつまでも忘れず、相手の船のことを憎み続けていた。
今回の事故もまた、同じような悲しみと憎しみを残す結果となってしまったのが、悲しい。

「父親は外国航路にも出ていたから家にいないことが多かった。でも、亡くなって主のいなくなったお膳の上に陰膳が置かれているのを見て、はじめて父親が死んでしまったことが実感されて悲しさがこみ上げてきた」

母親はそう言っていた。
清徳丸の被害者の家族の方々も、やり場のない寂しさと悲しさ、そして怒りを噛みしめていることだろう。

 真白き富士の根 緑の江の島 
 仰ぎ見るも 今は涙    
 帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
 捧げまつる 胸と心     

 ボートは沈みぬ 千尋の海原
 風も浪も 小さき腕に    
 力もつきはて 呼ぶ名は父母 
 恨みは深し 七里が浜    

1910年1月、神奈川県逗子開成中学の生徒たち12人が乗り込んだボートが、突風に煽られて転覆、生徒たちが海に投げ出されて命を落とす事故があった。その死を悼んで生まれたのが有名な「七里ヶ浜の哀歌」だ。賛美歌を元にしたこの曲は、歌詞は古くさいけれども気持ちは今も伝わってくる。
もちろん、今回の房総沖での事故と様相は違うが、海中に消えた人を思う気持ちには共通のものがあると思う。

昨日は風も止んで穏やかだったが、今日はまた、朝からどんよりと曇った一日が始まろうとしている。

政府よ、防衛相よ、これからどうするつもりなのだ。
失われた命は、軽くはないぞ。
怒りと無念の埋み火は、いつまでも消えることはない。そのことを忘れるな。


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関連タグ : イージス艦「あたご」, 清徳丸, 捜索打ち切り, 春一番,

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