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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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今週も医者に行ってきた。
私のようにバーンアウトに伴って鬱の沼にはまった患者は、抗うつ剤を飲んでも意味がないのだそうだ。
状態を改善するには、生活を切り替えること、仕事の内容を改めること。そういう間接的な方法しかないという。

道理でな。
いくら薬を飲んでも気分がよくならないわけだ。
眠りも浅いし、いつも頭の中に鉛が入っているように重く、苦しい。
仕事に向かおうとすると体がすくんだように動けなくなる。他のことに逃げたくなる。余計な買い物でもして気を紛らわしたくなる。
いつまでたってもそんな状態から抜け出せない。自分ではどうすることもできない感じだ。
去年の暮れあたりから、またひどい状態が続いている。

生活を切り替える。仕事の内容を改める。

できるかよ、そんなこと。
いつもギリギリの気分でいる人間にとってはいちばん難しいことじゃないか。生活に余裕がない鬱々とした毎日を送る者には、もっとも困難なことじゃないか。
いったい、どうすればいいのだ。
どうにもできない自分に腹が立ち、腹立ち紛れに世の中を見るから妙に斜に構えたことを書く。まったく嫌になってくる。
いったいどうすれば。いったいどうすれば。
グルグルと、その言葉だけが頭の中で繰り返される。
歯がみして、仕事に向かおうとしても、頭が拒絶する。
どうにかならないものか。
薬も効かないんだってさ。

それでも以前のように死にたいとは思わなくなった。生きていたいとも思わないけれど、少し前よりは少し前進した。前進はしたけれど、これ以上は進めないかもしれない。
まったく、どうにかならないものか。

薬が効かない鬱だなんて、最悪じゃないか。
鬱はかならず治る病気です、て言ってたのはどこのどいつだ。
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関連タグ : うつ病, バーンアウト症候群,

関東地方は一昨日から寒気に覆われ、昨日は東京で雪が降った。私が住んでいる場所は夕方までみぞれ混じりの雨だったが、それでも夜になると白いものが横殴りの風とともに窓に吹きつけてきていた。

家の中にいても寒かった。ストーブが離せない。
犬たちもストーブの前にはりついて動こうとしなかった。
寒さのせいなのか、いや、これは私の病気のせいなのだろう、精神活動までが凍えてしまったようだ。
うつ病は、朝の方が体調が悪くなることが多いといわれる。私もその通りで、毎朝6時すぎには目が覚めるものの、ようやくの思いで犬の散歩をすませると、布団に横にならずにいられなくなることが多かった。そこは自由業のありがたさで、特に出掛ける用事がない日は午前中は横になっても、午後仕事をすればなんとか帳尻を合わせることができる。

ところが最近、朝だけでなく夕方近くから夜になっても調子が悪くなる。
机の前に座っているだけで気分が悪くなってしまう。
仕事をしようにも、体がすくむように頭の中が動かなくなり、何も考えられなくなってしまう。いや、考えることはできるのだけれど、根を詰めて考えることができなくなるのだ。これでは仕事ができない。そんな自分を、駄目だ、どうしようもないと嘆きながら思考は同じところをぐるぐる回転するばかり。いっそ横になって休んでしまえばいいかと思うが、それをやってしまうと本当の病人になってしまうようで、自分を許すことができない。
結局、ここしばらくは仕事もできずただパソコンの前に座ってディスプレイを見つめるという、数年前の自分にもどってしまった。

今日こそは、なんとかしようと思う。こうしてブログの記事なら書けるのだから、仕事だってできないはずはないのだ。そう思って仕事に取りかかろうと思う。
要は気持ちを切り替えればいいのだが、それができないのが辛い。
自分の頭の中のことなのに、自由が利かない不自由さ。その気分の悪さ。
でもなんとかそれに折り合いをつけていかなければ、生きていけない。

なんとか今日は。
普通に仕事をして一日を終えたい。
普通に生きるのは、ほんとにシンドイことなのだ。

関連タグ : うつ病,

昨日は、一週間前から塩漬けにしておいた豚バラ肉を燻製にした。
いつもならばスパイスを何種類も混ぜ合わせるのだが、今回は塩とコショウとナツメグだけのシンプルな味付け。
燻すにはリンゴのチップを使っていたのだが、昨日ホームセンターに行ってみるとこれがなかった。仕方なくサクラのチップを買うことにした。

ところが、ホームセンターにいるうちに気分が悪くなってきた。
私は広くて人が大勢集まる場所が苦手なのだ。落ち着かなくなってくる。状態が悪いときなどは、そこにいる客が皆自分を見ているような気がする。そして、その場に集まっている人間の中で、自分はいちばん情けない人間であるように思えてくる。めまいがしてきて立っているのも辛くなる。早く買い物を済ませて家に帰りたくなる。

これは「うつ」というよりも強迫に近いもののように思われる。
いや、私の心の中には常に自分が潜在失業者であり、教養も浅く、とても世の中には通用しない「負け組」だという観念があり、それが自分を責め苛むのだから、やはり「うつ」に違いないのか。
とにかく、ホームセンターやスーパーやデパート、人でごった返す繁華街に行くのが辛い。いつも気分が悪くなるわけではないが、できるだけそういう場所には行きたくないと思っている。仕方なく行く場合は、できるだけ早く帰ろうと思う。

昨日もそそくさと買い物を済ませ、家に帰ってとりあえず肉を燻した。
夕方から燻し始めたので、出来上がったのはもう暗くなってからだった。
自分で作るベーコンは、なかなか美味いものだが、昨日は塩抜きを怠ってしまい、アンチョビのような塩辛いベーコンになってしまった。

まあ、これはこれで食べられないこともない。
燻す煙で自分も燻製のようになりながら、塩辛いベーコンを味わった。
ニュースをつけると、中国製の冷凍餃子から農薬成分が出たと報じていた。
ほんとうに中国という国は。
これはテロなのか、事件なのか。
それとも、中国という国の体質なのか。
私には3番目のような気がしてならないのだが。北京オリンピックなどと浮かれていていいのか。
ニュースのもうひとつの話題では、やりなおしになったハンドボール予選が画面に映っていた。
選手には悪いが、そこまでしてオリンピックに行きたいのか、と思ってしまった。
今のオリンピックには、それほど価値はないように思うのだが。
カネ儲けと国の威信を示すための道具にすぎない。それも農薬入りの食材が流通する国で。

やめちまえよ。
もういいじゃないか、オリンピックなんて。

言ってはいけないことなのかもしれないけれど。
そんなことをぶつぶつ思いながら、失敗したベーコンを口に放り込んだ。
毒入りじゃないだけ、ずっとましだよ、これだって。

関連タグ : オリンピック, 中国, 毒入りギョーザ, うつ病,

このところ、どうも外出して人と会うと、ぐったり疲れてしまう。
仕事で人と会うときもそうなのだが、気の置けない友人と話したときでさえ、家に帰ると疲労感ばかり残る。
そして翌日は全身がだるく、一日何もしたくない。できれば横になっていたいと思う。
私が通っている医者は、それは年取ってきてアタマも消化不良を起こしやすくなっているからだという。

若い頃ならば夜遅くに食事をしても、その内容が揚げ物だったりしても平気でたいらげていたものだが、今はそんなことをすると確実に胃がもたれてしまう。
アタマも同じで、人と会うという緊張がもたらされると、少しの時間でも疲れてしまうらしい。
「うつ」だと余計に疲れやすいのだろうか。その点は医者ははっきり言わなかったけれど。

2週間ほど前に、小学校時代からの友人に会った。
親友、とよべる間柄の男だが、7年ぶりくらいで再会し、笑って飲んで数時間すごしたのだが、この後がいけなかった。
仕事をしたときの疲れなど比べものにならないほどの疲労感と気鬱の大波がやってきた。心身の不調が一週間以上も続いた。
彼と話したことはといえば、お決まりの小学校、中学校時代の話で、笑い話にしかならないような話題ばかりだった。しかし私にとってはどうも、今さら昔の話を思い出して語るというのが負担なのだ。心の奥底に沈殿していたものが、いきなりかき回されてぐしゃぐしゃになるような感じがする。正直なところ、そういうことを感じるようになっていたから意識的に7年前から、なんとなく昔の友人とは会わないようにしてきたのだ。

医者にも通っているのだし、もう大丈夫かなと思ったのがいけなかった。
再会を喜んでくれた友人は、年が明けたらまた会おうぜといってくれたのだが、さてどうしたものか。

昨日は、このところいちばんお世話になっている会社の忘年会があった。
朝からなんとなくヤバイかな、と思っていたのだが、とにかく出席した。
もちろん会そのものは、なごやかで楽しいものだったが、やはり途中からだんだん辛くなってきた。それでも会がお開きになる間際までいて、帰ることにした。

ようやく帰って、家の中に入るなり、どっと疲労感に襲われた。
そして今日。やはり朝から気分が悪く全身がだるい。何をする気にもなれない。
家人は大掃除に精を出しているのだが、私ひとりは起きたり横になったりを繰り返している。まるで粗大ゴミだ。

2007年も今日を入れて3日しか残っていない。
どうにも大晦日だとか新年を迎えると行った気分にはなれないのだが、時間だけはお構いなしに過ぎていく。
この数年は自分にとっても家族にとってもヘヴィーな年が続いていたが、今年も劣らずきつかった。それでも来年は少しはよくなってくれるだろうかと、淡い期待を抱くことは許されるだろうか。

ほんとうは、今年見た映画のまとめをしてみようと思ったのだが、そんなこんなでとても書ける状態ではなく、こんな愚痴になってしまった。お許し願いたい。

関連タグ : うつ病,

クリスマスも終わって、世の中のムードはすでに正月に向かっている。
昨日は東京のオフィス街を歩いたが、ビルの入り口にはもう注連縄と門松が飾られていた。

しかし、世の中がクリスマスだと騒ごうと、正月だと盛り上がろうと、私の中では年々それらを意識する気持ちが薄れていっている。
年中行事のひとつとして、クリスマスにはローストチキンを焼きプレゼントを娘に与えるが、ケーキに立てたロウソクの火を吹き消したところで、気分は一向に盛り上がらないのである。
正月まで一週間を切って、カミサンは近くの農家に伸し餅を注文し、新聞のチラシを見てはおせちをどうするかと心配しているが、私のなかではすでにどうでもいい部類のことになっている。

気持ちが盛り上がらない、鬱々としているのはこの5、6年のことであり、一時はテレビを見ることも、新聞を読むこともできなくなった。テレビから流れる音はただの騒音だったし、活字は意味をなさない記号のように見え、目の中に突き刺さってきた。
さらに、仕事をしようとすると不安に動悸が激しくなり、何も手につかなくなった。
パソコンのスイッチを入れ、明るくなったディスプレイを一日見つめているだけの日が続いた。

むろん、そんなことをしていて楽しいはずがない。
こんなに怠けていて、収入はどうなるんだという心配が常に私を追い詰めた。
それでもどうすることもできない自分が許せず、なぜ、自分のような人間が生きているのだろうと思った。自分などは生まれてくるべきではなかった、死んでしまった方がいいと考え続けるようになった。
朝、目が覚めると今日も生きていることを恨んだ。体は鉛のように重く、歩くことさえ辛かった。
こんな自分が生きていていいはずがない。早く死んでしまいたい。そう考える毎日が続いた。

それが5年前のことである。

死にたい自分をどうすることもできない私は、ひそかに命の電話にダイヤルしてみた。しかし命の電話は何度かけてもつながらなかった。
9年続けて自殺者が3万人を超えている。つまり1日に100人ちかくが何らかの方法で自殺しているのだ。私ごときが電話をかけたところで、命の電話はこのときすでにパンクしそうな状態だったのだろう。

次いで電話をかけたのは、精神保健福祉センターだった。

そこでは精神科の診療もしているということを確かめて、私は予約をとった。
数日後、はじめて受診をした私に、医者は典型的なうつ病だと告げた。
自分の精神的な状態をはじめて話し、それがうつ病だと言われたとき、私はなぜか泣けてきた。
病気と認められ、薬を処方されたところで自分を取り巻く状況は少しも変わらない。しかし他人に話すことで少しは救われた気持ちになれたのだと思う。この後、はじめて家族に自分がうつ病だということを告げた。

それ以来、毎日薬を飲むことと定期的に医者を訪ねることが日常に組み込まれた。
おかげで状態は一時ほど悪くはない。
まだ、午前中は調子が悪いけれど、騙し騙し仕事もできるようになった。
こうして、自分を客観的に見て、文章を書けるようにもなった。
テレビはうるさいと思うことが多いが、活字は積極的に読めるようになった。

なぜ自分がうつ病になったのか、思い当たる個人的な理由はいくつもある。それはここでは書くまい。
しかし自分が「うつ」になってみて、はじめて見えてきたことがある。
それは、自分だけではなく、どうやら世の中全体が「うつ」を病んでいるらしいことである。
あちこちのブログを読んでいても、今年はクリスマスだというのに気分が盛り上がらなかったとか、正月らしくない気持ちのまま何となく新年が始まってしまったといった記述を見ることが多い。みんな、なんとなく鬱々とした気分を抱えているように思える。

あなたは、今年のクリスマスを楽しめましたか? もうすぐやってくる新年にわくわくしますか?

現代は「うつの時代」だとマスコミはいっているけれど、この世の中を覆っている、いわく言い難い不自由さというか窮屈感はどこからきているのだろう。
なんだか生きづらい。
誰もが心のどこかで時代の閉塞感を感じているのではないだろうか。
毎年、自殺者は交通事故死者の3倍を上回り、餓死者は平成17年で77人もいたという。2週間に3人の割合で餓死しているということだ。しかも、餓死者の数は、95年以降急激に増えているのだという。94年までは20人程度だったのが、95年に61人となり、2005年までに867人が餓死しているという厚労省の統計がある。

つまり、ほぼ時期を同じくして自殺者も餓死者も急増しているというわけだ。
これは異常な事態ではないのか?
鬱々とした気分のままにそんなことを考えているときに行きあたったのが「新自由主義」という言葉だ。

市場原理に基づき、福祉などの社会保障を切り捨てるこの考え方は、何事もアメリカに追従する自民党政権(中曽根政権あたりから)によって導入され、小泉純一郎によって日本全国に影響をおよぼすまでになった。結果、自己責任という看板を掲げた格差社会(貧乏なのはお前が悪いからだ)と規制緩和による地方の疲弊、中小・零細企業の破綻がもたらされた。

ということは、いま現在多くの人が感じている(もちろん私もふくめて)閉塞感、生きづらさの原因は、新自由主義にあるのではないか。
私がうつ病になった原因まで新自由主義に求めようとは思わない。
けれども、社会がここまでギスギスしたものになった原因は、あきらかに新自由主義にあると思う。

これからはノンポリだなどとはいっていられない。誰もが政治に向き合わなければならない時期が来ている。
私はそのなかで、これからは新自由主義とその信奉者たちを糾弾していこうと思う。

関連タグ : うつ病, 自殺, 新自由主義,

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