それが成人雑誌とわかったのは、私はそれを見たからあって、しまいには本来の隠れん坊を忘れて私は友だちを呼び集め、みんなでその本を囲んでしゃがみ込み、木の枝か何かでページをめくっては「わー、なんだこりゃ」とか「やらしー」などと騒いでいたのである。
まあ、ロクな小学生じゃなかった。それは認めよう。
それが成長して、こんな大人というか、オヤジにやってしまったわけだ。
さて、昨日2日、自民党と民主党は18歳未満の子どもをインターネットの有害サイトから守るための議員立法の共同案の修正協議で合意した。
最近は、パソコンや携帯を通してインターネットを利用し、小学生でも実にさまざまな情報を得ることができる。もし、私が今の小学生で、パソコンも携帯も所有していたならば、やはり神社で誰かが捨てていった成人雑誌を隠れ見たように、アダルトサイトなどを片端から覗き見ていったに違いない。
ロクな小学生じゃなかった私ではあるけれども、そういう成人雑誌を見るときにはやはり「何かイケナイことをしている」という意識があったわけだし、それが子ども心にも汚らわしいものだと感じていたから木の枝でページをめくっていたのだと思う。
そう思いたい。
だから、私が今の子どもでパソコンや携帯を持っていたら、アダルトサイトを覗くだろうけれども、やはり心のどこかにはやましさを抱えながら見るだろうし、それらの画面に映っているものが善ではないということはわかっていると思う。
そう思えるのは、何も私に徳があるからではなく、私の周囲にいた大人たちが言葉にはっきりは出さないまでも、今でいうアダルト系の写真や読み物がお天道様の下で堂々と見たり読んだりする類のものではないということを教えてくれていたからだ。
それは私だけではなく、私と一緒になって境内に落ちていたエロ本を覗き見ていたガキどもも同じだったはずだ。
今回、自民党は有害情報を規制するにあたって「国が一定の関与をすべきだ」と主張し、民主党は「民間の自主的な対応に委ねるべきだ」と主張して調整が難航し、最終的に国が関与せず、民間の第三者機関に任せることで自民党が妥協して決着したという。
けれども、たとえ民間の第三者機関があたるとしても、子どもがどんな情報を見るかという行動をお上が監視することには、どうしても抵抗感が残る。
たしかに今のネットにあふれる情報には、私が子どもの頃に見たものとは比べものにならないほど過激で扇情的なものが多いし、残虐なものや殺人、自殺に関わるものが見過ごせないほどあるのは事実だ。だからといって、これらをけしからんものとして権力が介入して規制するべきものなのか。
私もそれらはよからぬ情報ではあると思うけれど、かといって政府権力が介入することには賛成する気になれない。
政府がするべきなのは、規制をする前に教育に力を入れることではないのか。
ネットに対する心構えを、子どもだけでなく親の世代にも教育していくことだ。そうすれば、たとえアダルトサイトを見ることがあっても、子どもはそれが善ではないことを知りながら見るようになるだろう。親の立場でいえば、それらがよくないものだということを子どもの心にしっかり植えつけるようになるだろう。
そもそも、ネットにあふれる反社会的情報は、いくら政府が規制をかけたところで完全にシャットアウトすることは不可能だ。そして権力が規制をすればするほど、裏社会の情報は価値を増していく。
肝心なのは、一人ひとりの子どもたちがそれらを見てはいけないものだと思うようになることであり、大人は子どもを守る責任から、それらを子どもに見せないように努力することなのではないだろうか。消極的な方法かもしれないが、政府がすべきなのはここまでで、あとは社会の良識を育てていくしかないと思う。
今回、自民党と民主党が決めたことは、地べたの上で暮らしている国民から見れば「余計なお世話」と思われてならないのだ。
だいいち、彼らは何をもって有害情報として規制していくかがはっきりしていないし、彼らが規制するのにまかせていると、そのうち有害ではないけれども彼ら権力にとって有害なものを規制するようになるのではないだろうか。
それが気にかかる。
昔、といっても今から20年ほど前までのことだが、海外から輸入されるアダルト雑誌には、『PLAYBOY』のようなものでさえ、ヌード写真の股間はマジックインキで消されていたものだった。今思っても、それは愚劣な、お上による規制の結果だったわけだが、少年だった私たちはあらゆるところから情報を得て、いかにそのマジックを消し去るかに地道を開けた。
多くは失敗したが、ときにはうまく消すのに成功することもあった。
でも、だから何だったかといえば、何でもなかったのである。
要するに、マジックを上手く消して、股間にあるものを見たところで大した感動はなかったし(もちろん、消したこと自体への感動はあったが)、それを見たことで私たちが性的にねじ曲がった方向に進んだとも思えない。
今、自民党と民主党がやろうとしていることは、せいぜいがネットの情報にマジックインキを塗ろうとしていることにすぎないのではないか。
だとしたら、それは愚劣な規制だし、やっぱり余計なお世話だと言ってやりたい。
さらに民主党についていえば、こんなところで自民党と協調していないで、高騰を続けるガソリン価格についての見解を出してほしい。3月4月と、「ガソリン国会」と宣言していたあの騒ぎは何だったのか。国民の前に、きっちりとその落とし前をつけてもらいたいものだ。
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私の稚拙な意見にコメントを頂きありがとうございました。
私もかって兼業農家だったので減反をなくすべきと思いますが、言いたいことは思いつきのような発言は止めるべきということです。
官房長官発言に対して農水相も批判しました。
閣内で政策を詰めてから発言すべきです。
おっしゃるとおり、日本の農政はこれまでのいい加減な政府の方針に振り回されてきた歴史がありますよね。今回も、町村信孝のおもいつきだけだったとしたら、ほんとに農家を愚弄することだと思うし、許し難いことだと思います。福田内閣として、というかこれからの政府が食糧危機という世界的な事態を前にして、こんごどのように農政と取り組んでいくのか。私たちは注視していく必要があると思います。
本来なら、こういったことは親が子に教育(伝授?)してゆくべき性質の
ものだと思います。
そこに公権力が介入する事の不自然さ不気味さを感じます。
ただ、自分が親であるにもかかわらず、我が子を教育する能力を
持ち合わせない者が多くなってきている事もまた事実です。
その無能力っぷりが、公権力に介入の口実を与えているようにも
思われてなりません。
我々一人一人がもっとしっかりしないといけないと、改めて感じます。
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