●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン
すべてを見ることはとても不可能だが、私が見た中で興味深かったのはNHKが9日(日)から連続して放送したシリーズ「日本海軍400時間の証言」だった。
これは天皇直属の機関として戦争の作戦を立案・作成していた軍令部に所属していた人々が、戦後密かに会合を開き、なぜ日本は戦争を起こし、負けるに至ったかを赤裸々に話し合っていた、そのときの録音テープをもとに作られた番組だった。
私が見たのは第1回の「開戦 海軍あって国家なし」と第2回「特攻 やましき沈黙」の2回だが、それぞれがあの戦争とは何だったのか、そして日本人とは何かということを考えさせられる内容だった。
まずもって驚くと言うよりもやはりな、とあらためて思ったのは、あの戦争が一部のエリートたちの思い上がりと、硬直化した組織がもたらす負の側面が組み合わさって後戻りできない方向に導かれ、破滅的な結果をもたらした、ということだ。
軍令部という組織がいかなるものだったのかは、この番組を見るまで知らなかったが、戦前のエリート養成機関である海軍兵学校の卒業生の中から選りすぐられた一握りの人間がこの部署に所属し、絶対的ともいえる権威を持っていたことが説明される。日本海軍は天皇の下に海軍省、軍令部、連合艦隊からなっていたが、軍令部は天皇直轄の統帥権を盾に他の干渉を許さず、真珠湾攻撃を成功させたことからさらに増長し、独走を演じていく。
反省会は昭和50年代から約10年間にわたって開かれたというが、出席したのは当時まで生き残っていた軍令部の幹部たちと連合艦隊の責任者たちで、みな70代から80代に達していた。そういう意味では昭和の末期にギリギリのタイミングで当事者たちによる反省が行われていたわけで、よくもまあその模様を録音したテープが残っていたものだと思う。
ただし、彼らは自分たちの恥部をさらすことになるとして、存命中はテープの公開はしないと決めていた。そのあたりに、戦争責任追及を逃れ、ある意味ではおめおめと生き延びていた人々らしい判断が下されていたわけだ。
テープの中で、真珠湾攻撃を成功させた山本五十六ほかの軍人が神のように崇められ、以後は誰も逆らえなくなったこと、その後、ミッドウェー海戦では大敗北を喫することになるが、この作戦さえも確かな計画と見通しをもって立てられたものではなく、「かまわないから、やってしまえ」といった乗りで戦いに臨んだことが語られる。
これに対して、作戦を実行する立場の連合艦隊の責任者が激しく抗議する様子が生々しい。
いつの時代も、トップの近視眼的で無責任な決断が全体を窮地に追い込む。
この構図は戦時中だけでなく、今の日本社会にも言えることではないか。
エリート中のエリートを集めた軍令部においても、なかば成り行き任せの作戦が公然と立案され、人間を人間として考えずに自動操縦機とみなして爆弾もろとも敵戦艦に突撃していく特攻計画が、「こうでもしなければ戦争を遂行できない」という理由で何の抵抗もなく推し進められていく。
今の時代でいえば、派遣労働者を単なる調整弁としか考えず、目先の利益を上げることだけを考えている経営者と同じである。
彼らに共通しているのは、血の通った人間には等しく生きる権利や幸福を追求する権利があるということをまったく意識の外に置いていることだ。
昨日12日、やはりNHKで放送された「働きたいんや」というドキュメンタリーでは、大阪・松原にある雇用促進住宅に集まった元派遣労働者たちの厳しい現状を伝えていた。
派遣切りなどで仕事も住居も失った人々が、国の救済措置によってはじめは3ヶ月の期限つきで雇用促進住宅に入居するが、折からの不況で正社員はおろか、アルバイトの仕事にさえつくことができない。
なんとか不安定な生活を切り替えて正社員になろうと何社も面接を申し込むが、不合格の通知が続く。ときには面接さえ断られてしまうこともある。
高校を中退して派遣労働を続けていた30代の男性は、パソコンの技術を身につけたいと職業訓練校に申し込むが、これも不合格。
「私のように、高校を中退してなにも特技がない人間には生きて行くことが許されないのだろうか」という呟きには胸をつぶされる思いだ。
フォークリフトの運転免許を持ち、数々の仕事をこなしてきた40代の男性は、器用でどんな仕事もこなせそうな感じに見えるが、やはり仕事は得られない。
10代で両親を失い、一人きりで生きてきた男性は、早く家族を持ちたいという願いをもっているが、派遣切りにあい仕事も住居も失った今、その願いをかなえることは難しい状況が続いている。
もう一人の男性は、仕事を失うことで結婚しようとしていた恋人とも別れざるを得なくなり、それどころか自分が生きて行くこともままならない。
「すべてを失ってしまった。仕事をなくすことで人生がこんなにも狂ってしまうとは。自分たちにはやり直す機会は与えられないのだろうか」
年末に注目された年越し派遣村いらい、派遣労働者の窮状がクローズアップされたが、総選挙を控えた今、訳の分からない東国原や橋下徹らの地方分権騒動に紛れて、国民の生存権が選挙の争点からずれてしまった感がある。
なんども繰り返すが、今、国民にとってもっとも大切なことは、これまでの自公政権によって破壊し尽くされた国民の生活を回復し、誰もが安心し、希望を持って生きていける社会を実現させることだ。
政権交代はそのために必要なのである。
「働きたいんや」に登場した人々はどうなるのだろうか。
番組を見ている間、私はせめて一人くらいは仕事を見つけ、晴れ晴れと雇用促進住宅を後にする姿が見られるのではないかと思っていた。
しかし、現実は厳しく、ついに一人も仕事を得られないまま、番組は終わった。
はじめは3ヶ月の期限があったが、雇用情勢が悪化していることを受けて、国はさらに3ヶ月の使用期限を延長した。
しかし、今の状況で、あと3ヶ月猶予を与えられたといわれてどれだけ安心できるだろう。
なんともやりきれない思いだ。
今日の新聞では、主要120社のアンケート調査結果が出ており、「景気は底打ちした」と答えた企業が42%(51社)で、「底打ちしていない」の23.3%を上回ったという。
しかし、派遣労働者にかぎらず、国民の多くは景気の回復など望むべくもなく、むしろこれからの情勢によってはもっともっと悪くなっていくのではないかという不安を持っているのではないだろうか。
なんとしてもこの状況に区切りをつけ、少しでも明日を明るいものにしたい。
そのためにも、今度の選挙では国民生活をもっとも重視した選択をしたいものだと思う。
参考までに、毎日新聞が行った「えらぼーと」アンケートを私もやってみたので、その結果を貼り付けておく。このアンケートは雇用問題をはじめ、外交、環境など20項目に答えるもので、結果は同じアンケートを行った選挙の立候補者の答えと比べられるようになっている。
政党で私の答えともっとも近かったのが社民党で96%、次いで共産党が95%だった。この結果を私も利用しようと考えている。
まあ鬱の方はずっと変わらず「よくはない」ですが。
タイトルの通り、しばらくこのブログをお休みさせていただくことにした。
というのも、なんだかこの頃、つまらなくなってしまったのだ。
ニュースを見ても「これについて書いておこう」という気持ちがわいてこなくなってしまった。自分のための防備録として書いておこうという気にもならなくなってしまったのだ。
ひとつは、今の政治の愚劣さにある。
麻生太郎や自民党の批判をいくらしても馬鹿馬鹿しくなるばかりで、書く気が起きない。
民主党がなんとなく右傾化しようとしているなんていうことも、とりあえずは政権交代してから吟味すればいいかという気分になってしまった。
私としては民主党ばかりに関心が向くのでなく、社民党や日本新党との連立を念頭に置いた上での議論がもっと盛り上がってくれることを願っているんだけどね。そのなかには共産党の存在も、もちろんある。
けれども、そういうことをちょっとは真面目に考えようとしても、周りを見回してみると政治ブログと呼ばれるものの多くが植草一秀に毒されていたり、陰謀論で(なかにはアクセス数が減ったのはなんらかの操作があったと思われるなんて植草教祖みずからトンデモな発言をしたものもあったりね)思考停止に陥っているものが多くて、コンナヤツラと一緒にいるのはまっぴらだと思ってしまうのだ。
何度も書くけど、植草という男は自分を挙げた検察や、自分をネタにかき立てた「マスゴミ」が憎くてたまらない、ただそれだけでブログを書いてるいかさま野郎だ。奴がほんとうに国民の幸福だとか、自民党にボロボロにされてしまった国民生活を回復させるとか、真面目に考えているとはとうてい思えない。
奴は国民がどんな生活をしてどんな苦しみを味わっているかを知らないし、知ろうともしていない。だから「悪徳ペンタゴン」などというくだらない造語を作って悦に入っているんだよ。
だけど、そんなものをありがたがっているブロガーが、まったく嫌になるほどいて、そいつらがまた徒党を組んで我こそは正義みたいなことを臆面もなく垂れ流している。
私は嫌いなんだよ。徒党を組むということが。
数を頼みにして、自分とは相容れない者を全否定してしまうような連中には反吐が出るんだよ。
というわけで、すっかりブログがつまらなくなってしまったので、休むことにします。
とは言っても、1ヶ月後の選挙が近づいてきたらまた血が騒ぎ出すかもしれない。
そうしたら、また何か書いてみようかと思う。
それまではしばらくさようなら。
最後に、くたばれ植草一味。
失せろ「自End」村。
これが私の「最後っ屁」だ。
発足したのは2007年9月で、ちょうと安倍晋三が政権を放り出し、福田内閣ができる前のことだった。それまで、グループのメンバーたちは極右思想を掲げ日本をどんどん「醜い国」にしつつあった安倍晋三の存在に危機感を抱き、政権打倒を目指した「AbEnd」というリンクリストを作り、反安倍政権に関するエントリを毎日のように上げては互いに刺激し合っていた。
そして2007年7月の参院選挙で自民党が大敗し、それから1ヶ月後に安倍晋三が健康上の理由で政権を投げ出した瞬間、「AbEnd」は目標を達成。参加したブロガーたちは快哉の声を上げたのである。
そして次なる目標は、自公政権を倒すこと、つまり政権交代であるとしてメンバーは「自End」を立ち上げ、「自民党に関する話題について書いたときにTBしてください」と宣言したのである。管理人は「カナダde日本語」の美爾依さんである。
爾来およそ2年。
「自End」グループのめざましい活動が功を奏したか、今や自民党はグダグダの骨抜き状態となり、政権党としての体をなしていない状態まで落ちた。そして、ついに衆議院は解散され、8月30日には総選挙の投開票が行われることが決まり、自民党が政権の座を明け渡すのは時間の問題と誰もが見るようになった。
バンザイ、「自End」。
やったね、これまで地道に自民党を批判してきた努力がもうすぐ形になって現れるね。
よかった、よかった。
しかし、そう思っているのは当の「自End」村の村民だけだろう。
なぜなら、「自End」村は、自民党が瓦解していくのを眺めながら、なぜかそれより一足先に自家中毒を起こし、存在の意味を失ってしまったからだ。
今や「自End」村は植草一秀という陰謀論者を教祖と仰ぎ、これを批判する者に対しては徹底的な排他主義をとる仲良しグループに堕してしまった。
彼等をつなぎ止めているのは植草一秀と民主党崇拝による政権交代のみ。これさえ守っていれば、たとえ教祖の植草が言論に対するパージを声高に叫ぼうと批判する声は上がらず、ファナティックな信者の一人があからさまな人種差別的なエントリを上げても黙認し、お題目のように植草が痴漢の罪で刑務所に収監されるのを心配する。
さらには植草が刑務所内で謀殺されるのではないかと思い込み、満月と新月の日には教祖の無事を祈るエントリをメンバー各自がアップしようと言い出すまでになってしまった。
これのどこが「自End」なのだ?
もはや政権交代後に行われる政策について語られるのでもなく、政権交代が現実に近づくにつれ、これまでの公約を変えようとしている民主党に対する批判をするでもない。
単なる植草一秀崇拝の悪魔的な組織になってしまった。
自らに都合の悪いことを言うブログはパージし、仲間内の暴言はスルーし、内向きに小さく小さく固まってしまった。
自浄能力をも失ってしまった彼等、「自End」は、自民党が崩壊するのを待たずに自らが自滅してしまったと言っていい。
今も「自End」の管理人をつとめる美爾依さんのブログは惨憺たる内容で、かつてアルファブロガーに輝いたときの面影はない。
美爾依さんと仲良いとされる「きっこの日記」も近頃は露骨なまでに民主党の肩を持つエントリをしばしばアップするようになって著しく質を低下させてしまった。
開かれた体質と健全な批判精神がなければ、そもそもブログ同士の連携などなりたたないというのに、「自End」村の村民たちは植草一秀を精神的支柱にしはじめてから初期の精神を忘れ、自分に都合のいいものは受け入れるが、そうでないものは排除するという体質に変わってしまった。今では植草流の陰謀論とメディア批判が彼等にとっての定番メニューだ。
さらば「自End」。
短い命だった。
あなた方はまだ気がついていないのだろうが、もはや存在意義はないのだよ。
「自End」という看板があまり汚れないうちに掛け替えた方がいいと思うよ。
新しい村名は「植草党」とでもしてはどうだろうね?
とはいえ、これまでなかなか充実していた内容に比べ、最終回となった昨日の放送はゲストに糸井重里や西原理恵子といった、あまりピンとこないゲストを3人並べ、海外のインタビューに交えてコメントさせるという、つまらない構成になっていたのが残念だった。
それでも印象に残ったのは、終盤にインタビューしたヘッジファンド社長のジム・チャノスとハーバード大学のマイケル・サンデル教授の対照的なコメントだった。
チャノスは当然ながら、市場原理主義の権化ともいうべき言説を展開し、今こそ徹底的に自由競争を追求していくべきだと言っていた。資本主義である以上は、富を公平に分配することは不可能であり、その代わりに猛烈な努力をした人や人にはない独創的なものを生み出した人には大きな富を得るチャンスが与えられる。社会主義はすべての人が公平に富を受け取るべく作られたが、結局破綻してしまったではないか。資本主義が残った以上は自由競争を追求していくのは当然で、不平等が生まれるのも資本主義だからこそなのだ、といったことを述べていた。
これに対して、マイケル・サンデル教授は、もはや経済成長だけが社会の目的ではあり得ず、「公共」という概念を取り戻す必要があるのではないかと言っていた。
ヘッジファンド社長がいまだに社会主義は敗れ、資本主義が勝ち残ったのだから、自由競争をつきつめろというのは、それ自体、理にかなった主張といえよう。しかし、本当に資本主義が勝ち残ったのかといえば、この番組のそもそものテーマである金融恐慌はなぜ起こったのかということに行き着く。
富を追い求める自由競争が世界規模で行われ、金儲けこそが第一の価値観になった挙げ句、金融工学というモンスターを作り出し、そして自壊していったのが昨年の金融恐慌ではなかったのか。
たしかに社会主義を実践した国々は、理想と現実のギャップを埋めきれずに体制そのものを崩壊させてしまったが、あれは社会主義の敗北だったのか。
そう考えてみると、サンデル教授のいう「公共」という概念が、これから光を浴びることになるのではないかという気がしてくる。
私はジム・チャノス社長とは反対に、敗北したのは資本主義の方であると思っている。奇しくもチャノス自身が言ったとおり、資本主義が資本主義である限りは社会すべてに富や幸福を分配することはできない。力のある者が勝ち、力が劣る者は負ける。しかしこの基本原理のなかでいちばん問題なのは、勝った者が負けた者に対して思いやるシステムが欠けている点だ。
社会主義と資本主義を対比するとき、私は思い出すものがある。
運動会の徒競走で、順位をつけるのは不公平だからみんなで並んでゴールさせようとした学校があるとして批判された問題だ。
みんなで一緒にゴールするのでは、競争の意味がなくなってしまい、そもそも競技は成り立たなくなる。悪しき学校教育の見本であり、歪んだ平等主義と叩かれた。
もちろん、私も徒競走くらい自由に走らせるべきだと思うし、子どもたちをそこまで管理するのは如何なものかと思う。
けれども、その一方では、徒競走がクラスのヒーローを作るための競技だとするのも違うな、と思ってしまう。
私の娘が幼稚園に通っていたときも運動会があり、徒競走が行われたが、子どもたちのなかには、それまで先頭を走っていたのに、後ろで転んでしまった子がいると、その子のことが気になって走るのを忘れてしまう園児がいた。
「○○ちゃん、走れー!」という声がとぶ。
一方では転んだ子に対して
「がんばれーっ!」と声援が送られる。
一等賞の子にはもちろん大きな拍手。そして、転んでヒザを擦りむき、泣きながらビリでゴールした子に対しても、みんながあたたかく拍手で迎えた。
これは幼稚園がそうするように決めごとを作ったのではなく、子どもたちやその保護者たちに自然に備わった優しさや思いやりが現れたものだった。
どこにでもある運動会の一コマだったが、私は妙に感動したのを今も覚えている。
徒競走のよさは、こんなところにあるのではないかと思う。
そして、社会のあり方も、結局のところは同じではないかと私は思うのだ。
自由競争はあってもいい。
けれども、競争には必ず勝者と敗者が出る。そのとき、みんなで敗者のことを思いやり、転んでもがんばれと声を掛ける思いやりがあるべきではないのだろうか。
金儲けが第一で、勝ち組と負け組を明確に分けるような社会、ついこの間までわれわれが踊らされていた社会に、そんなあたたかさはあっただろうか。
そう思うとき、一企業が自己の利益だけを追求するのでなく、社会への貢献をも大きな目的として活動していくという「公共資本主義」が、社会主義への反省とともにこれからもっと考えられていってもいいのではないかと思うのだ。
今日7月21日。
衆議院は午後1時からの本会議で解散された。そして第45回衆院選は8月18日公示、30日投開票の日程で行われることが決まった。
日本の社会を滅茶苦茶にし、国民生活を疲弊させ、年間3万人以上もの自殺者を生み出し続けている自民党による政治は、今度の選挙ではっきりと否定しなければならないと思う。
政権与党でありながら、いまだにマニフェストも公表できず、候補者が銘々勝手にマニフェストを出すなどと馬鹿なことを言っている自民党の候補者たちには1票たりとも与えたくない心境だ。
しかしその一方で、政権交代が期待される民主党に対しても、われわれは厳しい目を持って投票の是非を決める必要があると思う。
これまで自民党が行ってきた金持ちと企業ばかり優遇する政策をとるのではないか、4年間は上げないと言っていた消費税はどうなるのか。経団連は18%まで増税する必要があると言っているが、国民の敵とも言える経団連との距離をどうとっていくのか。
次の選挙では、単に自民党政治を否定するだけでなく、日本社会が息を吹き返すような、国民全体が安心できるような政権が生まれることを考えなければならない。
そのためには民主党だけを一人勝ちさせるのではなく、社民党や国民新党、さらには共産党にも議席を与えるようにしていきたいものだ。
人間としてのあたたかさや、思いやりが生かせる社会を実現させるために、今度の選挙をわれわれは大切に考えていかなければならないと思うのである。

今日の朝日新聞による世論調査では、自民党の支持率は20%で、前回(7月4、5日)に行ったときの24%から4ポイント下がり、01年4月以降で最低となった。その一方で、民主党は31%(前回25%)と6ポイント増。
「いま投票するとしたら」として聞いた衆院比例区の投票先も、自民党が19%に対して民主は42%と圧倒的。
ついでに内閣支持率は17%で、前回の20%からさらに下落した。
同様の調査は他の新聞社やテレビ局も行っているだろうが、おそらくは似たような結果だろう。
実際の投票はまだ40日も先のことだから、この先、どんなふうに世論が変化していくのかは分からない。
けれども、内閣支持率が20%を割り、自民党の支持率も20%となると、もはや自民党は党としての体裁を保つこともままならず、選挙を前にして分裂するなどして自滅してしまうのではないかと思ってしまう。
悪政をこれまで続けてきた自民党など潰れてくれた方が、私としては喜ばしいが、一方では核拡散の恐怖ではないけれども、自民党の主流派が民主党と野合してしまう大連合という恐れもある。政権交代は歓迎するが、こればかりは勘弁してもらいたいものである。
昨日は鳩山邦夫が渡辺喜美と平沼赳夫の3人で会合を開いたという報道があったが、もはや化石のような極右の平沼と新自由主義者の渡辺に、死刑制度を自動化できないかなどという、私から見れば気違い沙汰にしか見えないものを信条にしている鳩山邦夫などが党を結んだとして何をやろうというのか。まったく訳が分からない。
一方の麻生太郎も、もはや観念したというのだろうか、記者のぶら下がりインタビューに対しても、どこか他人事というか、なげやりな受け答えが目立つようになってきた。
もとから優柔不断な麻生は、解散の時期を聞かれるたびに「自分の判断でしかるべきときにする」と自主性があるかのように答えてきたが、その実、タイミングをはずすにいいだけはずしてしまい、もはや自力ではどうにもならないところまできてしまい、ようやく解散を21日、総選挙の投票日を8月28日と決めた。これにしても、当初は解散を14日としていたのを1週間もずらさざるを得なかったなど、麻生の決断力の鈍さと周囲の信用のなさはここに極まった観がある。
さらに、中川秀直ら反麻生勢力が両院議員総会の開会を求めたのに対し、自民党執行部はもたついた挙げ句に議員懇談会を開くことでお茶を濁すことにしたが、これに対しても麻生は自分は総会が開かれたとしても逃げるつもりはないなどと言っておきながら、懇談会にトーンダウンしたことについては「党が決めたことで自分はそれに従うまでのこと」と、まるで自分は自民党の食客でもあるかのような言い方をして平気な顔をしている。
麻生はもはや自民党総裁であることも忘れてしまっているのではないか。
都議選で自民党が大敗して以降、党内があれだけゴタゴタしていたにもかかわらず、それを収めようとするどころか、我関せずといった態度を貫いてきた。下手なことを言えば自分の責任問題に火が付くのを恐れたのかもしれないが、麻生の無責任さは、端から見ていて異常なほどだった。
党首がこんな無責任を続け、党内では反麻生勢力が声を上げ、党分裂の恐れも否定できない状況にある。
これでは鳩山由紀夫がいくら問題のある政治資金を受け取っていたとしても、自民党を支持する理由が見あたらない。
麻生太郎にはもはや期待するのは無理に決まっているが、自民党はこの際潔く解党して一から出直したらどうか。
おそらく40日後には、好むと好まざるとに関わらず、同じような結果が出るだろうが、まともなマニフェストも作らずに「政治は、ギャンブルじゃない」などと、民主党を貶すばかりのパンフレットしか作れないような党には政権を担当する資格はないとしかいいようがない。
民主党は、マニフェストも大切だが、政権交代したあかつきには、麻生内閣が15兆円も無駄にばらまいた税金をどうやって補っていくのか。それこそ財源を明らかにしていかなければならないだろう。
その財源が、やはり消費税増税しかありませんというのでは、国民はとうてい承知しない。
次の政権には、これまで自公政権が行ってきた悪政のツケをどう埋め合わせるのか、その知恵も託されているのだ。
ひとつは『サンデー毎日』と争っていた名誉棄損をめぐる訴訟で、「セクハラ癖があり、業界では有名」などとと書いた『サンデー毎日』側の主張が認められ、U草氏はいたくそのメンツを傷つけられたこと。
もうひとつはさらに深刻で、2006年9月に電車内で痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反の罪に問われていたU草氏に対して、最高裁第三小法廷は被告側の上告を棄却する決定を下した。
つまり、懲役4ヵ月の実刑とした1、2審の判決が確定したわけで、U草氏は今月末にも収監されることになる。
U草氏は現在、「知られざる真実」というブログを精力的に更新し、非常に多くの読者を得ているが、ファナティックとも思えるほどの民主党支持は、政権交代が現実味をおびてきた昨今、さらに熱が入ってきているようだ。
都議選で自民党が惨敗を喫した翌日、13日付けのエントリでは、圧倒的な勝利を収めた民主党をたたえ、「政権交代推進勢力」が民主党に投票を集中させた結果だと分析。自民、公明、民主をオール与党だとして唯一の野党を訴えた共産党は「政権交代実現」を重視する有権者から関心を得られなかったとしている。
しかし、現実は共産党の言う通り、民主党は都議会において自公に与する与党として機能してきており、自公が提出した議案にほとんど賛成してきた党であるということを完全に無視している。
政権交代を重視するのならば、有権者はどうして自公の味方ばかりしてきた民主党などに投票したのだろう? U草氏に学者としての思考回路があるならば、なぜ民主党が圧勝したのか、別の要因についても考える必要があったのではないか。
もちろん、民主党は選挙前になって宗旨変えをして築地市場の豊洲移転に反対、新銀行東京の経営責任を問うなどと石原都政を批判するようになったが、都民が単純にその訴えを受け入れて民主党に投票したという行動原理の裏には、政権交代を切望する気持ちもあろうが、多分にマスコミに踊らされていた部分もあったと考えるのが常識的ではないか。
しかもマスコミによる大衆扇動については、日頃のU草氏の言動を見ていればもっとも説明しやすいことだろう。
どうやらU草氏は物事の都合のいい部分だけを見て語る傾向が強いようだ。これでは元学者だったという肩書きが泣くのではないか。
しかし民主党による政権交代こそは日本の歴史上、初めて一般国民を主役とする政府を樹立しようとする「政治革命」だと位置づけるU草氏には、そんなことは一向に気にならないようである。
U草氏は書く。
官僚のための政治
外国勢力のための政治
を排除し、
国民のための政治
を、日本の歴史上、初めて創設できるかが問われる選挙になる。
おお、なんとも雄々しく、輝いてさえ見える言葉ではないか。
しかしなあ、前にも書いたけれども、トップにどんな政党を戴いても、組織というのは必ず腐った部分が出来てくるものではないのか。
U草氏はさらに、
官僚利権を排除し、
外国資本への利益供与を断ち切り、
平和主義を外交方針の基本に据える、
政府を樹立することが目的である。真に、一般国民の幸福を追求する政府を樹立することを目指すのだ。
と続けているけれども、国策捜査の犠牲となり、冤罪の憂き目を味わってきた人物としてはいささか純粋すぎるというか、かなり青臭い理想論ではなかろうか。いや、信者にしてみれば、辛い思いをした人物だからこそ、これほど純粋な理想に燃えるというのは素晴らしいということになるのだろうけれど。
なんか薄っぺらいというか、裏付けに乏しいというか。
現時点では一応は応援するものの、そして政権交代は望むものの、それほど民主党を信用していない私のようなひねくれ者はU草氏からすれば「政権交代実現推進勢力」を攻撃する者であり、「悪徳ペンタゴン勢力」を側面支援することに気づかずにいるたわけ者ということになるのだろう。
まあ、それならそうで私は一向に構わないのだけれど、「政権交代実現推進勢力」などと仰々しい看板をつけて政権交代について語るより、あるいは「悪徳ペンタゴン勢力」について語るより、もっと現実に根ざした議論をしてもらいたいものだと思わずにいられない。
それでもU草氏は、無能宰相の麻生太郎を罵倒したりしないところは偉いなと思う。さすが、懐が深い。
ところが、今日付けのエントリを拝見すると、正直私は驚いた。
「8月30日総選挙に勝利し『無血革命』を実現しよう」
なんともすごいアジテーターぶり。
たしかに、念願の総選挙の日程が決まったのだから、U草氏のボルテージは否が応でも盛り上がろうというものだ。
しかし、しかし。
読み進めていくと、お得意の田原総一朗の「サンデープロジェクト」批判があり、メディアによる選挙妨害を疑う発言があり、その後に総選挙が自らの収監期間中に行われることへの憤懣やるかたない思い(そりゃ、ずいぶん悔しいことでしょうねえ)があって、後は信者に託したぞみたいな文脈が続いた後、U草氏は恐ろしいことを言い出しているのである。
テレビに頻繁に登場する人々の9割以上が、「走狗」に塗り固められてしまった。第二次大戦後、GHQによる「公職追放」が実施されたが、新政権樹立後、マスメディア人材の「パージ」を実行する必要がある。偏向報道を主導した関係者の責任を明確にしなければならない。
こ、これってマスコミに対する粛清ってことですか?
私は政権交代は必要だと思うが、その後に来る政権が自らに都合の悪い報道をした者たちを洗い出し、9割以上を粛清するようなものにはなってほしくない。
国民主権の民主主義的な政治を行う政府を作ってほしいとは願うが、恐怖政治を行うような政権が来るのなら、政権交代などしない方がいい。
思えば日頃からマスメディアに対して厳しい態度で臨んでいるU草氏は、テレビはもちろんのこと雑誌メディア(もちろん筆頭は『サンデー毎日』だろう!)にも対検察なみの深い憎しみを持っているようだ。
かねがね私はU草氏の原動力になっているのは権力・マスコミに対する私怨だと思っていたが、図らずも粛清という形で自らの思いを遂げようとしていることには慄然とせざるを得ない。
ブログ界ではU草氏を批判することはタブーのような雰囲気があり、実際、私などがちょこっと批判エントリをアップしただけでも過剰なまでの反応がある。
しかし、自ら信じる者を批判することを許さないというのは実に偏狭であり、非民主主義的なことだとは思わないか。
たしかにマスコミには偏向報道と思われるものがある。
ならば、それに対しては正々堂々と言論で対抗していけばいいだけの話ではないか。
なぜ「パージ」を実行する必要があるなどという考え方になってしまうのだろうか。
U草氏がどんなに立派な思想の持ち主であり、信者たちを納得させる言説を日頃展開しているとしても、この排外的と言ってもいい偏狭さがある限りはU草氏を民主的な言論のリーダーなどとは、私は思わない。
いや、もうひとつある。
公明党が22議席から23議席へと議席を伸ばして手堅く「勝った」こと。
そして共産党が民主党に票を食われる形で惨敗したことだ。
地方選挙が全国から注目され、投票率も最終的には54%に達するなど、今回の都議選は一種の興奮状態の中で行われたといっていいだろう。
もちろん、全国の注目を集めたのも投票率が高くなったのも、来るべき解散総選挙で政権交代がなるかどうかを占う意味があったからに他ならない。
政権交代という点で見れば、これは明らかに民主党が大勝利で政権を獲得する確率が高くなったといえるだろう。
しかし、現政権を握っている自民党と公明党に対する評価がどうだったかといえば、公明党は議席を減らすどころか一つ増やしたのであり、自公政権が完全に否定されたとは言い難い。
東京都民ではないが、私にはこの点がどうにも歯がゆい。
さらに東京都議会でいえば民主党は野党と言うよりも、どちらかというと与党側に立って行動してきた政党で、選挙運動のときこそ築地市場の移転問題や新銀行東京問題に対して批判をしていたが、そもそもこれらの議案を通すときには民主党は賛成に回った与党だったことを忘れてはならない。
その意味で、「純然たる野党」の共産党が議席を大幅に落とし、社民党も議席を回復できなかったことは残念でならない。
都議会が今後、健全に運営されていくためには民主対自民・公明だけの対立軸だけでは不十分であり、十分な野党の声が必要だと思う。
しかも公明は政権党であり続けたい政党だから、簡単に自民との連携は解消し、今度は民主党と手を組むことも考えられる。
民主党には公明党と親和的な議員もいるので、彼らが手を組めば、都議会はまたしてもオール与党になってしまう。
そんなこんなを考えていると、たしかに自民党が大敗を喫したのは喜ばしいと思うのだが、民主党だけが大勝したという点については、どうしても消極的にならざるを得ないのである。
この都議選の結果を受けて、権力の座に執着していた麻生太郎も、いよいよ仕方なく解散総選挙を決めたようだ。
解散は7月21日で投票が8月30日。
麻生としてはぎりぎりまで解散時期を引き延ばし、都議選で受けた傷を少しでも癒し、あわよくば鳩山由紀夫の献金問題をつついて失地回復を狙ってのことだろう。
民主党としては、ここで余計でつまらない献金問題などを長引かせたりせず、鳩山由紀夫に徹底的に説明させ、必要ならば国会で釈明させるくらいの覚悟を持ってもらいたい。
そして、政権交代をしたあかつきには国民生活をいかにして回復させるかというマニフェストを一刻も早く提示してもらいたいものである。
さらに注文を付けるとすれば、調子に乗って単独与党などという欲をかかず、国民新党や社民党との連携をしっかりと持ってもらいたい。
民主党だけでは信用に値しないことは、これまで何度も書いてきた通りである。
そして、民主党に驕った気分にさせないためにも、主権者であるわれわれ国民は民主党だけに投票するのでなく、国民新党、社民党、あるいは共産党にも票を入れるようにしたいものである。
具体的には、私ならば小選挙区では民主党か共産党に入れ、比例区では社民党に入れる。
もちろん、誰がどの党に投票しようと自由だが、民主党に独り勝ちさせずに政権交代を成功させるというのが、私の考える理想である。
いずれにしても解散総選挙が決まった以上、確実に政治を変えるチャンスがわれわれの手に戻ってきたのだ。
この大事な権利を無駄にすることのないように、各人には考えてもらいたいと思う。
これからの1ヶ月半、私も微力ながら健全なる政権交代と、国民生活の回復に向けて考えて行きたいと思う。















