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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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文体のことを語るのは難しい。
私は作家ではないし、批評家でもないのだから、偉そうなことはいえない。
それに文章は、時代や感性を映すものでもあるので、うかつに批判することはそれ自体、自分が時代からずれているのを表明することになりかねない。誰だってずれてるとは言われたくない。
「イケメン」などは今でも目にするたび虫酸が走る思いがするが、いつの間にか世間で認められ、今ではテレビのアナウンサーまでも平気でこの言葉を使っているのだから半ば諦めている。諦めながら、一日も早く廃れてしまえと呪っている。

最近、ネットや雑誌で他人の書いた文を読んでいてひっかかるのは、文章の最後を「~だそう」で締めくくる書き方だ。
ネットと雑誌、どちらが先にこういう書き方を始めたのかは知らないが、読んでいてなんだか気持ちが悪い。
たとえば、今日もgooのニュースで「オタクっぽいと感じてしまう男性の格好ランキング」という記事があり、それを読んでいると「《バンダナをハチマキ状に巻く》というのがAカジの典型的なコーディネートだそう。」というくだりがあった。ちなみに、Aカジというのは「アキバ・カジュアル」という意味で、この文章の前にはアニメプリントのTシャツを着て、ぴちぴちのケミカルウォッシュのジーンズをはき、背中にリュック、腰にウェストバッグというのが典型的なAカジなのだという説明がある。

オタクのファッションなどどうでもよさそうなものだが、これを説明するのに記事では「~です・ます」に体言止めを交え、さらに「だそう」を使っている。語尾に変化をつけようという工夫のつもりらしいが、どうして「だそうです」ではなく「だそう」なのか。

「~だそう」と書かれると、自信がなさそうな感じがするうえに、妙になれなれしく感じてしまうのは私だけだろうか。見知らぬ女から、いきなり「~みたいね」と話しかけられるような。

私はラーメンが好きで、ネットでラーメン店情報を見ることが多いのだが、そのなかでも店舗あるいはラーメンを紹介するのに「出汁には~を使っているのだそう。」というのに出くわすことがある。せっかくふくらみかけていた美味そうなイメージも、こいつで一気にしぼんでしまう。

「~だそう」と書く書き手は、いったいどういう気持ちで文章を「~だそう」と締めくくっているのだろうか。
たしかに、文章を書いていると語尾を決めるのは難しい。
「です・ます」調の場合は「です」「ます」が続くとくどくなる。だから適当に体言止めを使ったりする。「である」調の場合は、あまり「である」とやると偉そうになっていけないから、「~だ」で止めたり、やはり体言止めを交えてリズムを作る。「~なのだ」は、なんだかテレビのナレーションみたいになるから最小限にとどめる。
しかし「~だそう」は何と言っていいものか。要するにキライなのである。こいつが出てくると、どんな記事も三文値打ちが下がる気がする。口語体の変形なのかもしれないが、それならば「です・ます」に混ぜて使うのは反則だろう。

気のせいか、この頃「~だそう」文に出くわす頻度が少しずつ高くなっているような気がする。
嫌だな。
こういう文体があたりまえに使われるようになったら、なんだか、気がおかしくなりそう。
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関連タグ : 文体, だそう,

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