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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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ペシャワール会の伊藤和也さん殺害事件後、日本は国際治安支援にどのように関わっていくべきか。
これについては慎重に討議する必要がある。
すでに民主党の前原誠司は空自の派遣も考える必要があると言い出しているが、テロリズムに対して武力をもって抑え込もうとする考え方が短絡的なものであることは疑いようがない。

これも既に述べたことだが、暴力に対して武力で対抗しようとして上手くいった試しはないのだ。イラクが戦場と化してしまったのは、アメリカ軍が武力を持ってフセイン政権の圧政を覆し、平和をもたらそうとした結果であることを、今では誰もが知っている。

当初、アメリカのネオコンたちは6000億円で結着がつくと予想を立てていた。彼らは最新の兵器を使えばピンポイントで的の拠点を叩くことができるので、戦闘は一部の精鋭だけですむと読んでいた。
ところが実際には、アメリカ軍の最新兵器はほとんど役に立たず、戦闘は市街戦になって泥沼化した。軍事費用も大幅に跳ね上がって、今では2兆ドルを超えている。そしてなによりも、イラク、アメリカ双方に多大な死傷者を出してしまった。

アフガニスタンも同じだ。
タリバーン勢力を一掃するとして、アメリカは平和維持軍を送ったが、峡谷の洞穴などに隠れる敵に対してアメリカはひたすら空爆を繰り返し、その結果、誤爆が相次ぎ民間人に多数の死者が出た。そして一時は散り散りになったタリバーンは、最近ふたたび勢力を盛り返してきて、アメリカ軍はもちろんのこと国連から派遣された平和維持軍にも攻撃を仕掛けている。さらに悪いことは、相次ぐ誤爆や進駐軍の兵士たちの粗暴な振る舞いが市民たちの反感を買い、平和をもたらすためにやってきた軍が憎しみを買うようになっているという事実だ。

暴力には暴力を、武力には武力で対抗するというのは分かりやすい考え方だが、その効果はきわめて薄いということをわれわれは知らねばならない。
だから、前原誠司のような馬鹿者の言うことは一顧だにする必要はないのである。

ところが昨日、官房長官の町村信孝は、伊藤和也さんが殺害された事件を受けて記者会見を行い、テロとの戦いを継続していくためには洋上給油活動は重要且つ継続的に行われる必要があり、さらに今後はテロとの戦いに積極的にコミットしていくことが重要と考えていると述べた。
かねがね町村は、アフガニスタンには陸自の派遣も必要であると語っている男である。
伊藤さんが命を落としたのは武力の護衛がなかったからであり、これからは地上部隊を派遣して日本も積極的に武力によるテロ鎮圧をすべし、というのが町村の本音なのだろう。

しかし、そんなことをすればアフガニスタンは間違いなく、イラクがアメリカにとって泥沼の戦場と化したように、日本にとっても多大な被害をもたらすゲリラ戦を強いられることになるだろう。
そんなことになれば、これまで四半世紀に渡って地道な活動を続けてきた「ペシャワール会」のようなNGOの活動はますます難しくなるだろうし、日本人に対するアフガニスタンの人々の感情も変化して、外国人排斥の対象になるだろう。

これでは伊藤さんの尊い犠牲が何の役にも立たないことになる。「ペシャワール会」代表の中村哲医師は、おそらく今後も地道な活動を続けていく強い意志を持っているだろう。
だとすれば、国がやるべきことは、こうした人々の活動を支援することであり、日本が戦争を起こそうとしている国ではないことを明らかに示していくことではないのか。そうすることが、伊藤さんが拉致されたときにその行方を捜すのに協力してくれた数百人もの村人たちの心に訴えかけていくことになるのではないか。

闘いからは闘いしか生まれない。
そのことが町村をはじめとする政治家たちには分かっていない。
ISAFに積極的な考えを持っている小沢一郎も分かっているとはいえない。
さらに大手マスコミもまた、このことを報じることに積極的ではない。

テロ特措法の延長を止め、日本は一切軍事に荷担しないことを明確にしていく必要性を説く識者はいないものだろうか。
われわれがブログで声を上げるだけでは大した力にはならないだろうが、このことは強く訴え続けていく必要があると思う。

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関連タグ : アフガニスタン, 平和維持, テロとの戦い,

アフガニスタンのジャララバード近郊で武装勢力に拉致された「ペシャワール会」の伊藤和也さんの殺害が確認された。
予想しうる可能性のなかで、もっとも悪い結果が出てしまった。
アフガニスタンで地道な活動を続けている日本人がいるということは聞いていたが、武力によらず、住民ととけ込むようにして地域の復興活動に従事していた伊藤さんのような人が、銃弾の犠牲になったことがなんともいたましい。
事件の真相については、いまだに情報が錯綜しているが、今後一刻も早く解明してもらいたいものだ。

心から、伊藤和也さんのご冥福を祈ります。

昨日のエントリでも少し触れたが、このような事件が起こることで懸念されるのは、武力による治安維持活動がいっそう重要だと考える者が出てくることであり、そのためには自衛隊を派兵する必要があると短絡的な答えを出す輩が必ず出てくることだ。
案の定、伊藤さんの訃報が流れると、民主党の前原誠司はさっそく空自の派遣が必要だと言い出した。
まったく、度し難いバカとはあの男のことをいうのだろう。

今回の事件のために、今後、アフガニスタンでのNGOの活動は大きな制約を受けることになるだろう。
しかし、この事態を受けて、日本がまず最初にやるべきことは、テロ特措法をふくめ、あらゆる軍事的な援助を中止することである。
アメリカ軍に協力するのを止めることを明言することだ。
さらに、国連に働きかけて国連派遣軍を撤退させること。

アメリカ軍も国連軍もともに平和目的でアフガニスタンに「侵攻」しているが、相次ぐ誤爆事件や兵士による暴行事件など、軍が進駐しているためにかえってアフガニスタン国内の治安が乱れていることを忘れてはならない。
武器による平和維持活動は、イラクを見ても明らかなように、けっして上手くいかない。このことはアメリカだけでなく国連もまた学ぶべきである。

さらに日本がやるべきことは、これまでアメリカ軍に協力するために使っていた予算を、ペシャワール会などの地道な活動をしているNGOに振り分けること。
そうすることによって軍事によらない復興支援のあり方の手本を国際社会に見せることである。
あくまでも平和的な手段をもって支援し、テロにも対話で対していく姿勢を見せることである。

伊藤さんの犠牲は大きな痛手となったが、その死を無駄にしないためにも、日本は以上のことにすぐにも取り組むべきである。

関連タグ : ペシャワール会, アフガニスタン, 復興支援,

26日、アフガニスタンの農村で医療、農業支援などを行ってきたNGO「ペシャワールの会」のスタッフ、伊藤和也さんが武装勢力に拉致された事件は、一旦は解放されたというニュースが流れた後に誤報だったと発表されるなど、情報が錯綜し、いまだに事件は解決していない。
タリバーンが仲間の釈放を求めて伊藤さんを拉致したとの情報もあるようだが、いずれにしても一刻も早く、伊藤さんの無事救出を祈りたい。
「伊藤さんは現地の住民ともなじんで、その活動は感謝されていた。現地の有力者が解放の仲介に立ってくれると信じている」という福元満治事務局長の言葉もある。武装勢力との武力衝突を避け、できれば現地の人々の説得で解放してもらいたいものだ。

しかし、こういうニュースが流れると気になるのは、不測の事態が起こったときのためには軍による護衛が必要だという考えが表面に出てくることであり、日本の自衛隊派遣は是非とも必要だという論調が力を得ることである。

けれどもテロや暴力に対抗するには軍の力に頼るしかないという考え方はいかにも危険で、間違っていると私は思う。
現に、ペシャワールの会現地代表の中村哲氏はアフガニスタンの現状について、
「治安悪化の原因は、大干ばつによる深刻な食料難と、タリバン掃討作戦を進める米軍の相次ぐ誤爆による犠牲への怒り・反発だ。かつては日本人であるだけで命拾いしたが、今は日の丸がむしろ標的になっている」と語っている。
アフガニスタンにはアメリカ軍だけでなく国連軍も派兵されていて治安維持にあたっているが、どうやら評判の方はアメリカ軍に劣らずよくないようだ。全体にモラルが低く、地域の習慣や文化を理解しない兵士たちはアルコールが禁じられているアフガニスタンにいながら装甲車の上でワインをラッパ飲みし、空き瓶を通行人に投げつけるといった傍若無人を繰り返している。そのため現地の人々からは感謝どころか憎しみを買っていると、これも中村医師が語っている。

さて、ここでもう一つ心配になるのは、民主党代表の小沢一郎のことだ。

すでに民主党は代表選を行わずに小沢代表の三選を決めてしまったようだが、そのまま総選挙が行われて大方の予想通り自民党が敗北し、連立するにせよ民主党が政権を取ったとなると、当然ながら小沢一郎首相の誕生ということになる。
私が心配するのは、小沢は自身のウェブサイトで憲法改正を主張しており、日本が国際社会との協調を図っていくためには「国連常備軍」を創設する必要性を訴えている。
小沢は持論のなかで、今の国連は明治維新のときの朝廷のようだとたとえている。以下はその引用。

-------
明治維新のとき、朝廷は武力を持たなかった。警察力も権力もなかったので、薩長を中心に親衛軍をつくったのである。今の国連は、ちょうど維新後の朝廷と立場が似ている。固有の力を持っていないので、事が起きた時に、その都度各国に呼びかけPKOを始めとして多国籍軍の編成を行うことになる。これでは、緊急な時に迅速な行動がとれないという事もあり、又、その時々の各国の思惑や事情により実効があがらないという面も多々ある。従ってこういうやり方でなく、一歩進めて国連に常備軍を設けるべきであるというのが私の主張である。
--------小沢一郎 「政策とオピニオン」より。

つまり、今の国連がイラクやアフガニスタンに多国籍軍を送って平和維持活動を行うというやり方ではスピーディな対応ができないから、日本が中心になって国連常駐の軍隊を置き、イラクやアフガニスタンに派兵すべきだというのだ。
そして実際、小沢は雑誌『世界』1997年11月号に投稿論文を発表し、そのなかで「私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAF(国際治安支援部隊)への参加を実現したい」と述べ、「国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない、というのが私の憲法解釈です」と断言している。

民主党は、私の記憶が正しければ、テロ特措法延長に反対の立場をとっているはずだが、その代表であり、もしかすると次期首相になる可能性もある小沢一郎は憲法を改正することにも賛成した上に海外派兵にも積極的な考えを持っているのだ。

これは普通、どう見てもおかしいのではないか。
もし小沢内閣が実現したとして、小沢はさっそくISAF参加を実現させるだろう。その結果どうなるか。
ペシャワールの会の中村哲医師が語ったように、軍事力の介入は現地人からの憎しみを買うだけになるのではないか。
小沢が改憲を実現させ、国連に日本を中心とした常備軍を置くことにしたとする。その軍とは誰が行くことになるのか。自衛隊とは別の組織なのだから、新たに兵士を募ることになるだろう。
私はそこで「徴兵制度」という言葉を思い浮かべないわけにはいかなくなる。
小沢一郎は、日本で徴兵制度を始めるつもりなのだろうか。それを視野に入れながら次期政権を取ろうと目論んでいるのだろうか。
私はここに非常な危惧を感じる。

小沢三選が決まってしまった以上、もはやISAFについても論じられることはなくなってしまったとは「きまぐれな日々」のkojitakenさんも批判的に書いているが、私もまったく同感である。

国民生活を破壊した自公政権には、一刻も早く舞台から降りてもらいたい。
しかし、次に政権を取るだろう民主党はどのような国政を運営していくつもりなのか。それがもうひとつはっきりしない。
憲法を改正し、海外派兵にゴーサインを出そうとする小沢一郎を抑える勢力が民主党内で力を持つことと、連立する政党には小沢の暴走にストップをかけ、本来の「生活が第一」の内閣を実現してもらいたいものである。

関連タグ : アフガニスタン, 拉致, 小沢一郎, ISAF, 憲法改正, 民主党,

泣ける映画が、必ずしもいい映画の物差しにはならないと思っている。
しかし、やはりすぐれた作品に出合うと涙は自然に流れてくる。いくらこらえても、目の前がうるうるボヤけ、一粒、二粒と涙の滴が流れてしまう。
君のためなら千回でも」は、ほろ苦く、切ない涙を禁じ得ない、私が近年観た作品の中でもっとも愛すべき映画だった。

最後に凧揚げをしたのは、いつだっただろう。
画面を見ながら、そんなことを考えていた。
空高く舞い上がり、風に乗った凧はみるみる小さくなっていく。
凧と地上にいる私をつなぐのは一本の糸だけだ。その糸をしっかり握り、風に流されないように支えるのはけっこう大変なことだったのを思い出す。
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大空を無数の凧が飛んでいる。鮮やかに彩られた三角形の凧は、アメリカ凧に近い形をしている。その凧を飛ばしているのはアフガニスタンの子どもたちだ。
ソビエトに侵略される前の平和なアフガニスタンでは、冬のお祭りとして凧揚げの日があったことが描かれる。日本で言えば「喧嘩凧」で、飛ばした凧を巧みに操り、空中戦を演じるのが見所だ。
まるで生き物のように飛び回る凧は相手を見つけると接近し、挑発し、くるくる回転して互いの糸を切ろうとする。糸を切られた凧はむなしく地上に落ちていく。地上では落下した凧を追いかけて、子どもたちが一斉に走り始める。落ちてくる凧は拾った者がもらっていいことになっているのだ。
この映画の原題「The Kite Runner」は、凧を追いかける子どもたちのことであり、日本題の「君のためなら千回でも」は、凧を拾ってきてくれと頼んだ少年に、親友の少年が笑顔を浮かべて答える台詞として出てくる。日本ならば「喜んで!」とか「いいとも!」というところだろう。

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この映画の前半に登場する人物は、気は優しいが弱さを持った少年アミールと、その少年に献身的なまでに仕える年下の少年ハッサン。そしてリベラルな考えを持ち、人々から尊敬を集めているアミールの父親と、アミールの家に忠実に仕えるハッサンの父。
アミールの父は息子に教える。
「もっとも悪い犯罪は盗むことだ」と。
「人を殺すのは命を盗むことであり、人を欺くことは真実を盗むことなのだ」と。
アミールは、アミールのために凧を拾いに行った先でハッサンが暴行を受け、性的虐待を受けるのを目撃するが。助けることができない。のみならず、かえってハッサンを遠ざけ、いじめるようになる。ザクロの実を投げつけ、悔しかったら自分にも投げてみろという。しかしハッサンは黙って実を取り上げると、自分の顔で潰し、だまって去っていく。その決然とした少年の誇り高い表情がいい。
アミールは、挙げ句に盗みの罪を着せて召使いとして仕えてきたハッサン親子を追い出そうとする。
ハッサンは、アミールの嘘を知りながら罪を認め、ハッサンの父はもうお仕えすることはできないと出て行こうとする。
アミールの父は二人に留まるように命令するが、ハッサンの父はいう。
「失礼ながら、あなたはもう私の主人ではない。私に命令することはできない」
父もまた、誇り高い男だったのだ。

ソ連がアフガニスタンに共産主義政権を樹立しようと侵攻してくるまで、この国は親米的だったことが描かれる。パーティではアメリカの流行曲が演奏され、街では「荒野の七人」が上映されている。
アミールの誕生日には大勢の町の名士たちが訪れるが、そのなかにアフガニスタンの英雄マスードがさりげなく登場するのも、おもしろい。

ここでアフガニスタンについてのおさらいだ。
アフガニスタンといえば、私の記憶は79年にソ連軍の侵攻を受け、共産主義政権を樹立したことに始まる。アメリカをはじめとする西側諸国はこの事件に反発し、80年のモスクワ・オリンピックをボイコットした。
また、10年にわたる内戦が続きソ連軍が撤退した後にはイスラム原理主義のタリバンによって支配された。彼らの反人道的・反文化的な支配体制は世界中から非難されたが、タリバンはバーミヤンの巨大石仏を爆破するという示威行動に出てさらに非難を深めた。
アメリカはアフガニスタンと近しい関係にあったが、タリバンが国際テロ組織アルカイダをかくまい、そのアルカイダが9.11事件を起こしたことから関係が悪化。国の英雄マスードは、この事件の二日前に暗殺されている。アメリカはタリバン政権打倒とアルカイダ討伐のために出兵した。
そして2002年、ハーミド・カルザイが暫定大統領となり、2004年に選挙が行われてカルザイが当選し、正式な政権が発足した。
しかし現在はふたたびタリバンが勢力を盛り返し、国内は今も混乱している。

映画の後半は、こうしたアフガニスタンの歴史のなかで生き別れになってしまったアミールとハッサンの関係がどうなるのかを描く。
ハッサンを見捨て、騙した罪を心に残したまま20年が過ぎ、今は亡命してアメリカで暮らしているアミールのもとに、パキスタンに住む父の友人から電話がかかってくる。
「お前はアフガニスタンでやり残したことがある。今ならやり直すことができる。帰ってこい」
良心の呵責を今も感じているアミールは、どうやってあの誇り高く、無償の愛情を捧げてくれた友人との関係を修復できるのか。

後半では、タリバンに支配された故郷の無残な様子が描かれる。
樹木はすべてソ連軍に切り倒され、今ではタリバンが街中に睨みを利かせている。娯楽的なものを一切禁止したタリバンは、唯一認めたサッカーの試合で、ハーフタイムにイスラムの教えに反した男女の公開処刑を行う。そのむごたらしさ。

映画を観ている私たちは思う。共産主義思想も、原理主義的宗教も人から自由を奪い、不幸をもたらすだけだと。
ならば、人はどうすれば幸福になれるのか。
それはおそらく、思想も宗教も超えた、人間の善性原理に基づく社会を築くしかないだろう。しかし、そのためにはこの現実をどうやって変えていけばいいのか。
アフガニスタンに、ふたたび凧揚げをする日は戻ってくるのだろうか。大空を舞う凧は、自由の象徴だ。そして凧と人とを繋ぐ一本の糸は、自由と人間を繋ぐ絆でもある。細いけれども、腕に力を込め、脚を踏ん張らないと支えるのが難しい絆だ。
君のためなら千回でも」と笑って凧を追いかける。あのハッサン少年の姿が、まぶたに焼きついて離れない。

この映画は、アフガニスタンでは上映を禁止され、映画に出演したハッサン役の少年は危害が及ぶ恐れがあるとして保護されたという。
重い現実は、映画が完成した後も続いているのだ。

関連タグ : 映画, 君のためなら千回でも, アフガニスタン, タリバン,

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